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2015年10月27日 ・・・ ショパンコンクール他

五年に一度行われる若手音楽家の登龍門でありピアノコンクールの最高峰、
「第17回ショパン国際ピアノ・コンクール」 がポーランドの首都ワルシャワで行われ、
日本人としては二大会振りに小林愛実さんが本選まで進んだものの、
残念ながら六位までに与えられる入賞を逃しました。

一次、二次、三次と予選を勝ち進んで本選に残るのはわずか十人、
その十人がオーケストラとともにショパンのピアノ協奏曲を演奏し、
順位を競います。

コンクールでの演奏は、
予選を含めてそのほとんどをネットで聴くことができます。
  <Chopin Institute - YouTube>


小林愛実 ・・・ あえて ちゃん付けで呼ばせていただきますが、
愛実ちゃんの演奏は彼女が幼い頃から大好きで、
これまで幾度となく繰り返し聴いてきました。

彼女のその類い希な技術力とみずみずしい表現力で、
ショパンコンクールでは必ず本選まで残ってくれるものと信じていましたが、
入賞を逃したというのはすごくショックです。
残念であると同時に、何か大切なものを傷つけられたような、そんな感じです。

ここ地元広島の広島東洋カープは、
CS(チャンピオンシリーズ)をかけてペナントレース最終戦に臨んだのですが、
その極めて大切な一戦で中日に敗れてしまいました。
広島市民としてそれもかなりショックでしたが、
今回の『愛実ちゃん入賞逃す』の報はそれ以上に大きな衝撃でした。 (☆o☆)


本選で七番目以下と評された彼女の演奏がどのようなものだったのか、
ネットから聴いてみることにしました。



自分は音楽については素人で専門的知識は持ち合わせていないのですが、
一聴して感じるのは、音が重いということです。
近年の彼女の演奏からは、いつも高い緊張感と集中力を感じますが、
それがこの本選での演奏では、
悪い意味での重苦しさに繋がっているように感じます。

愛実ちゃんの演奏を初めて聴いたのは、
このモーツアルトのピアノ協奏曲第26番です。



これは彼女がいくつの時の演奏でしょう、
たぶん十年ぐらい前、十歳ぐらいの頃のものと思われます。

この演奏をこれまで百回近く聴いてきましたが、
今もこのページを書くにあたって再び耳にし、
心の中にワクワクするような楽しさ、幸福感が湧き上がってきます。

「生命の輝き」というページに書きましたが、
幼い頃の愛実ちゃんの演奏の魅力は、
聴く人の心を幸せにするようなそのみずみずしい音色にあると感じます。

聴いていて楽しく幸せな気持ちになれる、
音楽は音を楽しむと書き、このことは音楽を奏でる上で最も重要なことであり、
まだ幼い愛実ちゃんの持つこの喜び、楽しさの表現力は、
老齢の巨匠にはるかに勝るものがあります。


この演奏は彼女が14歳の時のものとテロップが出ています。
  <REAL MOVIES x Play You. with 小林愛実>

少し年齢を重ねた分、音の凝縮感が増していますが、
演奏終了後の彼女の表情が可愛らしいですね、
その可愛らしさが音にも表れ、
緊張の中にもホッとしたゆとりのようなものを感じさせます。

それに対してこのたびのコンクール本選の演奏は、
緊張感が強すぎて、
彼女のみずみずしい感性がほとんど感じられないのが残念です。


では今回のショパンコンクールで優勝した韓国のチョ・ソンジンの演奏はどうなのか、
それも聴いてみることにしました。  (今現在四回聴きました)



繰り返しますが、自分は音楽の知識がないので、
専門的表現はできませんが、
愛実ちゃんの演奏と比べ、オーディオ的な言い方で、
ひとつひとつの音がよく分離し、全体の解像度が高まったような印象を受けます。

愛実ちゃんの演奏よりもすべての音が軽やかで、
音楽の流れとして体の中に自然に染みこんでくるように感じます。

他の本選参加者の演奏はまだ聴いていませんが、
優勝したチョ・ソンジンが愛実ちゃんより高い評価を受けたということは、
残念ながら納得せざる得ません。


それでもなお愛実ちゃんには愛実ちゃんにしかないよさがあると感じます。

彼女の肉体は健康的な丸々とした固太り体質のように見受けられますが、
音にもそれが表れていて、
針で突つくとすごい勢いではち切れそうな緊張感があるのです。
ですからその対極のゆとり、緩み、そういったものが加われば、
もっとリラックスして彼女の演奏を楽しむことができるのではないでしょうか。

