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鏡の人

人は生まれてから死ぬまで、
一度たりとも自分の顔を直接見ることはできません。
自分の顔を知るためには、写真や鏡を見るしかないのです。

写真は紙に印刷されたりディスプレイに映ったもの、
鏡は自分の姿が左右逆転した面対称です。

自分は自分の顔をリアルタイムに正確に認識することができないというのは、
とても深い真理だと思います。

それは自分の体全体も同様です。
目から離れた体の部分は目で見ることができますが、
手足や胴体、そういった肉体の存在感を知覚できるのは、
水や空気といった外の存在があり、
そこからの刺激を受けるからです。

空気から皮膚を通して温度を感じ、服の布地の感触を得、
座っている椅子や履いている靴から圧迫感を感じます。
こういった外からの刺激があって、初めて自分の肉体の存在を意識できるのです。
  (実際は両手を擦り合わせたりして内側同士で感じ合うこともできます。
   これは体の内にも、陰陽や五行の理合いがあるためです )

アイソレーションタンクという、人間の体温と同じ温度で、
人間を浮かべるための比重の高い液体を入れた容器があります。
その中では光、音、皮膚感覚、重力感覚、すべての外部からの刺激が遮断され、
そこで完全な無刺激状態でしばらく過すと、
普段味わうことのできないトリップ感覚が押し寄せてくるそうです。



私たちは自分の内を知ることによって自分を自覚する部分より、
自分の外を知ることによって、
その対極である自分の内を感じるということの方が多いのかもしれません。


話は突然卑近なことになりますが、
誰にでもあると思うのですが、
私には、どうしてもこの人といるとイライラしてくるという人がいます。

その人は別段悪い人ではありません。
お人好しの世話好きで、いつも甲斐甲斐しく動いているその人は、
周りから尊敬を集めるタイプではけっしてないものの、
人間性がいいという高い評価を得ています。

ただその行動原理というものが、
その人の心の中にあるコンプレックスを裏返したものであり、
そのため、やること為すことほとんどすべてが本質を外れたことばかりで、
そこが私にはどうしても受け入れられず、
いつもイライラしてしまいます。

私はちょっと抜けた天然ボケの人は嫌いではありません。
子ども好きということもありますが、
一生懸命やってドジな人は、それが可愛らしさやけなげさに映るのです。

けれど自分の中で許されるボケと許されないボケがあるのですね。
そのことが、そのイライラする人を見ていてよく分かりました。


私はそのイライラを感じる人と疎遠かといったらそうではありません。
なぜかいろんなところで縁があり、お互い世話になったり、
一緒にどこかに行ったり、
つかず離れずの縁がそうとう長い期間続いています。
これが腐れ縁というやつでしょう。

その人とは合わない面がすごくあるものの、
同質のものも多々あり、だから縁があるのだと思います。

私にとっては、その人はとても貴重な学びの対象です。
その人を見て、その人を許せる自分であった日は、
それだけですごくハッピーな気分になります。

また逆に、実は今日そうであったのですが、
ちょっとしたその人の的外れのことがすごく気になり、
一言声をかけたりすると、
その人も私の胸の内を察知して反論する言葉を返してきて、
そんなことがあった日は、
そのことだけで少し気分がブルーになります。

けどその人も人一倍お人好しですので、
また次に会った時はお互い普通に接し ・・・ 、
そんなことがこれまで幾度となく繰返されてきたのです。


ですから私はその人と会うのが最近すごく楽しみになりました。
誰よりも私の心の内を明らかにしてくれて、
成長へのヒントを与えてくれるのですから。

その人によって明らかにされる私の心の醜い部分は、
その人と出会わなかったらなくなるものではありません。

“ある” という事実はその人とは関係なく存在し、
逆にその人がいるからこそそれを自覚でき、
それを無くす方向に自ら働きがけることができるのです。


『許せない相手というのは、その人が自分と同じものを持っているからだ』
ということがよく言われます。

その人のイライラさせる部分を私も持っている、
こんなことは思っただけで嫌になるのですが、
そう思うことが学びであり、たぶん事実そうなのだと思います。

『人の振り見て我が振り直せ』ということわざは、
そういう人に対してこそ当てはめるべきなのです。


こうして書いていて思います。
こう思える自分は幸せなんだと。

苦手な相手と接して、ただ不快感を覚えるだけ、
ただ心に葛藤を覚え、余計に心乱されるだけという場合もあると思いますが、
私の場合、出会いはすべて必然であり、
起こってくることはそれをどう活かすかに価値があるのだということを
ずっと信条として考えてきたので、
そんな思考が自然と身に付いてきたのだと思います。

また熱心に続けてきたトイレ掃除も心の持ち方に大きな影響を与えています。
これは理屈ではなく、
どんな嫌なもの、汚いもの、苦手なものに対しても、
それを克服する何かを授けてもらったということを感じます。


自分が変われば相手も変わる、
このことはこれまで何度も経験してきたことですので、
このたびもそれをまた実践すればいいことです。

鏡があるから身だしなみを整えることができます。
鏡の人を活かし、心のおしゃれを楽しみたいです♪

2011.10.21 Friday  
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