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河内正臣 特別講演会 3/3


ここでちょっと話が変るんですが、大事なことを申し上げます。
それは天皇様の戦争責任についてなんです。
昭和63年、12月7日でしたかね、大東亜戦争(太平洋戦争)開戦記念日の前の日に長崎の本島市長が天皇に戦争責任ありと言ったんですよ。
その途端に大ニュースになりましてね。
その後わずか数週間で七千三百通という手紙が彼の元に押し寄せたんです。
私も出しました。
その七千三百通を分析しますと驚いたことに、七千通近くが昭和天皇に責任がある、本島市長は正しいという意見だったんです。
昭和天皇はそのままお隠れになりましたね。
今でも昭和天皇は責任を背負っておられるんですよ。
これはとんでもない大不忠なんです。
広島の方もよく言いますね、原爆が落ちたのは天皇のせいだと。
天皇が開戦を許したからこうなったんじゃないかと、そう言いますね。 さてみなさん考えてみてください、とても重要なことです。
たしかにあの開戦証書に天皇陛下は御名御璽(ぎょめいぎょじ)をなさいました。
御名御璽は承認ということですね。
そして戦争が始まりましたね。
なぜ許されたのかということですね。
当時はご存じのように、ABCD包囲網という封鎖政策でどうしょうもなかったんです。
日本はどんなに飛行機を作っても軍艦を作っても、石油がなかったらなんにもなりませんからね。
ほっておいても滅びていく、そういう状況に追い込まれたんですね。
だから当時の軍部とマスコミは猛烈にあおりました。
私は東京の国会図書館に行きまして、当時の新聞をずーっと読みました。
昭和16年12月8日の前、ものすごくあおっていますよ。
戦後朝日新聞は平和を唱える新聞と言われていますけれども、ものすごい、朝日新聞が一番ひどいです。
鬼畜米英をやっつけろ、ワーッと、そして全国民がみんなその気になってしまったんです。
「そうだやっつけろー!」、ものすごかったんですね。
そして最後の御決断を東條さんがもらいにいったんですね。
それはその時の全国民の総意だったということですね。
これを拒否なされば、天皇様は独裁者ですね。
だから「誠にやむを得ざるものあり、あに朕が志ならんや」と開戦の証書にわざわざ自分でお書きになって開戦を許されたんですよ。
ちゃんと証書にお書きになっていますから見てください。
陛下は全然やる気がなかったんです。けど全国民があおられたんですね。
国民というのはそんなに深く考えませんからね。
「そうだそうだー、やっつけろー」と。
しかし陛下は許した以上は私が全責任を背負うという自覚だったんですよ。

そして本当に陛下は苦しまれましたね。
元々戦争をする気はなかったんですから。
「良子皇后における人間の研究」という本があって、そこに皇后様の証言として載っていました。
真夜中に、陛下はがばっと起きられるんだそうです。
そしてぶつぶつ何かをおっしゃりながら、部屋の中を歩き回られていたそうです。
よほど苦しかったんでしょうね。
本人はやる気がなかったのに、全国民が「わー、やっつけろー」、それでお許しになった。
許した以上はどうしても最高責任者ですからね。
全責任を背負われた。そして結果的に負けたわけですね。
昭和天皇のお苦しみはいかばかりであったか。
しかもこの終戦のご決断は、天皇様がなされたんですよ。
その時天皇様は歌を作っておられます。
「身はいかになるとも 戦止めけり ただ倒れゆく民を思いて」
「爆撃に倒れゆく 民の上を思い 戦止めけり 身はいかならむとも」
完全に命を捨てておられますね。
そして終戦決断なさったんです。

