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2015年12月15日 ・・・ 最も感謝すべきこと

以前ご紹介した工藤房美さんの書かれた「遺伝子スイッチ・オンの奇跡」、
とても心に響くいい本で、今もまた読み返しています。

この本は多くの人に生きる希望と勇気を与えてくれる素晴らしい本だと感じ、
十冊買い求め、いろんな人にお貸ししたりプレゼントしています。
たぶんこれからもさらに買い増すことになるでしょう。
それぐらいこの本が与えてくれるメッセージは重要です。

遺伝子スイッチ・オンの奇跡 遺伝子スイッチ・オンの奇跡
工藤 房美

風雲舎 2015-11-02
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全身にガンが転移し、手術もできない状態にまでなった末期ガンを、
工藤さんは感謝の心、「ありがとう」という言葉で克服されました。

自分もちょうど今右耳(ミーちゃん)が難聴になり、
そのことが常に意識の中にあるので、よけい心に響いたのだと思います。


ミーちゃんの状態はその後回復傾向で、
すごく調子のいい時は、健康な左耳の八割、九割ぐらいまで聴力が戻っています。
元々数年前から右耳の状態は大きな周期で好不調を繰り返してきましたので、
八割、九割というのは、ほぼ以前と同じところまで戻ったということです。

今も日によってミーちゃんの状態は異なります。
特に朝起き抜けはかなり耳鳴りがするのですが、
その時々の状態とその時の心のあり方を比べ、
ミーちゃんが自分に何を訴えようとしているのか、
それを感じることが楽しくてしかたがありません。

ミーちゃんはたぶんこれから少しずつ回復していくものと感じますが、
もしたとえ右耳がまったく聞こえなくなったとしても恐れはありません。
それはミーちゃんに深い感謝の思いを持っているからです。

工藤さんが全身に、そして自らの命を奪おうとするガン細胞にまで
深く感謝の思いを捧げたのと同じように、
自分もまた、ミーちゃんに感謝の思いとありがとうの言葉を捧げ、
日常いろんな機会にミーちゃんと対話するようにしています。

「ミーちゃん、今日は○○さんとお話ができて楽しかったよ。
 あなたのお陰で○○さんの言葉を聞くことができたよ。
 ありがとね♪」

「今日はすごく耳鳴りがするね。
 昨日夜更かししたのがいけなかったのかな?
 ごめんね、これから注意するからね♪」

こんなことを話しかけているのです。


少し前に『耳が聞こえなくなることに対して一点の恐怖も不安もありません』
ということを書きました。
これに嘘偽りはありませんが、
厳密に言うと少しニュアンスが異なります。

人間の感情は右か左か、一元的な尺度で簡単に計れるものではありません。
その時々によって感情は大きく揺れ動き、
また相反する感情を同時に持ちながら、その葛藤の中で生きています。

右耳の聴力に関しても、
完全に恐怖も不安もないというのは本当は正しくありません。
右耳が聞こえないと人との会話の時不便さを感じることが多々あり、
ほんの少しはそれに対する不安はあるのですが、
それとはまったく対極の、大きな喜びと表現するのが適切でしょうか、
そういった何かこれをステップとして得られるであろう輝かしい希望のようなものに、
何十倍もの強い力で心惹かれるのです。

なぜこんな状態であるにも関わらず希望が湧いてくるのか、
それは右耳ミーちゃんに対して日々深く感謝しているからです。

感謝していると、ミーちゃんに対して信頼感が生まれてきます。
そして信頼を持てるようになると、
そのミーちゃんの “意志” を尊重できるようになり、
『信頼しているミーちゃんの意志通り進めば絶対に間違いはない!!』
という安心感、そして期待と希望が芽生えてくるのです。

これはたぶん自ら体験してみなければ理解するのは難しいと思いますが、
感謝というものは、そんな根源的な喜びを増幅する大きな力を持っています。

工藤さんの本の印象に残った一節をご紹介いたします。
洗面所に行き、新聞紙を広げ、
そこに強い抗がん剤の影響で抜けていく髪の毛を拾い集め、
感謝の思いを捧げている場面です。

