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間違いのないもの

生きる目的が何かを感じ、学ぶことであり、
どこかひとつのゴールを目指して進むべきものであるとしたならば、
そこに至る道は様々でしょう。

東西南北どこから登るのか、
歩いて登るのか、何か乗り物に乗るのか、
人によっては途中で穴を掘って休憩する人もいるかもしれません、
濃い霧の中、自分では前に向かって進んで行っているつもりでも、
まったく前に進んでいない人もいるかもしれません。

現代はものや情報があふれている時代です。
自分にとって最も適した登り方は何なのか、
それを見つけるには、
何かを手に入れようと外に向けて目をこらすより、
余分なものや考え方を手放し、
自分の足元をしっかりと見つめることが大切ではないかと感じています。


「いいもの」はそれこそ山のようにたくさんあります。
書店に行くと、
生きるための指針について書かれた本が数え切れないぐらい出ています。

そんな中、絶対に道を誤らないようにするためにはどうすればいいのか、
これだけは「間違いのないもの」として大切にすべきものは何なのか、
そんなことを考えてみました。
それは私自身が普段から肝に銘じていることでもあります。


この時空の基本法則のひとつは共生であり、バランスです。
陰と陽、ふたつの対極のもののバランスが取れているから安定し、
循環しながら成長していくことができます。

知識と経験、これもバランスが大切です。
学んだ知識を経験(体験)を通して活かすことができ、
体験を通して人から与えられた知識が自らの知恵となります。

知識と経験のバランスが崩れ、知識が先行し、
「頭でっかち」の状態になってしまっては、まともな判断ができなくなり、
大きなミスを犯す危険性が出てきます。

職場でも家庭でも学校でも、またスピリチュアルな分野でも、
現代はこの頭でっかち知識偏重に陥っている人が多いのではないでしょうか。

経験だけを積んで知識がないというのもよくありませんが、
このことはあまり耳にすることがありません。
それは現在あまりそういう人はいないということとともに、
自らの経験から得た知恵は、人から与えられた知識を凌駕するものがあるからです。
昔の職人の世界がそうですね。

知識とは頭から入ってくるもの、
感覚器官が集中している頭部から情報が入り、それを脳で処理します。

経験とは自らの体を使うこと、
脳に入った知識や情報が体を使うことによって体の中に入り、
脳と非常に似たフラクタル構造を持っている腸に落とし込まれ、
体の奥、腸の奥底から知恵としてわき上がってくるものと考えられます。

    当然こんな学説はないのですが、
    体の構造と時空(宇宙)の構造を対比すると、
    こうとしか考えられません。

脳と腸 知識と知恵

己というひとつの存在があり、
その周りに自らが想像した外部の存在があり、
その外部から直接的に刺激を受け、反応するのが脳であり、
その知識を時間をかけ、体験を通して知恵として昇華(発酵?)させるのが
腸の役割です。

    長期熟成させた植物性発酵食品である味噌が腸の働きをよくするのも、
    働きの理合いが似通っているためでしょう。

脳と腸、知識と経験は、本来は対等でバランスを取るべき存在なのですが、
腸、知恵の方がより根底の存在であり、
こちらが先行している方がバランスが崩れにくいということがあるのだと思われます。

それともうひとつは、今は時代の大きな転換期を迎え、
その転換期の中心へと急速に進みつつあるところです。
それゆえ今はそれまでの価値観をすべて捨て去り、リセットし、
新たなものを受け入れる準備をしなければならない時期なので、
旧来の知識というものを「手放す」ことを求められ、
これまで以上に知識よりも根底であり普遍の知恵が大切になってきているものと
思われます。


私が説明するとものすごく理屈っぽくなりますね。
すべての価値観が入れ替わろうとし、混沌としている現代は、
頭で何かを判断しようとするのではなく、
自らの体を使って普遍的な知恵を感じ取ろうとする姿勢が大切であり、
間違った道へ進まない良策だと考えられるのです。

体を使って感じる知恵、目に見えるものに対する行動、
私にとってはそれがガラクタを捨てるスペースクリアリングであり、
公衆トイレ掃除でありガム取りです。

土木作業現場の仕事を十年続け、
体が頭よりも先行しなければ、それこそ体で危機感を感じるようになりました。

何かいいことを学んだり、知識として習得したら、
それに匹敵する以上の何らかの行動を起さないと、
体がムズムズしてくる感覚を覚えます。
これは私なりの危機管理であり、防衛本能です。

私のしていた土木の仕事は、日雇いの人夫出しであったり解体作業員であったり、
土木の中でもほぼ底辺の仕事です。
トイレ掃除もそうですが、底辺の下座行の方が学べるものが多いように思います。


行動の大切さは多くの宗教でも説くところでしょう、
社会福祉活動を行っている宗教はたくさんありますし、
禅寺では作務という日常の労働を大切にします。
私の学んだ天理教でもひのきしんという奉仕活動を積極的に行っていました。

知識より知恵、理論より実践、
行動することによって知恵が生まれ、真理は言葉では語れない、不立文字。

心しなければならないことです。

2010.9.12 Sunday  
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