当時、阿南惟幾(あなみこれちか 陸軍大臣)さんたちは軍人ですから徹底抗戦を主張しましたね。
阿南惟幾さんは立派な方です。
立派な軍人ですから、もうこれ以上戦争を続けることの愚かさを知っていました。
しかしあそこで戦争を止めることは、天皇陛下が処刑されることなんですよ。
そうでしょ。
当時三国同盟を結んでいたナチス・ドイツのヒットラーは死んでいましたね。
イタリアのムッソリーニも殺されていましたね。
どうして天皇が助かるんですか。
それを軍人が分かっていた。だから一億国民が玉砕しても陛下を守らなくてはいけないという阿南惟幾さんにはものすごく天皇を思う忠誠の心があったんです。
天皇と国民、日本の国体ですね。それをどんなことがあっても守らなくてはいけないというのが軍人の魂ですからね。
必死で守ろうとした。
天皇陛下はその気持ちが重々分かっておられました。
そこまで自分のことを思ってくれる、やっぱり愛おしい。
しかしながら陛下は、圧倒的大多数の国民を救わねばと考えられたんですね。
陛下がここで終戦を決断するということは大変だったんですよ。
なぜならば、戦争を止めると陛下だけではなく、そこまで自分に忠節を尽くしてくれた軍人とか政治家とか、そういう人たちがたくさん処刑される恐れがあったんです。
それも天皇はつらかったんです。
しかしながら陛下は自らの命を捨てる覚悟で決断なさいました。
それは自らが全責任を背負うということなんです。
国民にも、政治家にも、軍人にも、だれにも責任を負わさない。
自分が全責任を背負うという決断で終戦を決断されたんですよ。
その陛下のものすごい大御心(おおみごころ)に阿南惟幾陸軍大臣は号泣しています。
ハッキリおっしゃっています。
「阿南、お前の気持ちは分かる。しかし心配することはない」
その陛下の全国民を思いやる気持ちに阿南さんは感服し、それで譲ったんです。
そしてその陛下の終戦の決断に、軍人は絶対に逆らってくれるな、それを諭すために自ら腹をかき切ったわけですね。
その自決をした時に歌を残しています。
「大君の深き恵に浴みし身は 言ひ遺こすべき片言もなし」
ここまで天皇様は国民を思いやられる、その大御心に私は参りました。
何としても陛下の言に逆らってはならん。
そして譲ったんですよ。
だから陛下の終戦のご聖断ができたんですよ。
そこまで陛下は国民を思われたんですね。

それは決して嘘ではなかったですね。
戦争が終わり、マッカーサーが日本に来ました。
その時マッカーサーに本国から指令が来てたんです。
真っ先に天皇陛下の戦争責任を調べろだったんですよ。
当時アメリカの世論の八割以上が天皇を処刑しろだったんです。
それはアメリカの立場になれば無理はない、あれだけ徹底抗戦したんですから。
皆さんはあの硫黄島の映画をご覧になりましたか。
ものすごかったですね。だから当時のアメリカの世論は天皇許すなだったんですよね。
それで日本に食料を与えるな。
当時ヨーロッパも大変でしたから、同じ白人を優先して日本には食料が来なかった、そういう状態だったんです。
だからマッカーサーは日本に来て、すぐに天皇陛下の戦争責任を調べに入ったんです。
調べれば調べるほどマッカーサーは憂鬱になっていったんです。
なぜならばマッカーサーはクリスチャンだったので、善は善、悪は悪で分かる人だったんです。
調べれば調べるほど戦争責任がないんです。
もうほとんどが戦争反対ですから。
それでマッカーサーは憂鬱になって会う気がなくなったんです。
会えば弁解されると思ったんです。
ところが陛下の方から会いたいと言われたんですね。
それで、ならば会いましょうということで会われた。
その時の随行者に筧素彦(かけひもとひこ 元宮内庁皇太后宮事務主管)先生という方がおられたんですね。
この先生に私はずいぶん可愛がっていただきました。
先生からその状況をつぶさに聴いております。
最初マッカーサーは非常に威圧的だったそうです。
がっと上から押さえつけるような感じで。
あの有名な写真がありますね、マッカーサーと陛下が並んだ写真です。

