ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



旅_110603

昨夜寝たのは1時過ぎなのにも関わらず、
朝は5時に目を覚まし、パソコンを一人で操作していました。
心身ともに緊張状態なのでしょう、なぜか疲れを感じません。
けど後でどっと疲れが出てくる予感です。

6時から「お勤め」をし、朝食を大急ぎでいただきます。
朝食の準備もみんなで分担してやるのです。



教会のご飯は美味しいですね。
お腹の辺りの充実感も増してきているのを感じます。 (^◇^;)

天理駅まで隆之くんに車で送ってもらいました。
私は真面目な彼の大ファンです。
人間はみな一人一人、光り輝くものを持っています。

近鉄京都線は、途中の大和西大寺で有料(500円)の特急に乗り換えました。
近鉄特急はとても乗り心地がいいのです。
久し振りに乗る特急、これも楽しい旅の思い出です。
少しでも早く、むこうで待っていてくださっている方たちとお会いしたいですしね

京都からはのぞみに乗り、新横浜に向かいます。
新横浜では、大和市にお住まいのHさんと待ち合わせをしています。
Hさんはホ・オポノポノをキッカケに私のホームページを見てくださるようになり、
これまで何度もメールのやり取りをしています。
お会いするのが楽しみです。


予定通り11時前に新横浜に着きました。
改札口でHさんとお会いし、Hさんの案内で在来線に乗り換え、
一緒に鎌倉に向かいました。

鎌倉の駅は観光地って感じですね。
大勢の人で賑わっています。
駅の目の前に鳥居が見えます。
鶴岡八幡宮は鎌倉駅から近いみたいですね、初めて知りました。



マクドナルドの看板が京都と同じくシックな色合いになっています。
最近は全国的にこのバージョンが増えているのかもしれません。
広島の我家の近くにあるマックも内装はとてもシックです。

ほんの少し歩くと、立派な鳥居と参道が見えてきました。
私のキャリーバッグの手前で佇んでおられるのがHさんです。



ここのツツジもきれいでした。
歩いている人たちの頭の真上に枝を伸ばしているのは桜です。
桜の時期はさぞきれいでしょう、
ここを歩きながら桜吹雪を浴びたりしたら最高の気分が味わえそうです。



左右をそれぞれ上下方向の車道に挟まれた参道というのは珍しいですが、
その参道の真っ正面に再び鳥居、そして社殿が見えます。



広い鶴岡八幡宮の境内には、美しい木々や池、
小鳥のさえずりなんかも聞こえてきます。



ここを文明法則史学の創始者村山節先生が散策され、
「歴史は直線の分析よりはじまる」
という天啓を受けられたのかと思うと感慨ひとしおです。

私はただただ感謝、その一言です。

被災地復興の文字が書かれた幟には、
鶴岡八幡宮の文字の横に東大寺と書かれています。



奈良の東大寺と関係があるのでしょうか、
東大寺は、昔住んでいて今は兄が暮らしている生駒市の家から
遠くに屋根が見える懐かしいところです。
鶴岡八幡宮が少し身近に感じられて嬉しいです。

酒井ということで酒樽の前で写真を撮ってもらいました。
酒は「神の捧げる水」という意味なのです。



雷に打たれて倒れてしまった大銀杏は現在療養中で、
黒いネットに囲まれています。



私たち人類が無事この時代の転換期を乗り越えるのとともに、
この大銀杏も以前の立派な姿を取り戻していただきたいと願うのみです。

社殿に向かって昇る階段の上から、
ここに至るまでの参道を見ることができます。



鶴岡八幡宮の神様に手を合わせ、お礼の言葉を述べました。
これが今回の旅の大きな目的のひとつです。
無事鎌倉に来ることができたことに感謝します。
これからの決意を新たにしました。

鶴岡八幡宮は本当に広いですね。
しかも緑がたくさんあり、きれいに整備されているので、
歩いているだけで心がとても癒されます。

境内には幼稚園もありました。
鶴岡八幡宮幼稚園です。



神社仏閣には樹齢の長い木々がたくさんあるもので、
それを一本一本眺めるのも楽しいものです。
こんな苔がむしていたり草が生えたりしているのはいいですね。
自然の理想的な共生の姿です。



境内の境界外側を歩いていると、
ものすごいツタの絡まった家がありました。



ツタというのは見た目はいいですが、
その根っこが外壁の内側に入り込み、家を傷めると聞きました。



この根の張り具合、逞しい生命力を物語っています。

鎌倉の家々を見ていると、
どうもツタを壁や塀に絡ませているお家が多いみたいです。
風情ある鎌倉の土地とツタとはいいマッチングです。

この木は枝振りが見事です。



根元から生えているのはこの木の仲間でしょうか。



一通り参拝を終え、鎌倉駅に向かう途中に設備屋さんがあり、
トイレの模型が飾られていたので、これは写真に収めないわけにはいきません。



あっ! ガラスに反射してHさんのお顔が映ってる!!w(*゚o゚*)w 

駅前のレストランに入り、二人でサンドウィッチを食べました。
Hさんにはせっかく来ていただいたので、
少しだけ真面目な話などをして、
なにげなく昨日メガネのネジが外れたことも口にしました。

