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心の傷

「心の傷」とでも呼ぶべき過去の苦しい記憶が、
その人の人生に大きな影響を与えているということは、
今や多くの人の知るところとなり、
トラウマやPTSDという言葉もたびたび耳にするようになりました。

一昔前までの日本では、心を病んで治療を受ける精神科の病院は、
「き○がい病院」などと揶揄されていましたが、
現在は鬱や摂食障害、ストレス等で心療内科にかかることは
何ら恥ずべきことではなくなりました。

何事も努力、根性で乗り越えられるという日本的精神文化から、
ひとつより成熟した文化へと発展したのかもしれません。


意識するしないに関わらず、その人の持つ過去のすべての出来事は、
その人の人生を形作る大きな役割を果たしています。

セドナメソッドでは、様々な感情を手放すひとつの手法として、
ペンを手に握りしめ、ひとつの感情を手放すことを宣言すると同時に、
手のひらを広げてそのペンを手放すというワークをします。

過去の記憶というのはこのペンと同じです。
それを手にした時にはしっかりと意識されますが、
長年それを持ち続けていると、
ペンを手にした手のひらに「ペンを持っている」という感覚がなくなっていくように、
その記憶が心の奥にあったとしても、その存在が分からなくなってしまうのです。

そしてその過去の記憶という存在が、
現在の自分の行動にどのような影響を与えているかは、
それを手放した時によく分かります。

これもペンと同様です。
長い間握りしめていたペンを手放した手のひらは、
本来の自由を取り戻し、軽くなった心地よさを感じると同時に、
その手を使って新しいものをつかみ取ることができるようになります。

過去の様々な感情を手放すことにより、心は自由になり、
子どものような純粋な目で人や物事を見つめられるようになります。
それには年齢は関係ありません。


過去の苦しい記憶、感情が、抑圧された形で心の奥に眠っている場合、
それは必ず歪んだ形でその人の人格、行動の上に現われてきます。
これは一度きちんとクリーニングしなければなりません。

けれども同じ苦しい記憶でも、それを自分がしっかりと認識している場合、
それを自分の行動や感情をコントロールしていく糧として活かすことができます。


昨日ネットを見ている時、キャビンアテンダントの方の感動的な話と出合い、
それをすぐに「感動するコピペ」としてアップしました。
  <空の上で本当にあった心温まる物語>

心臓病を患って寝たままの娘さんとご両親が飛行機に搭乗し、
そこでキャビンアテンダントや他の乗客の方たちから受けた心温まるエピソードです。
動画を見て、その文章をキーボードで打ちながら、
目からは自然と涙がこぼれてきました。

たまたま迎えた機内での誕生日に、多くの人からお祝いをしていただけたという
素晴らしいエピソード、それに心打たれたということもあります。
そしてそれと同時に、自分の過去の様々なことが心の中に蘇ってきたのです。

ほんのささいな心遣い、それがいかに人を幸せにできるのかということは、
身に染みて分かってはいるつもりです。
分かっているつもりですが、それが常に行動として現われるかというと、
それはまた別の問題です。


今年の4月から6月はじめにかけて一ヶ月半インドに行って来ました。
最後の滞在地であるチェンナイのホームでの一時は、
私にとってはまさに楽園でした。

可愛いたくさんの子どもたちに囲まれ、どこに行っても引っ張りだこ、
心が洗われるとはこういうことを言うのでしょう。
やはり私にとってインドは心の故郷であり、
輝く笑顔をたたえた子どもたちと過すことのできるホームは、
どんな高級リゾート地にも勝る天国に最も近い楽園です。

子どもたちはとにかく写真を撮ってもらいたがります。
カメラを自分で触るのも大好きで、
あまりしつこく迫ってくるものですから、
すべての要求に応えることはできませんでした。

私はホームの中にある豪華なゲストハウスで寝泊まりさせてもらいました。
そこで自由に行動させてもらっていたのですが、
食事の時間になると、誰かが必ず呼びに来てくれます。

6月4日、チェンナイでの最後の日のことです。
このことは日記にも書きましたので、その日記の文章を再掲します。


  部屋に戻り、明日出発するための荷物整理をします。
  8時半過ぎ、小さな子どもたち二人が、夕食の準備ができたと
  私を呼びに来てくれました。

  まだ小学校の低学年ぐらいの男の子二人でしたが、
  彼らは他の子どもたちと同様に、二人だけの写真を撮ってくれと言いました。
  私は疲れているのと夜暗いし、ほとんど条件反射のように
  「暗すぎるから無理だ」と断ってしまいました。
  けどそのことが後になってとても心に引っかかったのです。

  私にとって写真を撮るなんてたわいもないことです。
  ただカメラを向けてシャッターを押すだけで、
  昔のように消耗品であるフィルムを消費することもありません。

  彼らもただ写真を撮ってくれと言うだけで、
  そのデータをくれとか、写真をプリントして欲しいと言うわけではありません。
  ほんのささやかな望みです。

  なぜ私はそのささやかな望みを叶えてやれなかったのか、
  なぜその時、自分の気持ちでしか物事を判断できなかったのか、
  後になって自分の無神経さを感じ、とても悲しく情けない気持ちになりました。

  この三月に「母への思い」という文章を書きましたが、
  そのことが自分の心にまったく生かされていないことを知り、
  母にも、その男の子たちにも、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

  彼ら二人の男の子のことはいつまでも頭の中に留めておき、
  同じ過ちをしないよう心します。
  ごめんね。


この時の思いが「空の上で本当にあった心温まる物語」を読みながら蘇り、
無性に自分が情けなくなって泣けてきたのです。

あの時、ほんの一二回シャッターを押すだけで、
男の子たちはきっと満足してくれたでしょうに ・・・ 。
この記憶は今でも私の心に重くのしかかっています。

これはこの時だけの問題ではありません。
情けないことに、これがその時の本当の私の心の有り様だったのです。

この「心の傷」は、自分の大切な反省材料として、
いつまでも心の中に留めておきたい思い出です。

そして今度またインドに行った時には、
本当に素のままの自分で、素のままの子どもたちと
一期一会の純粋な心の交わりを持ちたいと心から願ってます。


過去の記憶や感情のクリーニングとは、
過去の苦しい記憶を消し去ること、手放すこと、
そしてそれを苦しみではなく、喜びを導くための糧とすることなのだと思います。



2010.11.9 Tuesday  
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