昭和天皇とマッカーサー

マッカーサーはリラックスして立って、横で陛下はきちっとお立ちになっています。
それで陛下とマッカーサーと奥村さんという通訳三名だけが別室へ行ったんですね。
当初は約三十分の予定だったんですが延びました。
その間筧先生は本当にイライラして、もう心配で心配で仕方なかったそうです。
そしてようやっと扉から出てこられたそうです。
その時陛下の後ろから後光がバーッと差したような感じだったそうですよ。
陛下のお顔がものすごく明るかったそうです。
ところが逆にマッカーサーはぐたっとなって出てきたそうです。
マッカーサーはそこまで感動したんです。
そして陛下を送った後、椅子にドタッと腰掛けたそうです。
そこにF・パワーズというアメリカ側の通訳の人がいたんです。
その人はまだそんなに通訳が上手くないということで、奥村さんが通訳をしたんですけれども、その時マッカーサーは椅子にドタッと座って、
「あれほどの人が、あそこまで自分を犠牲にする姿を見て、私はたまらない。胸が痛む」
と言って実際に右手を胸に当てたそうです。

この時からマッカーサーはがらっと変るんですよ。
『われ、神を見たり』、マッカーサーの回想記の原題です。
それから陛下に惚れて惚れて惚れぬいたんです。
当時一千万人が餓死すると言われていましたが、すぐにマッカーサーは本国に「食料をよこせ」と言っています。
これはちゃんと極秘文書に載っているんです。
「よこさぬならば司令官を辞める」とトルーマン大統領を脅しているんです。
しかたがないから日本に食料が来たんです。
飢えを救ったのも天皇様なんですよ。
そして皇室には御物(ぎょぶつ)と言いまして素晴らしい宝物があります。
「その宝物を全部差し出すから食料に換えて欲しい」と陛下が言われ、マッカーサーが「われ、神を見たり」と感動しましたね。
それから何とかして陛下の国日本をよくしてやりたいという気持ちに変るんです。

戦争放棄は陛下の熱願だったんです。
今の憲法はマッカーサーノート三原則が基盤でできたと言われておりますね。
その三原則に国民主権、戦争放棄、基本的人権の尊重が載っているんですね。
二番目の戦争放棄の中に、自衛の戦争も放棄すると書かれているんです。
軍人のマッカーサーが自衛の戦争も放棄すると言うはずがないんですよ。
あのマッカーサーノートはマッカーサーが書いたと思われていますね、違います。
書いたのは幣原(しではら)首相です、間違いない。
幣原さんはとても英語が達者だったんです。
また歴史的事実として分かっているんですが、幣原首相はマッカーサーと会う前に陛下に会って書いて、それをマッカーサーに渡していたんです。
だから今の憲法草案は、実は天皇様の憲法草案なんですね。
ただ作ったのは外国人ですからちょっとズレがありますので、本当は日本人自身が陛下の心を察してこれを改訂しなければいけませんね。
自民党の改憲というのはみな九条をなくせというのですからこれは許せません。
かっての憲法は君主憲法、今の憲法はその反動で民主憲法、今度は君民一体憲法、それは天皇様の大御心戦争放棄を尊重し、国民の人権、自主性を尊重する、これが第三番目の憲法。
これが君民一体憲法、世界憲法になるんですね。
こうして初めて改憲が許されるということです。

それでは皆さん、いよいよ佳境に入ります。
広島の偉大なる天命とは何か、これは被爆者の皆さんが許すと宣言することなんですね。
最大の悪を許すんです。
戦争でこれ以上の悪はありません。それを許すと宣言するんです。
そして全世界の人たちにこの広島の許し、愛する真心に答えてくれ、アメリカにリメンバー・パールハーバーはもう止めてくれ、中国韓国に侵略、侵略・・・、もうそんなことはよしてくれと。
アラブとイスラエル、恨みの連鎖ですね。そんな恨みを消してくれ。
ヨーロッパのヒットラーに対する恨み、それも消してくれ。
言えますね。