するとなんとHさんも昨日私と同じ、メガネの右側のネジが外れたそうで、
偶然の一致に驚きました。

これも何かのサインでしょうか、
「もしかして二人は前世で夫婦だったのかもしれないですね〜♪」、
などと言って笑い合いました。

旅先でネジが外れるというのはあまり嬉しいことではないのですが、
それがサインかもしれないと思うと、少しホッとした気分です。


1時半にHさんと鎌倉駅でお別れし、そのまま駅で待っていると、
数分後に鎌倉在住のサリーさんが来てくださいました。
サリーさんとも何度もメールや掲示板で交流を重ねていて、
お会いするのをとても楽しみにしていました。

サリーさんの案内で江ノ島電鉄に乗り、
鎌倉の大仏さんに連れて行っていただくことにしました。
ちょっぴりきれいでレトロっぽい江ノ電の車両です。



鎌倉から三つ目の長谷駅で降り、
大仏さんより先に花のきれいな長谷寺を案内していただきました。
結局はここで座って話し込み、大仏さんには行かなかったのですが ・・・ 。



奈良にも有名な長谷寺がありますが、関係あるのでしょうか。
真っ赤な提灯が観光地っぽさを演出します。



小さなあじさいが咲いています。



私は花の名前はあまりよく知らないのですが、
たくさんの可憐な花が咲き誇っていました。
今はきっと花にとっていい季節なのでしょう。



こういったちっちゃな花が風情があって素敵です。



階段を昇るときれいなお堂があり、
かなり立派な観音様の像が建立されていました。
なかなか鋭い気を発していましたよ。



海をバックに写真を撮ってもらいました。



「風を感じておられるみたいですね〜♪」
ということなので、さらにそれっぽい写真をもう一枚。 ^^☆



鎌倉は昨日、一昨日と雨が降る肌寒いお天気だったそうで、
私はラッキーな晴れ男だとサリーさんに認定していただきました。

サリーさんとは、
この写真を取った後、近くの長椅子に座ってずっといろんなお話をしました。

サリーさんは天理教の修養科という
三ヶ月間天理に住み込んで受ける研修の修了生で、
天理教や宗教全般の価値観も私とよく合います。

たくさんお話しした中で、私が、
「今の日本人はひとつの決まり切った理想を持ち、
 そこから外れることを嫌い、自分を減点していくような思想を持っています。
 早くそこから己を解放し、
 『減点を止めて原点に戻らないと』」
と分かりやすい語呂合わせで「レクチャー」をすると、
「サカイさんは親父ギャグ好きの関西人だ!」
と再び名誉ある(!?)認定をしてくださいました。

楽しい時間はあっと言う間に過ぎていきます。
4時を少し回った頃、サリーさんは家路につくため、
私は東京に向かうため、来た時と同じ藤沢方面行きの江ノ電に乗りました。

このホームにあるゴミ箱の緑とクリーム色が江ノ電カラーですね。





しばらくしてサリーさんは電車を降りられ、
私は一人電車の窓に映る江ノ島や線路沿いの町並みを楽しみました。
サーフィンをしている若者たちもたくさんいましたが、
サリーさん(のご主人)によると、彼らは湘南ボーイではなく、
鎌倉ボーイなのだそうです。


東京では二十年来の大親友であるOさんと会うことになっています。
Oさんに、渋谷にある岡本太郎の「明日の神話」を見たいと伝えていましたので、
渋谷で待ち合わせることになっています。

藤沢からは横浜に行こうと思い、何げなく湘南新宿ライナーに乗りました。
乗った後に、この電車は渋谷まで直通で行くということを知りました。
そしてなにげなく路線図を見てみると、
なんと、私が昔住んでいた懐かしい場所を通るではないですか♪♪

私はもう四十年も前、小学校5年生から中1までの三年間、
川崎の鹿島田というところに住んでいました。
家から鶴見操車場という大きな貨物列車のヤードを越え、
毎日小学校、中学校に足繁く通ったものです。

当時の操車場は貨物車両専用でしたが、
今は客車が走っていると聞いたことがあり、
それが今私の乗っている電車のようです。

懸命に車窓に映る景色を眺め、
子供の頃に毎日通っていた陸橋を見つけることができました!!
周りの建物は一変してしまい、あの頃の面影はほとんどありませんが、
大きな工場や、近くに見える山の形で分かりました。
その陸橋の真下には、新川崎という駅ができていました。

その陸橋を過ぎた直後の武蔵小杉という駅もまた懐かしいところです。
よく母親と一緒に買い物に行き、
南武線から東横線への乗り換えをしたものです。

その武蔵小杉の少し先は、川崎と東京の境である玉川です。
何度も走ったサイクリングコースがあり、
川縁の緑地帯にあるミニゴルフ場の施設等、ただただ懐かしいばかりです。

