音の魔術<2>
「音の魔術」に書いたように、今からちょうど四週間前の12月1日、
エレクトーン奏者藤原由紀さんの愛機D-DECKは、
ローゼンクランツの貝崎静雄さんの手によってチューンナップされ、
見違えるように音がよく鳴るようになりました。

今回はその第二弾として、D-DECK本体とスピーカーを結ぶケーブルを換え、
音をさらにリファインさせていこうという計画です。

一昨日、貝崎さんには六日前に行われたクリスマスディナーショー
藤原さんの演奏をビデオを聴いてもらい、
そのチューンナップされたD-DECKの音を確認していただきました。

その華やかでリズミカルな音の流れは、
チューンナップする前のD-DECKとはまったく別物です。
エネルギーと音楽の喜びに満ちたその音は、
ビデオを映し出すパソコンの画面やスピーカーからでも
十分に感じ取ることができます。


約束の午後1時に貝崎さんのところに行くと、
早めに来た藤原さんが楽器のセットアップを終え、
ソファーに腰を下ろされたところでした。

まずは今の状態での生音を聴かせていただきました。
藤原さんがD-DECKの前に座り、鍵盤の上にそっと手を添え、
軽く旋律を奏でて音が出た瞬間に驚きました。
音楽の流れがよりリアルになり、音と音とがより鮮明に分離し、
あの素晴らしかった23日の演奏から音的にも音楽的にもさらによくなっています。

なぜこんなことになるのでしょう。
チューニングしてから日にちが経ち、
何度も音を出すことによって音がよりこなれてきたのか、
または彼女自身が大きなステージを経験することによって
心の中に何かをつかみ、
それが音楽表現力の向上という形で表に現れてくるようになったのか、
その真の理由は分かりませんが、
たぶん後者の彼女の内的変化によるものが大きいと思われます。

プロの音楽家にとって愛する楽器の変化は、
その人の生き方、考え方をも左右すると言って過言ではないものです。


今日は貝崎さんがMusic Sprit のSteady を使ってケーブルを作ってくださいます。
Steady は構造だけではなく、中に使われている一本一本の導線、
撚りピッチに至るまで貝崎さんの思想に基づいた設計による
ローゼンクランツ完全オリジナルケーブルです。



そのケーブルを、音楽信号が最もスムーズに流れる長さにカットします。
そして両端に取り付ける標準ジャックもたくさん数あるものの中から選別し、
それをバラバラに分解し、
どのパーツをどこのどの部分に取り付ければいいかを吟味します。
貝崎流スペシャルカスタムチューニングです。



それらを一本一本丁寧に半田付けしていきますが、
その使う半田もローゼンクランツ特注品です。


まずは(聴く人から見て)左チャンネル用のケーブルが完成し、
左側ケーブルだけを取り替えて聴いてみました。



まだ音楽信号を流し始めたばかりのケーブルの音には堅さが見られるものの、
最適な条件に整えられたケーブルからは、
これまでは聞けなかった端正で凜々(りり)しい音が鳴り響きます。
これぞまさに “正しい音” といった厳とした佇まいがあります。

演奏している藤原さんは、
当然ながら聴いている方よりもさらに大きな違いが感じられるはずです。
彼女の言葉によると、
「左側のスピーカーからグイグイ体を押されているようだ」とのことでした。
左右のスピーカーから出る音は、それぐらい大きな差を感じさせます。


その時、普段の生活の場で常に最高の音を聴き、
最も厳しい批評家であり、また藤原さんの高校の先輩である
貝崎さんの奥様が二階から降りてこられました。

奥様は生まれ変わった藤原さんのD-DECKの音を耳にして、
以前よりも音に広がりが出て音楽が流れるように聞こえ、
また奏でられる多彩な音もきれいに分離して、
これならレストランで食事しながらでも心地よく聴くことができると大絶賛してくださいました。

女性の感性は鋭いですね。


いよいよ右側のケーブルも完成し、
左右二本のケーブルを並べてD-DECKに差し込みます。
その差し込まれた姿を見ているだけで、
楽器に命が吹き込まれたかのような感覚を覚えます。



ここで出てきた音をどう言葉で表現すればいいのでしょうか、
音的にも音楽的にもさらに研ぎ澄まされ、無駄がなくかつ豊かであり、
出てくる音楽に対して真摯に向かい合わざるえません。

かっての藤原さんは、
自分の内側からわき出る音楽に対する思いと技術を、
それを伝える手段である楽器に表現させるため、
楽器を懸命に手なずけているといった印象がありました。

それが四週間前に楽器をチューニングしたことにより、
楽器の音楽表現力が格段に向上し、
自らの思いをより自由に表現できる喜びを感じさせるようになりました。

けれど今度はその楽器の能力が飛躍的に高まりすぎ、
それを操る藤原さんの方がその能力に引っ張られ、
逆に藤原さんの方が戸惑いを感じているのが聞いていてよく分かります。

