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祈りと願い

思いは通じ、心の中で描いたものは現実化する。

想念の力がきわめて大きくなり、
スピリチュアルなことが日常的に会話されるようになった現代では、
程度の差こそあれ、これは誰しもが持つ共通認識だと感じています。

思いとは、普段頭の中に持っている思考と、
一時的に強く念じること、大きくこのふたつに分けられます。

祈りと願い、このふたつの言葉の正確な定義付けはよく分からないのですが、
私の頭の中では、
祈りとは、ある特定の時間、強い思いを込めて念じること、
そして願いとは、日常心の中にある強い願望であると捉えています。

病弱な母親を看病している人が、目を閉じ、両手を合わせ、心の中で
「どうか母の病気がよくなりますように」
こう念じる時、これが祈りです。

その方は、お母様の快癒を手を合わせて祈っている時だけではなく、
普段からお母様のことを心の中で強く案じておられることでしょう。
その日常の心の持ち方、これが願いだと考えています。


「引き寄せの法則」等心が目に見えない強い働きをするのは、
表面意識の下にある潜在意識の働きです。

ですから祈りとは、思いを強く潜在意識にインプットする作業、
願いとは、その潜在意識に入った思いが
常に働いている状態を指すとも言えるでしょう。


潜在意識は、表面意識の働きとは関係なく、
24時間休むことなく働き続けています。

誰かの名前をど忘れし、一生懸命思い出そうとしても思い出せず、
数時間後、まったく関係のない家事をしている時、
突然フッとその人の名前が浮かんでくることがよくあります。
これなどは潜在意識の働きを示す好例です。


もう二十年ほど前、
修行を積んだある高名な気功治療士の紹介が雑誌に載っていました。

彼の元には難病を治して欲しいという方が大勢訪れています。
彼はその人たちに向かって気を送ります。
しばらく気を送ると、その人たちはその場に座らせたまま、
自分は本を読んだりテレビを見たり別のことをし始めました。
それでも治療は継続されているそうです。

その気功師曰く、
「一度気を送り、その思いが潜在意識に入ったら、
 あとは表面意識がテレビを見ようがゲームをしようが、
 そんなことは関係ないのです」
とのことでした。
理屈としては分かりますが、その割り切り方には驚きです。


いくら一時的に祈りでもって「いい思い」を心にインプットしても、
日常的な心の持ち方である願いが否定的なものであれば、
祈りは実を結ばず、けっしていい結果を生むことはありません。
  <潜在意識は不眠不休>

神仏の前でいかに神妙な面持ちで祈っても、
普段の自分が変らなければ、
それがまったくとは言いませんが、大きな功を奏することはないでしょう。

祈りとは、自分自身の普段の心遣いである「願い」を変えるためのもの、
祈りの対象は自分自身の心、
そう考えるのが、誤った方向へ進まない最善の道かと考えます。


祈りと願いのバランスというのは、
人によって微妙に異なるのではないかと感じています。

超理想主義者である私は、理想を求める気持ちがとても強く、
こうと思ったら、ひとつのことをいつまでも強く念じ続けることができます。

平成元年に「文明法則史学」と出合い、
その時激しい衝撃を受けてから、これまで約二十年間、
生命とは、これから始まる新しい東洋の時代の理とは何かということを、
ずっと強く念じ、求め続けてきました。

この思いはきわめて強いもので、
「この二十年間、一年365日、一日24時間、休むことなくもとめ続けてきました」
と堂々と語れるぐらいのものです。

正直、どんな時にでも「時空の真理」といったことが
頭の片隅から離れることはありません。
だからこそ、これまで様々な情報が私の元に引き寄せられてきたのだと思います。


またきわめて世話好きな正確のため、
人から困ったことの相談を受けると、
自分の立場を忘れてしまうほどその人のことを心配し、のめり込んでしまいます。

今はたびたび病気の人から祈って欲しいということを頼まれるのですが、
連絡を受け、その人のことを強く思い、快癒を念じただけで、
特別時間を取って何らかの祈りを捧げる間もなく変化が現われたという
報告をよくいただきます。

念じる力が強いということは、
言葉を変えれば、「思い込みが激しい」ということにも通じるのかもしれませんが、
私は祈りよりも願いの力が強いタイプではないかと感じます。

特定の言葉を使って祈る(意宣る)、これは自分に対する宣言のようなものです。
それに対して願いとは、自分の心のあり方そのものです。

ストレートな直球人間の私が、
祈りよりも願いの力が強いのは当然のことですね。


引き受け気功ホ・オポノポノ、あるいはどこかの聖地に出向いたり、
特定の手法を使って心を変えるテクニックは数多くありますが、
それらが大きな効果を生むのは、
その「祈りの手法」によって自分自身、あるいは自分自身の心のあり方である
「願い」というものが変化するからです。

何事も他人任せ、もの任せでは素晴らしい結果は生まれません。
すべては自分自身の思いが創り出すもの。
そして主体はあくまでも自分自身です。

  念ずれば花開く  (坂村真民)

2010.8.14 Saturday  
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