純正律 | ||||||||||||||||
私たちが通常耳にする音楽の音階は、 平均律という1オクターブを均等に分割した音律によって形作られています。 1オクターブ上の音というのは2倍の周波数の音、 その2倍に至る周波数を、 均等の比率(倍率)で12分割したものが半音で、半音で隣り合う同士の音は、 2の12乗根(その数を12回掛け合わせると2になる数字)倍の比率となります。 これは少数で表すと1.0594 ・・・ となり、終わりのない少数です。 また2の12乗根は無理数ですので、分数で表すことはできません。 また同様に、2の12乗根は何度掛け合わせても、 その掛け合わす数が12の倍数でない限り、無理数のままです。 無理数とは分数で表せないということです。 つまり平均律で作られた音階は、 オクターブ違いの音以外、どんな音程同士を組み合わせても、 けっしてきれいな和音にはならないということです。 けれども平均律はすべての音が均等の比率で配置され、 転調、移調が容易であるというきわめて大きなメリットを持つがゆえ、 広く一般的に使われるようになっています。 <平均律 - Wikipedia> その平均律の欠点を是正し、 音楽の中できれいな和音を響かせたいという目的で生まれたのが純正律です。 (歴史的な関係はよく分かりません) 純正律は、ある特定の調に合わせ、 その中で和音がきれいに響くよう、 均等(等比)の縛りから外れ、基本音との響きに合わせて音階を調整したものです。 例えば、ドミソの和音は、純正律では 4:5:6 の周波数比率となり、 音が溶け込むようにきれいな響きを聞かせますが、 平均律ではそれぞれの音の比率は無理数関係ですので、 音の波はいつまで経っても重なり合うことはなく、 その音のズレがうなりとなって音を汚す結果となってしまいます。 <純正律 - Wikipedia> 手間のかかる純正律の音楽は、 日常ほとんど耳にすることがないのですが、 先日買った雑誌に純正律の音楽が付録CDとして付いていて、 久し振りに聴くその純粋な音色に、すっかり魅了されてしまいました。
音の印象を言葉で表すのは難しいものです。 心にしみる音、音楽という言葉がありますが、 純正律のきわめて透明で純粋な音は、 心に “しみる” のではなく、体の根本に直接響いてくる、 そんな印象を持ちました。 まさに汚れを知らない音の宝石といった趣です。 雑誌の中には、純正律の音楽を聴き続けることにより、 耳鳴りや突発性難聴が治ったという例も報告されていますが、 そういうこともあるのかもしれません。 最近は音楽を制作するかなりの部分をコンピュータが管理するようになりました。 ですので、音階を調整するといったことも 以前と比べると容易に行えるようになったのではないかと思います。 純正律は汎用性の低い、ある意味とても不器用な音律ですので、 「どんなジャンルのどの曲にでも純正律を当てはめれば美しい響きになる」、 といったものではないのですが、 音楽を作り、奏でる人たちは、 もっともっとこの美しい響きというものを大切にしていただきたいと思います。 音は私たちの心にダイレクトに響き、音と精神は深い関連性を持っています。 にも関わらず、私たちはその音に対してあまりにも鈍感なのではないでしょうか。 ものあまり日本を象徴するように、 都会は様々な喧騒にあふれています。 ショッピングアーケードの中では、あちらこちらから異なった音楽が鳴り響き、 それを聞いているだけで船酔いのような気分になることがあります。 ケイタイ等電子機器から流れる音楽の中には、 あきらか音程の激しくずれたものがあります。 ヨーロッパのある国では、軒先にかかった鈴ひとつでもきちんと音階を取っている と聞いたことがあります。 本来花鳥風月を愛でることのできる日本人は、 そういった細やかなところにまで神経を行き渡らせることができるはずです。 中学校の時、 = 1.41421356 ・・・ が分数で表せない無理数だと知り、 とても驚いた記憶があります。 「なぜなんだ! これは神様のイタズラか?」 そんな風に思ったものです。 純粋な響きを求め、平均律と純正律で頭を悩ませるのも、 ちょっとした神様のイタズラが原因なのでしょうか?
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