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震災が再び起これば

’95年1月17日、5,000人以上の尊い人の命を奪った阪神淡路大震災、
その惨状の生々しさはまだまだ記憶に新しいところです。

私の住んでいる広島は直接何の被害もありませんでしたが、
私の本籍地、出身校はともに震度7の烈震地帯、
人も建物も最も被害の大きいところにありました。
震災直後、たまたま関西方面に出向く機会があり、
当時新幹線、在来線、私鉄が被災地域で不通となっていましたので、
西宮、芦屋、神戸市、思い出の残る場所を徒歩で廻ったことがあります。

倒壊してしまったビルや家屋、高速道路、ぺしゃんこになった乗用車、
激しい砂埃を上げながらいち早く復興に向けて動き出している建設重機の数々、
昔の面影をすっかり失った町並みに強烈なショックを受けました。
私たちが普段絶対と信じている近代文明、それがいかに脆い基盤の上に
成り立っているのかということを肌身で感じ、足元が冷たくなる思いでした。

あの悲惨な震災の体験から我々日本人は何を学んだのでしょう。
また何を学ぶべきだったのでしょうか。

被災地を歩いて最も激しい衝撃を受けたのは
被災者の人たちのいる避難テントを見た時です。
小学校の校庭に入り、深緑色をした大きなテントが目に入ると同時に、
言葉で言い表せない電気ショックの様なものが身体を走り、
その場に立ちすくんでしまいました。その場の空気に身体が何かを感じたのです。

「自分はここで生活することができるだろうか・・・」
経済大国、モノあまり消費天国日本。
私たちの身の回りには豊かな生活を過ごすための素晴らしいモノ、快適なモノが
溢れています。
そういった「素晴らしい快適なモノ」に囲まれて生活している自分の目の前から、
それらが一瞬にして消え去ってしまったら・・・。
愛すべき家族や財産をすべてなくし、裸一貫の状態で、
明るい未来への希望を持ち続け生きていくことができるだろうか。

真の健康、逞しさとは、どの様な環境の元でもそれに適応し、
力強く明るい気持ちで生きていくことができるということです。
しかし逆にモノが豊かになればなるほど、
身の周りに「素晴らしい快適なモノ」が増えれば増えるほど、
ごく狭い条件の元でしか生きていくことのできないひ弱な人間に
なってしまう危険性があるのではないでしょうか。

言うなれば現代人は「ガラスの塔」の住民です。
光り輝く美しいガラスで築き上げた高い塔の頂上は住むには快適ですが、
一旦その脆いガラスが崩れ去ったときは全くなすすべがなくなってしまうのです。

私の周りにたくさんの「健康おたく」と呼ばれるの方々がおられます。
水道の蛇口には浄水器、飲むのはミネラルウオーター、
空気はマイナスイオン除菌、野菜はすべて無農薬、自然農法、・・・
それらひとつひとつはとても価値のあるものです。
しかしそれら「素晴らしいモノ」で身の回りを固め、それらに依存し、
それらなしでは生活できない心(思考)と身体になってしまったとしたら、
それは本来の目的に逆行することになってしまいます。

周りのすべてのものが一瞬にして瓦礫と化し、飲み水は塩素の入った水道水、
食べ物は化学調味料の大量に入ったお弁当、住まいの壁からはホルムアルデヒド、
そんな環境におかれたとき、あなたは健康な心とからだを保つことができるでしょうか。
与えられた環境、食べ物に感謝することができるでしょうか。
(被災者の人たちが暮していたところが必ずしもこのように
 劣悪な食・住環境だったと言う訳ではありません)

これまでは物質中心の世の中で、
我々は「モノが豊かになれば幸せになれる」という信仰の元に生きてきました。
しかしこれからは、モノが豊かになればなるほど、
「そのモノとどの様に関わるのか」
ということを強く考えなければならない時代になったのです。

「素晴らしいモノ」と出合い、その価値を十分に享受するには、
逆に「そのモノにとらわれない自分」というものをしっかりと持つことが必要なのです

あのような大規模な災害はもう二度と起きて欲しくはありません。
しかしもし再びあの惨状が目の前に現れたら、自分はどうなるのだろうか。
あのとき以来強く自分に問い続けています。
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