ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > セドナメソッド > 人生の課題



ヨガナンダ



人生の課題

セドナメソッドのテキストである「人生を変える一番シンプルな方法」
一昨日ようやっと最後まで読み終えることができました。
本を買って読み始めてから半年以上かかったのですから、
本当に長い長い心の旅路だったというわけです。

まだ最後まで本を読み切れていない段階でセドナメソッドを推薦し、
こうやって紹介コーナーを立ち上げていたのは、
見方によっては無責任ともとられかねない行為かと思いますが、
それほどまでにこの本に書かれいてるテーマは重く、そして深く、
一歩ずつ噛みしめるように理解していかなければ読むことができなかった、
というふうにご理解いただければ幸いです。


本を読み始め、最初の九つの感情を解放するワークで大きな手応えを感じました。
無気力、悲しみ、恐れ、渇望、怒り、誇り、そして勇気、受容、平安、
このネガティブな感情もポジティブな感情もすべて手放すことによって
心がどんどん軽く解放されていくことは本当に驚きでした。
そしてそのための手法がものすごく簡単であることも衝撃的であり、
セドナメソッドのもつ奥深い素晴らしさを直感しました。

セドナメソッドは様々な側面から心の中のとらわれを解放していきます。
そのための手法は本の中で順を追って紹介されています。

基礎を大切にしたい私としては、
最初の九つの感情の解放を納得いくレベルまでやり遂げたかったのですが、
ある程度までは解放できても、
ほとんどすべて ・・・ というところまでなかなか至ることはできませんでした。

また感情の深くまで見つめる作業は、時として不快な感覚を伴います。
結局は一度九つの感情を解放した後は、
少し期間をおいて再び取り組むと、今度は以前は見えなかったものが見え、
より深く解放が進みます。
そしてこれを何度か繰り返し、
少しずつ納得いくレベルまで感情の解放が進んでいきました。


そして次の段階へと入っていったのですが、
抵抗を解消する、四つの基本的欲求を手放す等、
新しい概念(手法)は当初なかなか体で理解することができませんでした。

これは今になって考えてみると、
そこまでの段階で十分な心の中の解放が進んでいなければ、
新しい概念、つまりこれまでとは別の角度から心を見つめていくという手法は
難しいのだろうと思われます。

最初の九つの感情の解放のところで何度も何度も本の中を行きつ戻りつし、
その間インターバルを置き、
そこからさらに先へと進んでも、少し行ったらまた中断というのを繰り返し、
心の中のものが徐々に整理されていきました。


それとなかなか本を読み進められなかったもうひとつの大きな要因は、
私の心の中の「制御欲求」にあるということについ最近気が付きました。
これは人生における大発見です。

私は人の何倍も自由を求める人間で、
納得できないことを人から押しつけられるのが大嫌いです。
その欲求は自分の内面にも向いていて、
表面意識で「こうするのがいい」と考えてはていても、
心の奥底ではその表面意識に自由を束縛され、
制御されることをものすごく嫌い、反発しているのです。

これまで何度も書いてきている通り、
私は筋金入りの超グータラ人間で、
子供の頃からやらなければならない学校の宿題や試験勉強は
ほとんどしたことがありません。
そのため人生危うい場面に何度も遭遇し、その都度自己改革を試みるのですが、
これまで一度も成功したことがなく、この51年間を過してきました。

なぜやらなければならないことができないのか?
その心の原理とは?
またどう対処していったらいいのか?

これは私にとって人生最大の疑問であり、課題であり、
このことについて考えない日はありません。
このたびセドナメソッドと出合い、
九つの感情の元にある制御欲求、承認欲求、安全欲求、分離欲求という
四つの基本的欲求の存在を知り、
自分の行動原理を支えている心の有り様が少しずつ見えてくるようになりました。


「セドナメソッドという素晴らしいものと出合った。
 だから本を読んでこれを深めていきたい」
こういった表面意識の思いとは裏腹に、それに対抗し、
「いくらいいものでも強制されるのはいやだ。今のまま自由でいたいんだ」
という心の奥の制御を拒む欲求があったのです。

これが私の最も大きな課題となる欲求の姿です。
これが今までは見えていませんでした。

セドナメソッドの本には、
制御欲求は、制御したい、あるいはされたいという欲求だと記されています。
ですから私の解釈はもしかしたら間違っているかもしれません。
本当は制御欲求ではなく、心を乱されたくないという安全欲求、
あるいは今の状態を認めて欲しいという承認欲求なのかもしれません。

いずれにしろ、セドナメソッドによってこれまで深い霧に覆われていた
心の奥の有り様が見えるようになり、
それに気付くと同時に解放することによって、
51年間どうしても変えることのできなかった生活習慣から脱却しつつあります。

まだ一週間も経たない最近の出来事ですので、
これから徐々に培っていかなければならないことなのですが、
これまでの基本的行動原理を支えてきた心の根本が、
セドナメソッドの解放のテクニックによって
『確実』に変わってきていることを実感しています。


その心の中の欲求に打ち勝って最後まで本を読み終えることができたのは、
実を言うと「外圧」のお陰でした。
先月あたりからあることで切羽詰まった状況に陥り、
どうしてもそれを解決する必要性に迫られ、その打開策を求めるため、
すがる思いでセドナメソッドの解放を進め、本を読んでいったのです。

私のような(元!)グータラ人間には、
自己改革のための艱難辛苦という外圧が必要だったのです。
  (お陰様でその問題は無事解決しました♪)


心(欲求)の変化に伴って小さな奇蹟も数多く起きています。
感情、欲求の解放がより深く進んだからでしょうか、
解放のテクニックそのものが一段深く進化して、
心の中のものがより簡単に解放できるようになりました。

本の最後の方に、罪悪感と羞恥心を解放するということが書かれています。
罪悪感は、それを持つことによって反省心を促し、
再び同じ過ちを犯さないために必要なものだとなんとなく考えていたのですが、
様々な感情を解放し、軽い心というものの素晴らしさを知った今は、
それを解放することの重要性がよく理解できます。

罪悪感といって思い浮かぶのが、私の場合は母とのいくつかの思い出です。
その中で主だったものを三つ、ひとつにつき時間は1、2分ですが、
解放のテクニックを使い、早速その罪悪感を解放してみました。

するとどうでしょう、本当に簡単に解放でき、
解放した後に当時の苦い思い出を思い浮かべても、
感情の動きがまったく湧いてこないのです。

私の母は、今もこの心の中で生きています。
その母が、私が母に対して罪悪感を持つことを喜ぶはずがありません。
そう自分の頭で考えていることを、感情がすんなりと受け入れてくれたのです。

長年重苦しく心の中に垂込めていた罪悪感という暗雲が、
ほんの数分間で解消されてしまうとは、
これまでまったく想像できなかったことです。

これはひとつの時期というものかもしれません。
またこれまで行ってきたトイレ掃除等様々な行が
ベースとしてあったからなのかもしれません。

たとえそうであったとしても、
このセドナメソッドが、人の人生を大きく変える大きな力を持っているということは
間違いありません。


本は一昨日最後まで読み終えましたが、
きちんと紹介されている手法を使ってワークしたのはまだ半分ちょっとです。
またすべてのワークは一回実践したらそれで終わりではなく、
何度も何度も繰り返しながら深めていくものです。

今現在の私の感覚とすれば、
まだこの本の半分も活かし切れていないといった思いです。

この先まだ隠れている感情や欲求を解放することによって、
どれくらい自分の人生を切り拓いていくことができるのでしょうか。

心新たに人生のスタートラインに立った気分です。

2011.3.4 Friday  
 ひとつ前へ ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.