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利他的な愛<2>
私は毎晩スーパー銭湯へ行き、
一時間以上のんびりと長湯を楽しむのですが、
その間、体との対話、爪もみ、呼吸法、ホ・オポノポノ、引き受け気功、
そして肛門を引き締めるムーラバンダを千数百回から三千回ぐらい行います。
日々の入浴タイムは、私にとって最も楽しくて大切なヒーリングタイムです。
いろんなことを行いながら、
自分の幸せ、身近な何人かの人の幸せも祈っています。
私はボランティア大好き人間で、
相手が喜んでさえくれればどこまでも奉仕をしてしまい、
最後は自分自身がたち行かなくなってしまうこともあるので、
その戒めとして、まず順番として人の幸せを祈るより先に、
自分の幸せを心を込めて祈るようにしています。
私にとっては、それがバランスを取ることであり、
ひいては他人の幸せにも通じると思えるからです。
お風呂の中では様々なメニューをこなす順番が決まっています。
まず自分のことを祈り、そして身近な人の幸せを、となっているのですが、
まず優先して祈る自分のことよりも、
やはり身近な他人の幸せを祈る方が祈りやすく、
その思いが心の底深くに染み渡っていくような感覚を覚えます。
これは私がボランティア型人間だからということも多少はあるのでしょうが、
前項で述べたように、
やはり他人の幸せを願うことが最も尊い行為であり、
お互いに幸せを願い合い、その思いを循環させていくことが、
より良い人間関係を築き幸せになるための真理なのだと感じます。
祈る方法はいろいろですが、
その人に感謝の言葉をかけたり、光に包まれているところをイメージしたり、
考えられるいろいろな方法でその人の幸せ、喜びを祈っています。
けれどもその人が「幸せでありますように・・・、喜びに満たされますように・・・」
と祈るには、心の中にそのための動機付けが必要です。
その人が好きだから、とてもよくしてもらったから、
心からその人に幸せになってもらいたいと願っているから、・・・
こう思えているうちはいいのですが、
何かその人と感情的な行き違いがあり、
純粋な気持ちでその人の幸せを願えなくなったら、
その人に対する心からの祈りを捧げることができなくなります。
祈りとは、ある特定の時間、強い思いを込めて念じること、
そして願いとは、日常心の中にある強い願望であると捉えています。
(個人的な定義です)
周りのものすべては自らが創造し、引き寄せたものですから、
身近なものや人こそが、自分にとって最もいい学びの教材だと考え
創り出したものであるはずです。
様々な感情をクリアーにし、身近な人たちの中から愛や許しを学ぶことが
スピリチュアルな世界の本筋です。
その本筋から目をそらし、いくら高額なヒーリングやセミナーを受講したところで、
いつまでたっても根本的な人生の課題を克服するには至りません。
最高の学びの教材であるにも関わらず、
様々な感情が交錯し、心からその人の幸せを願えない場合、
少しだけ、自分からその人を見る位置を変えてみればいいのです。
いつも意地悪をする上司、同僚、愛想の悪い近所のおばさん、
長年の恨みが積もった親兄弟、
そういった人たちの幸せをストレートに願い、感謝するというのは、
誰にとっても無理な話です。
無理なことを思い続けると、それが心の重圧となり、
できないことで自分を責め、罪悪感を背負い込むことになります。
聖人君子ではないのですから、不完全な自分を認めることも大切です。
相手に対してストレートに幸せを願えない場合、
自分はその人から何を学んだかに焦点を当ててみてください。
すべての出会いは自分が望み、創り出したものであるはずですから、
どんな嫌な相手でも、自分が学び、感じ取れる何かを与えてくれているはずです。
大嫌いな○○さん、その人の幸せを純粋な気持ちで願えないのは当然です。
けどその○○さんと出会うことで、
言葉は人を傷付けるということを知りました。
困っている人には親切にしなければならないということを知りました。
人に□□□のことをしてはいけないということを学びました。 ・・・
そんなふうに考えれば、その人に、その人との出会いのご縁に感謝できるはずです。
相手が ・・・ だからその人の幸せを願う、のではなく、
主体を自分に置き、
私がその人から ・・・ を感じ、学ばせてもらった、だから感謝します、と思うのです。
嫌いな人のことを頭に思い描き、
「○○さんが幸せでありますように ・・・ 」と思うのではなく、
「○○さんのお陰でこんなことが学べました。ありがとう ・・・ 」
と思うのです。
これなら誰にでもできるのではないでしょうか。
いつも言っている「主体性が最も大切」ということが、
こんなことからも分かっていただけると思います。
そしてその主体性がない限り、物事に対してより良い判断もできないのです。
すべては学びの教材、気づきの教材です。
『人間の幸不幸は自分の心が決める』のです。
2010.9.8 Tuesday
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