「ありがとう。ありがとう。私の髪の毛でいてくれてありがとう」
はっきり数えていたわけではありませんが、数時間その作業を続け、数万回はありがとうを言った頃でしょうか。不思議なことが起こりました。
一本の髪の毛を取り、「今まで私の髪の毛でいてくれてありがとう」と言うと、「ありがたい気持ち」が降ってくるのです。また「ありがとう」を言ったら、また「ありがたい気持ち」が降ってくる。言えば言うほど、ありがたい気持ちが降ってきて、まるで雪のように、私の心に、ふんわり積もるのです。
  ・・・・・
終いには、心いっぱいに降り積もって溢れだしてしまったのです。
「・・・・・いい気持ち」
これまでに経験したことがないほど心が満たされていました。自分がガンだということも、一ヶ月もない命だということも、髪の毛がないことも、そんなことが、一切どうでもいい些細なことのように思えました。ただただ「ありがたい気持ち」がいっぱい溢れ出して、嬉しくて、ありがたくて、仕方がないのです。
  ・・・・・
「ありがたい気持ち」に包まれた私は最高に幸せでした。これまで味わったことのない幸福感です。嬉しくて嬉しくて、ありがたくてありがたくて、時間を忘れて無我夢中でその感動の中にいました。涙が後から後からとめどなく流れてきます。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう」



感謝の気持ちは人間の持つ根源的な喜び、幸せを引き出します。
けれどそこに目を向けるには、
人間の意識の表面にある様々な価値観、思い、
「○○のようにならなければならない」
「□□でないと幸せではない」
このようなものをすべて捨て去らなければなりません。

そしてそれらを捨て去ることができたなら、
「○○だから幸せ」という思いの枠組みを超え、
より根源的、本質的な大きな喜びを掴むことができるのです。

その根源的な、最も深い、最も感謝すべきこととは、
『今生きている』 ただこの一点です。

「○○だから幸せ」なのではなく、
逆にその条件が満たされていないからこそ、
生きている、この最も感謝すべきことに目が向くようになってきます。


自らの体験では、
昨年インドでの三ヶ月半の滞在を終え帰国した時、
すべての貴重品が手元からなくなり、
どこにも連絡がとれず、飛行場から一歩も外に出ることができなくなり、
完全ににっちもさっちもいかなくなった時、
心の奥深いところから “生きる喜び” のような感情が湧き上がり、
暖かくて幸せな思いに包まれました。
そしてその直後に奇跡が起こり、
すべて事なきを得て無事家路に着くことができました。

あの時の感覚は、
たぶん工藤さんが感じられたものに近いのではないかと感じます。


ミーちゃんのことがあり、また工藤さんの本と出合い、
最近は以前にも増して「ありがとう」の言葉を多く唱え、
日々感謝の心を強く持てるようになりました。

先週末、月に一度の公衆トイレ掃除を仲間たちと行いました。
場所は広島市内の本川町公園という平和公園西側の公衆トイレで、
下の写真、中央遠くに原爆ドームの頭のドーム部分が見えます。



水はモノでも言葉でも思いでも、様々なものを吸収するすごい力を持っています。
ですから家で水拭きする時も、またトイレを掃除する時も、
その水に対して感謝の思いを捧げるべく、
感謝の言葉を口しながら掃除をしています。

先日も「ありがとうね♪」なとどいろんな言葉を口でゴニョゴニョ言いながら
掃除していたのですが、
最近感謝の思いが一段と深まったお陰でしょうか、
その言葉が以前よりも深く自らの胸に響き、
スーッと心が目の前の便器に向かっていくのです。

これも感覚的なもので、とうてい言葉では言い表せません。
ただ感謝の思い、言葉というものは、やはり大きな力を持っているということを、
再度実感した次第です。


本川町公園の公衆トイレは大便器が二つ、小便器が二つありますが、
もう一年ちょっと掃除していないせいか、かなり汚れていました。

汚れているのは掃除しがいがあってラッキーです。
これはトイレ掃除を長くしているものにとって常識的感覚ですが、
一般の人にとってはそうではないようです。
今回初めて掃除に参加された方は、
「今日はトイレが汚れていてラッキー♪」という言葉を聞き、
とても驚いておられました。


こうして考えてみると、やはり人生でもトイレ掃除でも、
どん底の状態、あるいは汚れきったものを目の当たりにした時、
大きな、そして根源的な喜びを得られるのだと思います。

ただ生きている、これだけで十分幸せ、すべてが満ち足りている、
これに勝るものはありません。

このことを感じられたなら、
これから外に出て交通事故に遭おうが家が火事になろうが、
はたまた耳が聞こえなくなったりガンで死にそうになっても、
まった恐れることはありません。

喜びの原点が最も根源的で最も低いところにあるのですから、
それより下には行きようがないのです。


い・ま・る、
生きてるだけで丸儲け、
この思いを忘れずに生きていきたいですね。 (^o^)v

2015.12.15 Tuesday  
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