広島がそれを言った、当然世界には衝撃を与えるでしょう。
恥ずかしく思うでしょう。
まさに広島の偉大な天命とは、戦争の最大の悪を許すと宣言することなんです。
これによって全人類の意識は急激に変ってくるんですね。
唯物論者の人たちが国連等で一生懸命世界平和について検討していますが、ハッキリ言って唯物論で平和が来るはずがないんです。
この地球上に恨み怨念が渦巻いていたままで平和が来るはずがないじゃないですか。
この恨みの怨念をご恩の恩念に変えて、初めて世界平和が来ますね。
この広島の原爆を許すという宣言が、全人類にその気持ちを呼び覚ますんです。
なんと広島は素晴らしい、あれほどの悪を、絶対に許してはならんという天人とも許さざる最大の悪を広島は許すと言ってくれた。
すごい、汝の敵を愛せと説いたイエス・キリストの十字架の贖罪に勝るとも劣らぬ素晴らしい愛ですね。
これが実行された時に白人は変るんです。
いつもいつも広島はアメリカに詫びてくれと言っていましたね。
するとすぐにアメリカもリメンバー・パールハーバーで反発します。
そうじゃない、許すんです。
その時に初めて世界平和への道が開いてくるんです。

ですから申し上げます。あの大東亜戦争とは何であったか。
最も苦しく、最も悲惨で、勝ってはいけない戦争ですから、最も損な、しかし避けていては進むことのできなかった真実の世界平和、神武天皇が建国の時に定めておられた八紘為宇、この道を開くための、最大最高の価値ある大仕事、本当の戦(いくさ)だったんです。
生草(いくさ)とは生かす草と書く、民を生かす戦いということですね。
これは小を殺して大を活かす、今まではやむを得なかった。
広島と長崎の犠牲とはそういうことなんです。

人間は必ず死にます。価値ある死はあるんです。
広島の原爆犠牲とは、最高に価値ある尊い犠牲、人身御供だったんですね。
今日来た方は、このことをしっかり自覚してくださいね。
そのための戦だったんです。
そしてその戦の目的はみごとに達成されていました。
その証明がアジアの解放であり、軍国主義の完全崩壊によって生まれ変わった憲法九条で戦争放棄を誓い、平和国家に生まれ変わったということ。
これは天皇様のお陰で戦争という災いを転じて福とする、究極の災いを転じて福となさった方が昭和天皇であったということですね。
それは憲法九条があるから平和国家に生まれ変わったと言えるんですよ。
ですからこの九条と原爆体験を活かせば、世界の世論を味方にできる、一気に世界を変えられますね。
簡単なことなんです。その意味で天の岩戸が開いたと言えるんです。
今日ここにおいでくださった方は、その使命を自覚してくださいね。
今日私がお話ししたこと、たったひとつでもいい、参考になったことがあったらどなたかに伝えてください。
世界の広島、平和の原点この広島で今日催されたこの行事によって、天の岩戸は本当に開いたんです。
皆さん一人一人の言われることが、全国民に響いてきますね。
八紘為宇の八紘とは、そういう意味が仕組まれていたんです。
今の日本は腐ったような状態ですね、それが高次元に発酵(八紘)するんです。
納豆とか醤油とか酒とか味噌、みんな外国人に人気がいいでしょ。
これらはみな発酵食品です。
発酵するということは次元が高まるということです。
人間も今から発酵するんですよ。
だから腐ったわけですね。
今から酵母菌がいりますよ。酵(皇)母、皇(すめら)の母でしょ。
天照大神、天皇の真実、・・・大和民族の本当の姿が現われてまいります。

皆さん、本当におめでとうございます。
皆さん、本当にありがとうございます。
天の時がやってまいりました。
天の岩戸が本当に開いたわけでございます。



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