これまで鼻歌交じりで片手で運転できていた車が急に高性能になり、
両手で必死にハンドルを握らなければ、すぐに道を逸れてしまう、
そんなような危うさを感じます。

これまで流れに任せて奏でていた指使いの様子がよりシビアに表現されるようになり、
聴いていても、まるでコンテストの審査員をしているかのような緊張感が走ります。

演奏者である藤原さんと愛機D-DECKは切っても切れない一体の関係です。
互いに励まし合い、助け合い、
これからお互いに引っ張ったり引っ張られたりしながらも、
双方はより高みへと昇り詰めていくのでしょう。
D-DECKにも藤原さんにも、
もっともっと高いところまで行くことのできる潜在的可能性を感じます。


ここまで来ると、
さっきまであれだけ魅力的に感じていた六日前のディナーショーでの演奏が、
実に平板で陳腐な音に聞こえてしまいます。

ディナーショーでは、
リズミカルなものから静かなものまで、様々なジャンルの曲を演奏されたのですが、
精悍な肉体を持つ彼女の特性かエレクトーンという楽器の持つ特徴なのか、
アップテンポの曲はノリがよく楽しく体をスイングさせながら聴くことができたのですが、
ゆったりとした叙情的なメロディーの表現は、正直今ひとつといった印象でした。

それがこのたび左右二本のケーブルを交換し、
音と音楽表現に深みと味わいが出てきたことにより、
風と共に去りぬの「タラのテーマ」のような壮大でゆったりとした曲も、
その旋律の裏にある情感といったものを受け止めながら聴くことができるようになりました。

多彩な音の表現手段を持つエレクトーンD-DECKが、
本当の意味でのオールマイティー型に一歩近づいてきました。


貝崎さんが面白い試みとして、
貝崎さんの左手首にはめていた念珠を藤原さんに渡し、
この状態で演奏してみるようにと言われました。



香川県の善通寺で買われたその念珠には般若心経が刻まれていて、
貝崎さんによると御大師様(空海)のパワーが込められているとのことです。

この念珠を身に付けて演奏するだけでも音は変わります。(本当です!!)
音から毒気が抜け、
これまで血液や深紅のバラのような濃い赤色をイメージさせていた音が、
より爽やかな色に変わったように感じます。

演奏している曲の中に鐘の音が響く部分があるのですが、
その鐘の音が、まるでお寺の鐘のように聞こえてきて、
驚く以上にとてもユーモラスで可笑しく感じられました。
これは藤原さんにもまったく同じように聞こえたそうです。


今度も絶対に効果があるぞということで、
藤原さんの右手首にローズ・バイブレーションを両面テープで貼り付けてみました。



そこに描かれているバラの花びらのような模様の力で振動を広げ、
演奏する藤原さんの体から腕、手首を通してD-DECKへとエネルギーを伝えていきます。
またD-DECKにもローズ・バイブレーションが貼られていますので、
これで演奏者と楽器とがより調和の取れた関係になるという効果もあるのです。



この音の違いも一瞬で分かりました。
この音は素晴らしい ・・・ 。

これはこれまでの延長線上で音がさらによくなったのではなく、
これまでとは違う、新たな別の世界が開けてきました。

まさにバラの花びらのように音が可憐に広がり、
また音自体も可憐で可愛らしくなり、
藤原さんとは別人の、
汚れを知らない純真な少女が弾いているかのような音になります。
  (藤原さんが汚れているという意味ではないですよ♪)

そして極めつけは、
さっきまでは藤原さんと楽器とが対立し、
互いに真剣勝負を挑みながら高い音楽を作り上げている
といった緊張感があったのですが、それが消え、
藤原さんと楽器とが一体となり、
仲良く手と手を取り合ってダンスを踊り、
微笑みながら音楽を楽しんでいるといった感じになりました。

そのダンスはもしかしたら少しずつ横にずれ、
道から外れて転げてしまうこともあるかもしれません。
けれどもしそうなったとしても、
その転けた姿ですら楽しく見つめていることができるぐらい、
柔らかく溶け合った藤原さんと楽器との関係は喜びにあふれています。

さっきまでの「もし弾き間違えたらどうしよう ・・・ 」
と聴いている方にまで緊張を強いるような
そんな張り詰めた雰囲気は完全に払拭されました。

これはまた音によって聴き手の内的変化をも引き起こすようになったとも表現できます。
これまで聴いていた流れるような音楽の旋律は、
体を自然とスイングさせるような外的変化を与えてきましたが、
この藤原さんの手に貼り付けたローズ・バイブレーションの働きにより、
音楽が体の中の心にまで浸透し、
胸の内が音楽に合わせて喜びのスイングをしているのを感じます。


