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死というステップ

7月19日、今このページを書いている時点で、
日本には大型で強い勢力を持つ台風6号が、
四国から日本列島に上陸しようとしていて、
東日本、西日本全域で、大雨や土砂災害に対する注意が必要とのことです。

ネットのニュースの中で、
三重県の大台町で24時間の降水量が500ミリを超えたということが
報じられています。

三重県に大台町というところがあるのを初めて知りました。
そしてそれと同時に、隣の奈良県にある大台ヶ原のことを思い出しました。


大台ヶ原というのは、奈良県の南部にあるとても山深いところで、
降水量のものすごく多いところとして知られています。
  <吉野熊野国立公園大台ヶ原>

三重県と奈良県にまたがる大台ヶ原の一帯は、屋久島と並び日本で最も雨の多い場所として知られている。
年間降水量は平均的な都市のおよそ4倍にあたる5000ミリ。
たった一日で東京の一年分に相当する雨が降ったこともある。
その凄まじい雨の正体は何なのか。 ・・・


「NHKスペシャル|雨の物語 〜大台ケ原 日本一の大雨を撮る〜」より

私は中学校から大学にかけての10年間、奈良県に住んでいたのですが、
その最後の年である大学4年生、22歳の時、
三軒隣に住むYさんというおじさん(34歳、今の私より17歳も若い!)と二人で、
テントを担いで大台ヶ原に行きました。

ちょうど7月下旬の一番暑い頃でした。
電車とバスを乗り継いで大台ヶ原に入り、
最初の日は頂上付近にある山小屋に泊まりました。

その日は大阪市内にある女子高の生徒たちが引率の二人の先生に
連れられてやって来ていて、
その山小屋には私たち二人と女子高生たちというとても嬉しい状況でした。

そんな幸先いい(?)スタートで二日目の朝山小屋をスタートし、
目標とする道をひたすら歩き出しました。
眺望のいい日出ヶ岳を通り、ガイドブックに従ってコースを歩いたのですが、
山深い登山道はあまり整備されておらず、
歩いている途中で知らず知らずのうちにコースを外れてしまいました。

それでもそんなに深刻に考えることなく、
適当に感覚に従って道を歩いていると、
歩いている道の右側はるか下の方に大きな湖が目に入りました。

「あそこに行くときちんとした道に出合うことができる」
そう考えた二人は、その湖の方に向かって
山間の道なき道を下っていくことにしました。

左右を山裾に挟まれ、V字谷のようになっているスペースは、
最初は比較的歩きやすくて足取りも軽やかだったのですが、
少しずつ下って行くにしたがって岩場が多くなり、勾配も急になり、
大きな岩を飛び降りるような感じで湖の方へと進んでいきました。

このまま目的地まで行けるのだろうか ・・・ 、
当然そんに不安も湧いてこないわけではないのですが、
いったん進みはじめた道を、
失敗だと認めて逆戻りするのにはかなりの勇気がいります。
たとえ困難だと分かっていても、それまでの希望を捨てず、
これまで進んできた道をそのまま進む方が楽なのです。

これは人生すべての面で言えることです。

山では道に迷った場合、
時間がかかっても迷った場所まで引き返すというのが鉄則です。
そのことを後になって知りました。


段々と切り立つように迫ってくるV字谷は、
後一歩で湖というところで大きな滝の真上となり、
いよいよ一歩も前に進むことができなくなりました。

このまま進んでいけばどうにかなるだろうという甘い考えは、
この時点で見事に打ち砕かれてしまいました。

前に行くことができず、
かと言ってようやっと飛び降りるようにして下ってきた険しい岩場の道は、
引き返すこともままなりません。

この時点で二人がかなり危険な状況に追いやられているということを、
ようやく理解するようになりました。

その夜は不安を抱えたまま、滝の真上にテントを張りビバークすることにしました。
昨日出会った女子高生たちは、
今頃家でのんびりとくつろいでいるのかもしれません。
そう思うと、ほんのわずかな判断ミスで人生が大きく変わるという現実を、
ただただ悔しい思いを持って噛みしめるしかありません。

同行したYさんは、その夜は一睡もできなかったようで、
夜中に何度も懐中電灯を点け、地図とにらめっこをしていました。

私も生まれて初めて死というものを覚悟しました。
たぶん何パーセントではなく、何十パーセントという確率で、
死が現実のものとして差し迫ってきています。

もし死ぬとしたら、死因はたぶん餓死でしょう。
餓死というのは苦しいものなのでしょうか。
死と直面しているにも関わらず、なぜか私の心は落ち着いていました。
なぜだか分かりませんが不思議な感覚でした。


翌朝、明るくなってから二人でテントの周りを見回しました。
なんとか元のルートに戻る道はないのだろうか、
目をこらして真剣に山肌を見つめると、
一箇所、下ってきたのとは違うルートで、
どうにか登れるのではないかという道筋を見つけました。