彼女がどういった私生活を送っているのかは分かりませんが、
もっと音楽以外の楽しい時間を増やし、
幼い頃から持っていた明るい心根を、
これからもずっとずっと大切にしてもらいたいと願います。



最近は本当にシンクロニシティ(共時性現象)続きです。
昨日、いつもインドの支援をしてくださっている
施術コンサルタント橋本卓也さんにメールを書きました。

橋本さんとはいろんな情報交換をするのですが、
前回いただいたメールに、
中国の科挙受験者が用いていた記憶法についてのことが書かれていました。
記憶したいものを額中央眉間からイメージとして取り入れ、
それをその後繰り返し目で覚えた後、
最後に再びイメージとして丹田に落とし込む(腑に落ちる)のだそうです。

眉間はイメージを取り入れるポイントとして大切であることは
以前から感じていたので、
これは一度試してみる価値はあると思い、
昨日の夕方、そんなことを書いたメールを送りました。

その後車椅子介助の会で知り合った若者の家に行き、
ともに酒を飲んで語り合いました。
彼は独自の発想を持つ聡明な若者ですが、
幼い頃は発達障害と評されるほど学校の勉強が苦手で、
小学校時代そのことで悩み、真剣に悩んだ末に考えたのが独自の記憶法で、
それがなんと、
眉間から覚えたいものをイメージで取り入れるというものなのだそうです。

つい二三時間前に頭で思い、メールで書いたことが再び彼の口から出てきて
本当にビックリしました。

彼はその当時高知県の室戸にいたとのこと、
室戸といえば、空海が洞窟の中で明けの明星が口の中に飛び込んできて、
見聞きしたもの一切すべてを記憶できるという
虚空蔵求聞持法を身に付けたところです。
これも何かの因縁でしょうか。

彼曰く、イメージしたものを眉間から頭の中に取り入れると、
眉間と両こめかみを結ぶ三角形の部分が熱くなるそうです。

眉間がすごい力を秘めているのはヨガでも昔から言われていて、
眉間はアジナチャクラと呼ばれています。
これから眉間を使い、いいと感じられる方法をいくつか試してみたいと思います。



昔から映画がとても好きなのですが、
最近はネットで見る「座頭市」にはまっています。
何といっても座頭市演じる勝新太郎が魅力的で、
その男の色気といったものは、今の役者の比ではありません。

幸いYouTubeに座頭市シリーズがたくさんアップされていて、
今はそれを少しずつ楽しみながら見ています。

若い人は座頭市と言っても分からないでしょうね。
座頭とは昔の言葉で盲人のひとつの階級で、
盲人の市という居合いの達人が、悪い奴らを刀でぶった切っていくという物語です。

映画の中にはいろいろと名場面がありますが、
松方弘樹のお父さんである近衛十四郎との剣術シーンが見応えがあります。



座頭市はあくまでも架空の作り話であり、
目が不自由であるということは、実際実に大きな障害です。

先週の土曜日、広島で中区ボランテイア祭りという催しが開かれ、
目隠しをしたまま折り鶴を折るという盲人疑似体験をしてきました。
この体験をするのは二度目ですが、実際にできたのはこんなのです。 (;^_^A





ちょっと言い訳をさせてもらうと、
この日は午前中から法事があり、
お昼にご馳走を食べ、ビールを飲み、美味しい日本酒を飲んだ後でした。
酩酊していたにしてはまあまあ ・・・ ですね。 (^o^)v

今まで日本でもインドでも、折り鶴は数え切れないほど折っています。
インででは、ガタガタ道を走るバスの中で立ったまま折ったこともありますが、
指先の感覚で折っていると思っていたものも、
随分と視覚に助けられていたということがこのたびよく分かりました。

何事も体験ですね。
先日しばらくインターネットが使えなくなったこともそうですが、
モノやコトの大切さは、それをなくした時に最もよく分かります。

ですから本当に賢い人というのは、
それを有している状態にいながら、その有り難みを感じられる人だと思います。

日々健康に生きていくことができる、
ただそのことに感謝できる自分でありたいと願います。

2015.10.27 Tuseday  
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