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2019年1月10日 ・・・ 生と性の多様性

少し前、自民党平沢勝栄議員のLGBTに対する発言が話題になりました。

LGBTで同性婚で、男と男、女と女の結婚、
これは批判したら変なことになるからもちろんいいんですよ。
でもこの人(LGBT)たちばかりになったら国は潰れちゃうんですよ。


また渋谷区や世田谷区が同性婚証明書を出していることに対して、
先進区だとか自慢しているが、
私にはその考え方はよく分からない。


この発言が多くの批判を集めたのぱ当然であり、
この発言は差別以前にまったく的外れであり、意味のないものです。

LGBTという性的嗜好は生理的なものであり、
自らの意志で変えることはできません。
異性愛者に同性を好きになれと言ったり、
長身でスリムな相手が好きな人に、
背の低い太った人に好みを変えろと言っても無理なように、
性的嗜好は生理的なものであり、
それを自らの意志が変えることはできません。

今若年層の未婚率上昇が大きな社会問題となっていますが、
これは社会的施策で解決することが可能でも、
LGBTについては、それを批判しても何の問題解決にもなりません。

「パン食派が増えてご飯派が減ったら日本の農業はダメになる!」
このような変更可能な問題とは根本的に異なるのです。


だぶん当の平沢氏は、
自らが多数派の異性愛者であり、
それ以外の性的嗜好を毛嫌いし、理解できないため、
その存在を否定し、うさん臭いものとして扱うと同時に、
それは趣味の一種で変えることのできるものだと
感じておられるのだろうと思われます。

けれどこれでは批判される方はたまったものではありません。
昔日本で家という制度が強くあった時代、
嫁の大切な務めとして家を継ぐ男児を産むということがあり、
嫁が女児ばかりを産んだ場合、
「ウチの嫁は役立たずだ」
と姑が嫁をなじる材料にしたように、
平沢氏の発言は、この嫁いびりと同質のものです。


それと「LGBTばかりになった国が潰れる」というのは、
その数ヶ月前にあった、これも大炎上した杉田水脈議院の
「LGBTは生産性がない」という発言と同じです。

これは「社会的弱者は擁護すべき」という道徳観以前に、
それが本当に正しいのかどうかを深く考えてみなければならない問題です。

たしかに表面的効率だけを見れば、
今から14年前、時の労働大臣であった柳澤伯夫氏が少子化問題に触れ、
「女性は産む機械」だと発言したように、
出生比率を男女ほぼ半々に保ち、全員が異性愛者となり、
成人してから結婚し、子どもを産み育てるというのを理想とすべきでしょう。
けれど複雑系の中にある人間社会では、
理想というのは絵に描いた餅であり、虚構に過ぎません。

小池都知事が選挙時にダイバーシティー(多様性)の重要性を
声高に唱えていたように、
種としての生命力の強さは多様性にあり、
一時的な効率を求めた単純化は、
環境変化に弱く、危機対応力の低い種の弱体化であるとも言えます。


蛾は外敵から身を護るため、
自然環境と同化した擬態をとるものがいます。
ある種の蛾は葉っぱと同じ緑色の擬態を持ち、
その蛾を餌とする鳥の目を欺き、身を護ります。

けれどその蛾の中には、
茶色の体をした蛾が毎年必ず一定割合で生まれ、
その蛾は緑色の自然の中では目立つため、
すぐに鳥に食べられてしまいます。

そんな短い寿命しか持てない茶色の蛾ですが、
何年かに一度異常気象があり、
植物の多くが枯れてしまった時には、
その茶色の体が擬態となって茶色の個体だけが生き残り、
種としての生命を繋ぐ役割を果たします。

一見非効率的で役に立たないと思われるようなものでも、
長い生命の歩みの中で、何らかの役割を果たしているというのが、
複雑系である生命システムの持つ深遠さです。


現代医学の発達は著しいものがありますが、
染色体異常であるダウン症児の出生率は、
近年の出産年齢の高齢化もあって増加傾向にあります。

なぜダウン症児の出産をなくすることはできないのか、
それは、彼らが社会の中にいることにより、
多くの人が優しさを学ぶことができるからだという話があり、
それもあながち間違いではないのかもしれません。


LGBTという性的嗜好がなぜ生まれるのか、
この原因はハッキリとは分かっていませんが、
男性同性愛者の母方の女性たちは
子だくさんであることが統計的に分かっています。
またゲイの男性は敵意のレベルが低く、
協力性・思いやり・感情的知性のレベルが高いという研究結果も出ています。

つまり直接的に子孫を残さないゲイは、
子だくさんである全体のコミュニティーを維持するための
ヘルパー的役割として生まれたということも、
ひとつの仮説として考えられます。

いかんせんLGBTはこれまで日陰の存在として
その意義を大々的に研究する機会が少なく、
たぶんこれから様々なことが明らかになってくるものと思われます。


あえて生産性という言葉で表現するならば、
たしかに表面的にはLGBTという存在は
生産性の低いもののように見えるかもしれませんが、
長期的な種の生命という観点から見ると、
LGBTは種全体の多様性を維持し、
その中での循環をよくするための必要性を持つものであり、
長期的生産性を高めるものと言えるのかもしれません。

いずれにせよ生命の仕組みは限りなく深遠であり、
それを短期的な視座だけで見極めることはできません。

国会という国の最高議決機関での役割を担う国会議員の人には、
是非ともより長期的観点から物事を見つめていただきたいと願います。


全体の中でのLGBTの割合が近年増えつつあるのかどうか、
正確な統計がないのでよく分かりませんが、
LGBTの存在が大きくクローズアップされ、
その権利を求める声が強くなった背景には、
社会全体が大きな変革の波にさらされ、
誰しもが多様性の重要性を肌身で感じられるように
なったからなのではないかと思われます。

人類の明るい未来は、
今の文明の延長線上にはないと多くの人が感じています。
そしてそれを築き上げるには、
人類全体の生き方を変えていくことが求められます。

“生”のあり方は“性”のあり方に直結します。
それゆえに性の多様性が認められ、
その多様性の中から、
異性愛者も同性愛者も、すべての性的嗜好を持った人々が、
生のあり方を模索しているのではないでしょうか。

2019.1.10 Thurseday  
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