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命がけ

人間の潜在意識は無限の力を持っていて、
人は脳が持っている本来の力のほんの数パーセントしか使っていない。

このようなことをよく耳にしますが、
この無尽蔵ともいえる人間の持つ能力を最大限に引き出すには、
それなりの覚悟が必要です。
「火事場の馬鹿力」という言葉があるように、
時には生命を脅かすような危機的状況に身を置くことが、
その能力を引き出す大きなキッカケとなるのです。

これを自らの意志で行うには、
よほど確固たる信念と強い意志力を持っていなければできることではありません。
私は残念ながら死の恐怖と対面したことはあって、
自ら命をかけるほどひとつのものに真剣に取り組んだことはありません。


私がインドとご縁を持っようになったのは、
4年前に偶然東京で出会った日本山妙法寺の石谷政雄上人の導きです。

偶然の縁が重なり、
東京から熊本まで石谷上人やインド人ファミリーとともに
車で二週間かけて法要の旅をし、
インドのサンカランコービル道場にも二度足を運び、
スリランカの仏舎利塔巡りもさせていただきました。

石谷上人からは何度もその壮絶な信仰生活について
お話をお伺いしていたのですが、
このたび石谷上人の活動が特集されているカルナという雑誌を読ませてもらい、
そこに書かれている石谷上人のまさに「命がけ」としか表現できないような
信仰の道のりを再び心に刻むことができ、
あらためて我が身の引き締まる思いをしています。

 <KARNA NET>

石谷上人は若い頃ヒッピーをし、麻薬をやり、
海外を放浪する生活をしておられました。

その放浪生活で訪れたインドで日本山妙法寺の開祖である藤井日達聖人と出会い、
出会った瞬間から開祖に惚れ込み、
以来日本山妙法寺の僧侶として世界平和を祈る活動の道を歩んでおられます。


インドの隣国スリランカは仏教国ですが、
ふたつの民族が長年血で血を洗う抗争を続けてきたところです。

石谷上人はそのスリランカのジャフナという町に平和行進のために訪れ、
キリスト教、ヒンズー教、イスラム教などたくさんの宗教家の方たちと平和行進を
はじめられます。

行脚しはじめたその日、大統領がヘリコプターで来て、
「行進をやめてくれ」と言われました。
テロリストたちが行進を続けるならばマシンガンで皆殺しにすると大統領に
脅迫状を送りつけたそうです。

多くの人がその場を離れる中、
何人かのお坊さんたちは行進を続け、
行進が終わった後も石谷上人は紛争の町にとどまり、
団扇太鼓を叩き、お題目を唱えながら平和の祈りを続けられました。

その間何度もピストルで撃たれたり、
政府軍とテロリストが撃ち合いをしている真ん中に割って入ったり、
足元にマシンガンを4、50発撃たれ、
その爆風で体が後ろにひっくり返ったこともあるそうです。

またある時は3、40人ぐらいのテロリストたちに
仲間の死体が並んでいる地下駐車場に連行され、
「お前に死体を見せて、今度は仕返としてお前を殺す」
と言われました。
そしてその場で仲間の死体を見ながら必死になってお祈りを続けていたら、
いつしかテロリストたちはいなくなっていたという経験もあるそうです。

石谷上人はそんな死に直面した状況を開祖に伝えた時、
開祖から「平和のために命を捧げてください」という言葉を賜り、
完全に死を覚悟の上での平和活動を続けることを決められました。

けれどもその一週間ほど後に開祖から突然、
「今すぐ南インドに行きなさい。
 南インドのタミル人が、仏舎利塔を建ててくれと要請してきました」
という手紙が届き、現在の南インドでの活動へと繋がっています。

石谷上人がスリランカを去った後、
同じ日本山妙法寺の僧侶であった横塚上人が、
彼もまた死を覚悟の上で、石谷上人の活動を引き継ぐような形で
スリランカ・ジャフナでの平和の祈りに入られました。

そして横塚上人は、その10日ほど後に、
マシンガンで脳天を撃ち抜かれて天寿を全うされます。

横塚上人はその前の日にもテロリストに鉄砲を向けられ、
そんな中でも相手の中に懸命に仏性を見いだし、祈りを続けたところ、
相手は黙って銃口を下げて引き上げたそうです。

そのことを横塚上人はお母様への手紙に書いておられます。
「実は今日テロリストに銃を向けられたけれども、
 私は一生懸命仏様を彼らの中にも見いだしたと思って拝んだら、
 向こうも殺気立ったのが収まったのか、去っていきました ・・・ 」

横塚上人は脳天を真上から打ち抜かれました。
たぶんその日もテロリストに銃口を向けられ、
そのテロリストに対して礼拝したところを撃たれたのでしょう。


時代の大きな流れからいって、
もうこれからは、これまでの既存の宗教のように戒律で人を縛り、
組織や大きな寺院を持つ宗教組織は徐々に崩壊していくでしょう。

その代わりに主流となってくるのは、
水の時代に相応しいスピリチュアリズムです。

けれどもそれが完全に入れ替わるのには時期尚早です。
この命がけで自分の信じる絶対的なものに対峙する尊い姿は、
現世御利益のみを求めているスピリチュアリズムの比ではありません。

この人間の持つ根源的な強さを引き出すには、
やはり今の段階では宗教が大きな力を持っていると言わざる得ません。


石谷上人をはじめ小野春子さん、天理教の先生、・・・
私は本当に素晴らしい命がけの信仰を持つ宗教家の方たちと
これまでご縁をいただくことができました。

そこから学ばせてもらったことを、
今度は私を通して多くの人たちに返していく番です。
そのためには、私自身が石谷上人のような真剣な生き様を
万分の一でも身に付けていかなければなりません。
そのために再びカルナという雑誌を通して石谷上人との出会いがあったのでしょう。

本当に不思議です。
石谷上人からカルナに載っているということは聞いていませんでしたし、
またカルナという雑誌そのものも私はつい先月まで知らなかったのですから。

たまたま先月オープンした広島最大の書店に行ってカルナを目にし、
興味を持って手にとって読み、
家のパソコンでカルナのことを検索し、
バックナンバーにある石谷上人の記事のことを知ったのです。


この写真はインドのサンカランコービル道場の仏舎利塔建設現場で、
インド人労働者とともに作業をし、コーヒーを飲みながら一服しているところです。

石谷政雄上人と木村千種庵主さん

手前にある果物はパパイヤです。
お寺の中にパパイヤはたくさんなっていて、木村千種庵主(あんじゅ)さんが、
コーヒーとパパイヤを用意して持ってきてくださいました。

サンカランコービル道場では毎朝4時過ぎからお勤めがはじまり、
一時間半の読経が終わった後は、
外に出て仏舎利塔や菩提樹の木など各所に礼拝します。

そのお堂を出た最初に拝むのが、
東の空から昇ってくる限りなく美しい朝日です。

日本山妙法寺サンカランコービル道場の朝日

この朝日を拝む時の心が洗われるような清々しい気持ちは、
とても言葉では言い表すことができません。

この写真を見ていると、
またインドに行き、朝日に向かって手を合わせたくなりました。

次回石谷上人とお会いする時は、前の自分とは違う私になれるよう、
それを自らの課題にしたいと思います。

2010.11.16 Tuesday  
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