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ヨガナンダ



感じ方

先日あるコミュニティーサイトに一枚の写真がアップされました。
夕暮れ時の路上、交差点の信号待ちでしょうか、
写真中央に軽自動車のバックが大きく写っています。
  (ナンバーにモザイク処理をしました)



最初はその写真の意味するところがまったく分からなかったのですが、
説明文を読むと、投稿した人の目の前で、
その車の窓からタバコがポイ捨てされたとのことのことでした。
写真をよく見ると、それと思わせる物体が写っています。

投稿者はこの行為に怒りを感じ、写真を投稿し、
それに対して投稿者の友人たちからたくさん同意の意見が寄せられていました。

世間一般の良識ある方たちは、
こういった場面を見ると憤りを覚え、
こういった人に対して注意をしたいと感じられるのですね、
そのことを、その投稿から知ることができました。


私はその投稿を見て、
意見を寄せられる人たちの考え方、感じ方に違和感を覚えました。
それはここ数年、公衆トイレの掃除やゴミ拾いを続けてきたためだと思われます。

ゴミを捨てたりトイレを汚すのは、普通の人たちにとってごく当たり前の行為です。
それを言葉で注意するのではなく、
自らが、自らの行動としてそれをきれいにし、
そのきれいになったトイレや公園、路上を見てもらうことによって、
人々の意識を変えていきたい、
またそれしか人の気持ちを変える方法はない、
私は最近こんなふうに思うようになりました。

そしてこれは、自ら掃除を実践する人の持つ共通の思いだと思います。

また掃除を続けることによって、
少しずつ自分ら中に変化していく何かを感じ、
掃除は人の為にするものではなく、
己の心を変えていくためにするものだという意識が芽生え、
街を汚す人に対しては憤りよりも、
ちょっとおかしな考え方だと思われるかもしれませんが、
逆に「掃除する機会を与えてくれてありがとう」ぐらいの気持ちになってくるのです。

誰にでも心の中に “悪” の部分があります。
その自らの心の中の悪を、掃除によって少しでもきれいにしていきたい、
掃除をする時にはいつもこんなことを願うようになってきました。

掃除というひとつの局面では、汚す人は悪、掃除をする人は善かもしれませんが、
それはたまたま掃除というごく狭い範囲の中だけでのことであり、
他の局面では、普段掃除をする人でも悪が露呈するところがきっとあるはずです。
もちろん私にもたくさんあります。

そのことを掃除をしていると強く感じるようになり、
人の悪いところを見ても、
その悪いところはその人の一部分であり、
自分の中にもそれと同じような悪いところがたくさんあって、
絶対的に人を非難することはできないのだという思いになってきます。


こんな自分の感じ方を、たまたまタバコのポイ捨て写真の投稿を見ることによって、
感じ取ることができました。
こんな機会がなければ、自分の心の中にある “感じ方” 、
そしてそれが過去から現在に至るまでどのように変化してきたのかということを
振り返る機会はなかったかもしれません。

私は自分の感じ方が正しいものであり、
人に自分と同じ感じ方をしてもらいたいと思い、
ここにこんなことを書いているのではありません。

感じ方というものは、それ自体がその人の生き方であり、
それに対して安易に善悪をつけることはできません。

ただ自分の生き方を真剣に見つめるならば、
この自らの感じ方というものを知り、
それを自ら処していかなければなりません。

世の中には、様々な “囚われ” という “感じ方” に振り回され、
自らの人生を台無しにしている方がたくさんおられるではないですか。


この時空のすべてのものは、自らの想念が創り出したものであり、
その想念を生み出す元が、自らの感じ方です。

いいことをイメージすることによって幸せになろう、
こんなことがよくスピリチュアルな世界で説かれていますが、
イメージを生み出す元となるものはその人の感じ方です。

一時のイメージは、
目を瞑って想像力を働かせれば創ることができるかもしれませんが、
それを継続し、心の根底を変えていくには、
自らの感じ方を変えていくしかありません。


この感じ方を変えていくには、
肉体を持って生まれたこの三次元世界において、
陽である肉体を使うことによって、陰である精神に変革を起さすしかないのです。
“ない” とまで言うのは言い過ぎかもしれませんが、
それが最も早道であり、危険性が少ないというのは間違いのない事実です。

頭だけ、イメージだけ、
今の自分は変えたくないけどご利益だけはしっかり欲しい、
そう思うところに落とし穴は待っています。


私は掃除という行動を通して、感じ方を変える術を知りました。
掃除というのはあくまでもひとつの例に過ぎません。
その人その人にとって最も適した “感じ方を変える方法” というのがあるでしょう。
それは自分以外の誰も知りません。
自らが見つけていかなければなりません。

またそれを見つけようとする思いや行動そのものが、
その人にとって大切な力を生み出すかけがいのない学びの機会となります。


行動を起すことは誰にでもできます。
また自分にできる範囲でいいのです。
寝たきりの方は、周りの人に微笑みを返す「顔施」で十分です。
  <和顔施(わげんせ)>

誰にでもできることの中に真の救いの道がある。
やはりこの時空は、愛に満ちた存在です。 (^o^)v

2011.11.10 Thurseday  
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