ローズ・バイブレーション一枚でこんなに音が変わるのは驚異です。
たぶん普通の人にはにわかには信じられない世界かもしれませんが、
これは心と体で感じる紛れもない事実です。

私は音に関してこれまで何度となく常識を越えた体験をしてきましたので、
これを驚くことはあっても信じられないと感じることはありません。
音によって深い真理の一端に触れることができたことを、
ただただ喜びとするだけです。


演奏者と楽器が一体となるというのは、
音楽表現におけるひとつの極みです。
それを目の当たりにして、
心の中で、自分もステレオによって音を追い求めていきたいという思いが
再び芽生えてきました。

昨年秋から今年の秋口にかけの約一年弱の間、
様々なローゼンクランツのオーディオケーブルをテストし、
いろんなことを感じ、それとともに自分の人生を拓いていくことができました。
  <清貧オーディオの極(RK-AL12/Gen2) by N.S>

音の人に与える影響、学び取れるものはとてつもなく大きいものです。
それを身を以て感じ、また証明してきました。

けれど今はテストも終わり、
預かっていたケーブル類はすべて返却し、
ここ数ヶ月、CDラジカセとパソコンからでしか音楽が聴けない状態になっています。
いったんローゼンクランツの素晴らしいケーブルの音を聴いてしまうと、
もうそこらのメーカー製ケーブルの音はまともな音楽として認識できなくなり、
中途半端なステレオの音は聴けなくなるのです。

せっかく手に入れた立派なスピーカーの音を聴けないのは残念ですが、
これはこれでしばらくの間は小休止ということでいいかなとも考えていました。
それは自分の中に、音楽を聴くための道具であるステレオの音と
対決している部分があったからです。

ステレオは真実を映すこの上ない道具です。
音の世界ほど深い真理をストレートに眼前に展開するものを
他に知りません。

けれど真理を拓く道は大きな喜びとともに苦しみがあり、
それを避けて通りたいという気持が心の中にありました。

そして今日、藤原さんの楽器と溶け合うように一体となった “極みの音” を耳にし、
自らの人生を今以上に拓いていくためには、
やはりより理想に近い音との関係を築き上げていくことがどうしても必要であり、
またそうすることが、 “大恩ある音” に対する
自分として取るべき最善の礼の尽くし方であると考えるようになったのです。


音の作り上げる素晴らしい世界に触れ、
三人の心の中は言いようのない大きな歓喜に満たされていました。

偉大な真理を胸の中につかんだ時、
人はその喜びとともに、大きな希望と安心感をも手にします。

元旦生まれの藤原さんは、
人よりも大きな意味を持つ年の節目を目前に控え、
この上ない希望への切符を手に入れられたようで、
限りなく続く楽しい会話の中で、
「こんな幸せに満ちた一時は最近経験したことがなかったかもしれない ・・・ 」
と同じ言葉を何度も繰り返し独り言のようにささやいておられました。

それは私にとってもまったく同じことです。


お腹がすくのを忘れてしまうほど音の世界にのめり込んではいましたが、
三人ともまだお昼ご飯を食べていません。
楽器の調整が終わった午後4寺過ぎ、
三人で外に食事に行くことになりました。

どんな話の流れだったか忘れてしまいましたが、
その外に出るだいぶ前に貝崎さんから、
「サカイ、あんたぁこれから金をしっかり稼いで金持ちにならなぁあかんのやから、
 今日はその練習でしっかりとみんなに飯をおごりんさい」
みたいなことを言われ、私が三人にご飯をご馳走することになりました。

貝崎さんの車で近くのロイヤルホストに行きました。
三人でテーブルに座り、
メニュー表を持ってきたウエイトレスさんに貝崎さんが声をかけます。
「このメニュー表の中で一番高い料理はどれ?
 それをちょうだい!」

ということで、三人とも同じなんとかステーキのなんとかセットを頼みました。



約三千円のステーキセットでしたが、
今日心の中で手にしたものと比べれば、
ほんのささいで取るに足らないものです。

今日感じとったものは、
どんなにお金を積んだとしても教えてくれるところはどこにもありません。
そしてその感じとったものの中に、
みなそれぞれ自分なりの明るい未来を見つけることができたのです。


音、音楽は素晴らしい、
そして生命も真理もまた素晴らしい。

それらすべてのものは究極の高みに到達した時にひとつとなり、
それはまた喜びであり希望でもあるのだということ、
今日という日に体で感じ取ることができました。


喜びは分け与えるほど増えるもの、
今日感じたこの喜びを、
ローズ・バイブレーションのように可憐な波のようにして広げ、
多くの人と分かち合えるようになりたいと願います。

2012.12.29 Saturday  



ひとつ前へ ホームへ メニューへ 次へ