そこを這いつくばるようにして二人で登り、
少しずつ上に向かって進んでいくことができました。
まさに九死に一生を得た思いです。

その日は元のルートに戻る少し手前、
山中の少し平らになった場所にテントを張り、
大台ヶ原三日目の夜を過しました。

手持ちの食料品は底をつき、
お土産に買った山菜の佃煮を開けて二人で食べました。
お腹のすいた二人にはそれでも何よりのご馳走です。

テントの中で、虫に刺されたところにメンソレータムを塗りました。
狭いテントの中は、メンソレータムのクールな刺激臭に満たされます。
今もメンソレータムの匂いを嗅ぐと、
大台ヶ原のあの情景が条件反射のように思い出されます。

それと人間の判断というのは面白いものです。
まだ生きて帰れるという確証がないまま山を必死で登っている時、
Yさんから、リュックに入れている山野草の図鑑が重たいので、
私のリュックに入れてくれないかと頼まれました。

そんなもの、生きるためには捨ててしまえばいいのに ・・・ と思いましたが、
山野草が大好きなYさんにしてみれば、
どうしても捨てることができないのでしょう、
さりとて体力的に持ち歩くことが苦痛になり、
いよいよの判断で私に頼んだものと思われます。

自殺をしようとする人が、
その日の夜に面白いテレビ番組があることを思い出し、
自殺を思いとどまったという話を聞いたことがありますが、
人の判断というものは理屈を超えています。


四日目の朝、一歩ずつ上へ上へと向かっていくと、
お昼前頃に登山道らしいルートと出合うことができました。
あの時の湧き上がってくるような嬉しかった感情は、
今も忘れることができません。

私たちが日々生を保っていられるのは、
ごく限定された条件に護られているからであり、
それは本来 “当たり前” のことではないのです。
死というものと直面すると、
そのことが実感として分かるようになります。

その登山道を引き返すように歩いていると、
向こうから若い男女10名程度のグループがやって来ました。
彼らに事情を話し、食料品を分けてもらうように頼むと、
気持ちよくリュックから弁当を出してくださいました。

「それはすごい経験をされましたね〜。
 私たちの弁当でよかったらどうぞ。
 こっちも少し荷物が軽くなって助かりますよ」
そんな軽い口調で微笑んでくださり、
人様の親切、生きる喜びを感じます。


その夜に家に帰ると、
連絡のない私たちを心配し、
葬式を上げる場合は近所同士なので合同で ・・・ 、
なんてことを考えていたとYさんの奥さんが話していました。

実際、私たちが帰った直後に奈良県では大雨が降り、
王寺という町では床上、床下の浸水被害が発生し、
大台ヶ原でも日出ヶ岳で記録的な降水量があったそうなので、
日程が数日後にずれ込んでいたら、
本当に「合同葬儀」という事態になっていたかもしれません。


生まれて初めて死というものを覚悟して、
帰り着いたその夜は少し興奮状態でした。
ネオンの灯る繁華街に繰り出したい気分でしたが、
もしそこで刃物を持ったヤクザに絡まれたとしても、
あの時だったら怖くはなかったでしょう。
死を覚悟した人間ほど強いものはありません。

しかしそんな気持ちは長続きするものではなく、
いつしか平常心へと戻っていきました。


昨年は水難と交通事故で二回目の前を死の影が通り過ぎ、
考えてみれば、これまで死というものを間近で意識したのは、
その二回とこの大台ヶ原、計三回です。

「人間、死ぬ気になったら何でもできる」と言いますが、
たとえ何度死に目にあったとしても、
そんな思いを継続して持つことは容易ではありません。

私は本来昨年死ぬべき運命であったのだと確信しています。
それがお役目を与えられて今も生き延び、
いわば特攻隊の生き残りのような気分なのです。

生から死への扉をくぐり抜けることにはほんの少しの恐怖がありますが、
幸い死そのものに対してはまったく恐ろしい気持ちはなく、
逆に憧れを感じているほどです。

日々死ぬ気になって生きているわけではありませんが、
目を閉じ、頭の中で死を意識した瞬間を振り返れば、
その時の思いが蘇ってくるのは、私にとって貴重な財産です。


激動する時代の流れを見ると、
個人というものの死を超えた、人類全体の生存の危機が、
差し迫った問題として目の前にやって来ているという考えは、
あながち間違いではないように感じます。

けれどもまずは心の中から恐怖の感情を手放すこと、
その恐怖を捨てた上で死を冷静に見つめ、
生を考えることです。

影があるから光の存在が分かります。
死を見つめることで、生の意味がより明確に理解できます。

肉体的な死は誰にでも必ず訪れるもの、
決して恐ろしいものではありません。

循環を大原則として持つこの時空においては、
死は進化するためのひとつの過程に過ぎません。


ただ生きている、これほど有り難いことはありません。
それと同じように、死もまた有り難い進化へのステップなのです。

2011.7.19 Tuesday  
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