導く力
知り合いから広島中心部にあるエリザベト音楽大学
ヴァイオリンの無料リサイタルがあるから行かないかという誘いがありました。

エリザベト音大は十数年前にすぐ隣のマンションに住んでいたこともあり
馴染みのあるところです。
最近クラシックの生演奏から遠ざかっていた私は大喜びで聴きに行くことにしました。

聴きに行く前にネットでリサイタルの情報をチェックすると
エリザベト音大のホームページに案内が載っていました。

ウイーンでお生まれになったロスヴィータ・ランダッハーさん、
お名前はお聞きしたことがないのですが、
写真でお顔を拝見するととても品のよい美しい方で、
演奏もかなり期待できそうな予感がします。

ロスヴィータ・ランダッハー

ロスヴィータ・ランダッハー

オーストリア・ウィーン生まれ。ウィーン国立音楽大学、モスクワ音楽院、パリ音楽院にてヨゼフ・シーヴォ、ヘンリク・シェリング、ナタン・ミルスタイン等に師事。カール・フレッシュ国際コンクール、ニコロ・パガニーニ国際コンクール、モントリオール国際コンクールなど、主要な国際コンクールで受賞。ウィーン交響楽団、ウィーン放送管弦楽団などと共演。
現在はウィーン国立音楽大学の演奏科、教育科の教授。
門下生には国際コンクール上位入賞者や、ウィーンフィルをはじめ世界のトップレベルオーケストラで活躍する優秀なヴァイオリニストが数多く名を連ねている。なお、日本の音楽家のために特別に設定したウィーン夏季音楽特別コース(学習会音楽アカデミー主催、ウィーン国立音楽大学教授陣監修)を毎年開講しており、これまでに数多くの日本人音楽家が受講している。


演奏家としてよりも指導者として実績を積まれてきた方らしく、
この度広島のエリザベト音大に指導で来られるにあたり、
是非被爆地広島の人たちの前で演奏会を開きたいとのことで
今回のリサイタルが実現したのだそうです。

“知る人ぞ知る” という方なのでしょう、
当初は小さめの会場で開く予定だったのが、問い合わせが殺到したため、
エリザベト音大で最も大きなホールに急遽会場が変更になりました。


ピアノとのアンサンブルでモーツァルト、クライスラー、ブラームスなどを
聴かせていただきました。

みずみずしく、柔らかく、しなやかで、・・・
卓越した技術を持っておられてもそれが耳に付かず、
とても自然に音楽を楽しむことができます。

この自然な感覚、やはりクラシックの本場ウィーンで生まれ育った人にしか
だせない味でしょう。

音は演奏者の内面を浮き彫りにします。
日本人のクラッシック演奏家の音は、たとえ技術が一流であったとしても、
その音のどこかに日本的な匂いのようなものを感じるものです。

それだから日本人にはクラシックは演奏できないというわけではありません。
それはそれでひとつの味わいですから。

余談ですが、これまで聴いた日本人演奏家の中で
この日本的な匂いをまったく感じなかったのは、
唯一 宇宿允人氏が指揮するオーケストラだけです。


演奏の途中譜面を見るたびに老眼鏡を着けたり外したりしておられたので
たぶん齢還暦を過ぎられたあたりでしょうか、
これまでの長年のキャリアが確実にしなやかな表現力となって音に表われています。

端正な音は彼女の人柄でしょう。
写真で見た印象と変わらず、ステージに立つランダッハーさんの演奏している姿、
ひとつひとつの所作はとても美しく好感の持てるものでした。

こんな素晴らしい演奏を無料で聴けるなんてまさに夢のような話です。
ランダッハーさんの演奏は世界の巨匠と比べてなんら見劣りするところがないものです。


これまでヴァイオリンに限らず、
内外の一流と呼ばれるクラシック演奏家の音を聴いてきましたが、
今回のランダッハーさんの演奏は、
これまで聴いた一流演奏家たちの音とは少し違うように感じました。

こちらに伝わってくる音楽が、何か一歩引いたようなに感じられ、
技術力、表現方法、・・・音楽として伝わってくるものにまったく押しつけがましいところがなく、
逆にその部分にゆとりや温かさのようなものを聴き取ることができるのです。

一歩引いたように感じるからといって、
音楽的感動が薄れるわけではありません。
逆にその引いた部分が音楽的な厚みとなってより味わい深いものとなっています。

なぜこのような音になるのか・・・、
それはきっと彼女のキャリアから来るものだと思います。

日本国内、世界各地で演奏会を開き、多くの人にその演奏を聴かせ、
CDなどを通して不特定多数の人たちに音楽の素晴らしさを伝えている
いわゆる一流の演奏家の方たちのまず第一の音楽的目的は、
自らの音楽的な技術、表現力を高めることにあります。
つまり個との戦いです。

けれどもランダッハーさんのような一流の指導者の方の目的は、
自らの音楽的な力でもって人を導き、高めることにあります。

その人を導き、高めることに長い音楽人生のキャリアを費やしてきたランダッハーさん、
そのキャリアと思いの蓄積が見事に音となって、音楽となって、
彼女の奏でるヴァイオリンから伝わってきました。

彼女の演奏は、観客に向かってくるというよりも、
観客全体を包み込むような音です。


ランダッハーさんの音は一流演奏家である以前に一流の指導者、教育者の音だということを
演奏がはじまってすぐに感じることができた私は、
それから胸が熱くなりっぱなしでした。

  人を導くものは、自らが最も大きな恵みを受取ることができる。

人生の真理を感じ取ることができました。

音楽はかくも深い心の内面までもあからさまに表に出してしまいます。
特にその力はやはりクラシック音楽において顕著でしょう。
クラシック音楽の持つ偉大な力と奥深さに脱帽です。


ランダッハーさんの演奏に心打たれたのは私だけではないようです。
全プログラムが終わり打ち鳴らされる拍手はいつまでたっても鳴りやまず、
ピアノとのアンサンブルでなんと5曲(!)もアンコールに応えてくださいました。

アンコールの曲が1曲、1曲終わるたびに逆に拍手が大きくなるようです。

会場に早めに着いた私は前から三番目のいい席で聴くことができたのですが、
アンコールを求める拍手をしている時、
一番前の席に座っておられる年配の女性が
いつまでも鳴りやまぬ観客の拍手を確かめるかのように
何度も何度も嬉しそうに後ろを振り返っておられたのが印象に残っています。


リサイタルが終わり、この文章を打っている今日で四日たちましたが、
いまだ胸の高鳴りは治まっていません。
この胸の高鳴りは、人生の深い喜びと出合った時のものです。

人を導くということの持つ大きな力は、
音楽だけではなく、人生すべての面にあてはまる深い普遍的真理でしょう。

ランダッハーさんから伝えていただいたものを、
これから人生の糧として大切に活かしていきたいと思います。

2007.11.17 Saturday



ひとつ前へ ホームへ メニューへ 次へ