ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > スピリチュアル夜話 > 手放すべきもの



ヨガナンダ



手放すべきもの

インドのヒンドゥー教では三つの最高神がいると言われています。
ひとつが物事を創造する神ブラフマー、
二つ目がその創造されたものを維持する神ヴィシュヌ、
三つ目が新たな創造に備え、古いものを破壊する神シヴァです。

破壊の神 シヴァ神

今はまったく新しい時代の幕開けに向けての黎明期であり、
新たな時代の価値観を創造するための準備段階として、
旧来の価値観を破壊し、手放すというシヴァ神的役割が強く求められています。


その手放すということをテーマに、
スペースクリアリングでガラクタというモノを手放し、
引き受け気功セドナメソッド今すぐ・・・で感情や心の中の囚われを手放し、
トイレ掃除もまた心の壁を手放す訓練だと思い、
これまでコツコツと地道に続けてきました。

手放すべきもの、
それは目に見えるガラクタというモノ、
そして目に見えない心の中に渦巻く様々なもの、
この目に見えるものと見えないものの陰陽が調和の取れた全体像だと
これまで考えていたのですが、
それではまだ完璧ではないと最近思うようになりました。

お風呂の中はいろんなアイデアがひらめくリラックスタイムだと言いますが、
湯舟にのんびりと浸かっている時、
モノと心だけではなく、無駄な時間というものもまた
手放さなければいけないものなのだ ・・・ ということが思い浮かびました。


すべてのものは互いに関係し合っています。
役に立たないガラクタがたくさんあると、集中力が妨げられ、
無駄な時間を費やすことになります。
心の中の感情も目を曇らせ、
本来必要ではない行動に駆り立てる要因となります。

けれどもモノと心の面からだけで時間の無駄を手放そうと思っても完璧ではなく、
逆に時間の無駄を手放そうという思いの元で、
モノや心を見ていったならば、無駄な時間の中に、
手放さなければならないモノや感情の影響がたくさん残っているということに
気が付きました。

必要以上に愛着を持っているモノ、現実から目をそらせたいという感情等々です。


私のようにきわめて怠惰な人間にとって、
無駄な時間を手放すという作業は、
モノや心の中の感情を手放す以上に何倍も困難なことです。
けどまずはそのことに気付けて本当によかったと思います。

時間を手放すということは、
言い換えれば生活習慣を手放すということです。

私は小中学校の頃は、先生に怒られる回数はクラスでダントツ一番でした。
授業は聞かず、宿題はほとんどやったことがありません。
中学校の時には、私の成績はクラス最下位ですと先生から太鼓判を押され、
母親に泣かれたことがありました。

お恥ずかしい話ですが、それから三十年以上経った現在も、
その時の生活習慣が色濃く残っています。
やはり「三つ子の魂百まで」です。

今は昔と違い、自分の内面を客観的に見つめることができるようになり、
またそれにどう対処していったらいいのかという知恵も授かっていますので、
今年はこの『時間の無駄を手放す』ということを最大のテーマとして、
心の壁をブレークスルーしていきたいと考えています。


モノ、心、時間、無駄なものを手放していくということは、
タマネギの皮をむき、その芯にある光り輝く自己を見つめる作業です。

タマネギの皮をむく時は、目から涙がこぼれます。
その涙は、苦しみの涙でしょうか、感動の涙でしょうか。
それを決めるのも、すべては自分自身です。

2011.1.31 Monday  
ひとつ前へ  ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.