ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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母の人生哲学


 雨の日であった。苗を植える母に声をかけた。「チチのませにきたよ。」と、赤んぼ(弟)をおんぶしていた。
 母は、苗を植える手を田の水で、バシャバシャと洗って立ちあがりながら、「わも、さっきから、もう腹がへって赤んぼが泣いていると思ったら、乳がぽたぽた落ちて」と、言って近寄ってきた。
 母は、雨でぬれた着物の間からおっぱいを出して、立ったままで背中の子に乳をふくませた。子が生まれた時、いちばん大事なのは母乳であった。
 お産のあとの母の食事は、せいぜい米のおカユに梅ぼしか味噌大根であった。母乳がなければ子は育たぬ。母は必死になって乳を出そうとした。母は、自分の乳で子を育てた。子のおむつは、自分の数すくないユカタをほどいてよく洗って、昼みんなが休んでいる時や昼働いて疲れたからだで夜中にこしらえた。子の着物は、自分で縫った。これも男たちが昼寝している時間か夜であった。
 おむつの洗たくは、朝みんなが起きてくる前か夜かで、着物の洗たくなど雨の日が多く、それも全部、手でのもみ洗いであった。
 よそからいただいたおいしいお菓子やくだものなど、みんな子に分け与えて、母が食べることはほとんどなかった。
 母は、寒い夜に、冷え切った子の足を自分のふとももやおなかに当てて温めた。寒い夜に、かまどの前にかかんで柴を折り火をたき湯をわかし、足を洗って温めてくれた。夏の暑い夜は、ひと晩に何回か暗いローソクの橙で子のノミや蚊を追い、つかまえてすりつぶした。それは昼の間に一人まえの仕事をしたほかのことだった。

 私は、子どものころの冬のある晩、寝小便をしてしまって、そっと母に知らせた。すると母はすこしも叱らないで、ぬれた衣類を着せかえてくれて、「このことは、だれにも言うではないよ」と、私が寝小便した冷たい方へ母が寝て、母の寝ていた温かい方へ私を寝かしてくれた。自分の身を細らせながら子を育てていた。
 暮らしの中のしつけ・働くことのしつけ、母のからだでしつけられた。ふとんの敷き方や後始末のし方。履物はあとで脱ぐ人のために奥からそろえて脱ぐこと。電気のあかりも不必要なところは必ず消す。板の間のふき方・掃除のし方・茶わんの洗い方・食事のあとしまつ。等々。
 母は、言うより自分がそれをやっていた。決してぐちを言わなかった。働くことがいやだとは、ついぞ聞かずに育ててくれた。

 知識は小三ぐらい、農家で苦労され、字をおぼえるひまがなかった。母は常にひかえ目であり、出しゃばらない陰徳を志し、家をまもり続けた。まことに「努力」を絵に画いたような人でありました。
 一にも二にも努力、それに加えて、忍耐、辛抱、勤勉といったことが、人間の成功と幸せに欠かせないものとして、わたしの幼な心に叩きこまれました。

 「お天道さまが見ているよ!」という言葉を聞かされました。母の優しい叱責が聞えてきて、「努力」を続けねばと思うこの頃であります。
 母の根底には、いつも揺るぎない子への愛の哲学がありました。

    涙とともに蒔く者は
      喜びとともに刈り取らん

 私の母を見て、この言葉が本当だと思いました。村の女として生まれ、嫁ぎ、子を生み育て、家を守り、その土地に精いっぱい生き、ご先祖さまを守り、努力して働いてくれたから今があるのです。感謝報恩の自覚と努力を忘れてはなりません。

 つまづいたり、ころんだりしたおかげで、物事を深々考えるようになりました。

 あやまちや失敗をくり返したおかげで、少しずつだが、人のやることを暖かい眼で、見られるようになりました。
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