今回の旅は盛りだくさんの強行スケジュールですが、
空いている時間があれば、
懐かしい川崎の町を歩いてみたいと思っていたので、
まったく期せずしてその願いが少しだけ叶ってしまいました。

ほんの些細なことですが、
私にとっては偶然ではすまされない喜びです。


Oさんとは渋谷のモアイ像前で待ち合わせをしました。



モアイ像の前に、モアイっぽい金髪のニーチャンが座っています。
都会はハデな人が多いですね。

Oさんと出会って明日の神話がある広場まで案内していただきましたが、
途中の経路がどうなっているのかまったく理解することができません。
こんなに人が多く、こんなにややこしいところに、
東京の人はよく住んでいられるものです。
私にはたぶん不可能です。

どこまでも続く高い建物、人混み、・・・
こういう言い方をすると語弊があるかもしれませんが、
人が都会に住む場合、人間が本来持っている感覚の一部を、
意図的に麻痺させなければ暮らせないのではないかと感じます。

明日の神話は大きいですね。
実際目の当たりにすると圧倒されます。



この絵は広島市も設置場所として名乗りを上げたのですが、
ここ東京の渋谷に負けてしまいました。
通りかがる人の数でいえば、首都東京に敵うはずもありません。

東京では、深い地下を走る地下鉄というのも体感してみたいと思っていましたので、
Oさんにお願いして案内してもらい、
大江戸線の新宿駅に行きました。



ここに至るまで、少しだけの階段と、長大なエスカレーターにふたつ乗りました。
感覚的には、普通の建物の地下6、7階に降り立った感覚です。
これは深い! そしてちょっと恐ろしい!
高いところに立ったのとは違う、鈍くて重い恐怖感を覚えます。

Oさんと二人で新宿の町に出て、
居酒屋に入り、再会を祝して乾杯しました。
さすがに歩き回って喉がからからで。

けど私は今夜はお坊さんのお宅に泊めていただくので、
ビールジョッキ3杯と日本酒一合に留め(!)ました。

新宿駅に向かう途中の地下の公衆トイレ、
ここはサリン事件でサリンが置かれ場所のひとつだそうです。



公衆トイレを殺人の場所にするなんて、
公衆トイレ掃除を推進する私としては、ちょっと許せない気分です。


Oさんと別れ、私は山手線のホームに行きました。
これから大塚駅まで行きます。

ここで東京らしいことを体験しました。
東京駅で誰かが線路内に降りたらしく、
私の乗る方向の山手線がストップしています。

「安全確認が取れるまで運行をストップいたします」
何度も繰り返し同じようなアナウンスが流れてきます。
時間にして約15分ほど電車はストップしました。
こういうことが東京ではよくあるとは聞いていたものの、
初めての体験です。

たしかにこれだけ人の数が多いと、線路にでも降りたくなるよな〜、
ほんの少しそんな気持ちにもなってきます。

東京の人はよくこんな人口密度の高いところに暮らせるものです。
車内の周りにいる人たちが、
自分とは違う人種のように感じられます。

大塚駅に着いて降りるため、ドア付近の人たちに、
「すみません。降ろしてください」と声をかけました。

するときわめて当然ですが、無言でスペースを開けてくださいます。
その時に、
「あっ、この人たちにも自分の使っている日本語が通じるんだ!」
と、これもきわめて当たり前の事実に、なぜか軽い驚きを感じました。

私はやはり田舎者です。
けどこの大都会に対する “不適応感覚” を大切にしたいと思います。


10時半頃、大塚にある日本山妙法寺 石橋行受上人宅に着きました。
5年前にお世話になった時から引っ越しをされ、
ここにお伺いするのは初めてですが、
今はネット地図で検索すれば、ピンポイントで場所が分かるので便利なものです。

しかも街中だと、Gogleのストリートビューワーで、
画像として目的地周辺場所を見ることができます。
石橋上人はその “技” をご存じなかったので、
使い方をお伝えさせていただきました。

新しいお宅は、とても立派なのでビックリしました。
久し振りにお会いする石橋上人と、原発や平和のことについて熱く語り合いました。
石橋上人をはじめとする日本山妙法寺の方たちの、
平和に対する思いは半端なくすごいものです。

午前1時まで話をして、もうそろそろ休みましょうかと言って席を立った直後、
またまた初めての体験をしました。
私のポケットの中に入れていたケイタイが、
これまで聞いたことのない異音を発しています。

「ヴイヴイヴイヴイヴイ ・・・ 」、
何事かと思ってケイタイを取り出してみると、
福島を震源地としてその時刻に発生した地震に対する警戒メッセージでした。

東京は余震が多いとは聞いていましたが、
突然の警戒メッセージにそのことを思い出しました。

やはり関東地方に来ると、
放射能のことで少しだけ体が緊張するのを感じます。
駅や電車の中も照明を落としているところが多く、
止っていエスカレーターを見ると、
事態の深刻さが実感として感じられます。
やはり東京は、広島よりもはるかに被災地に近いのです。

2011.6.3 Friday  
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