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2014年12月22日 ・・・ 引き受けと引き寄せ

真理は深ければ深いほどシンプルなものである。

ここ最近二回続けて引き受け気功の講習会に参加し、
創始者の藤谷康允先生のお話を聴き、そのお人柄に触れ、
このことをより深く感じさせてもらうことができました。

引き受け気功 藤谷康允先生

引き受け気功の講習会は、
ここ十年近い間、適度な間隔を空けながら参加してきたのですが、
参加するたびに藤谷先生の語られる引き受けの世界は深まり、
内容はより簡潔で分かりやすくなり、
それはまるで『上善水の如し』、
小川の水がサラリと目の前を流れていくように、
話される内容が心に染み入ってきます。

藤谷先生はいい意味でまったくカリスマ性がありません。
ただ普通のどこにでもいるおじさんのような方ですが、
その “引き受ける” という哲理を己の生き様で徹底して体現し、
いつもユーモアたっぷりに誰とでも気軽に話されるお姿は、
まるで尊い菩薩のようです。

世の中には威厳を持った近寄りがたい立派な方もたくさんおられますが、
藤谷先生のような方こそが、
真に人類を救う力を持っておられるのだと感じます。

引き受け気功で説かれる生き方は、
今の自分が求めているものと最も近いので、
数年ぶりに会員登録をし、
これからは地元で開かれる講習会には極力参加しようと考えています。
  <引き受け氣功のワンダーライフ>  <講習会スケジュール>

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時空間、愛、エネルギー、言霊、形や構造、・・・こういった事象や概念が
すべて究極的には同一のものであるのと同様に、
引き受ける、ただ足るを知る、今この瞬間を生きる、ワンネス、・・・
これら生きる上で大切だとされるキーワードもまた
最終的にはまったく同じところに行き着きます。

すべてを引き受けるからこそ満ち足りた感覚を味わえ、
充足感、足るを知ることができます。

今で十分満ち足りているので、
過去を悔やみ未来を煩う必要がなく、
ただ今この瞬間を見つめ、生きていくことができます。

すべては繋がりワンネスだからこそ、
今この瞬間の喜びは周りすべてに伝搬し、
それが再び新たに喜べる現実として返ってきます。


引き受けるためには、
心の中で頑なに持っている「こうならなければならない」
という思いを手放すことが求められます。

自らの例で言うならば、
二十数年前、人生のバブルがはじけ、
電信柱にぶら下がっている求人案内を手に、
日雇いの土木の世界に入りました。

その当初は人生すべてに絶望したような気持ちでしたが、
その世界にも少しずつ慣れ、
これまで抱いていた価値観を否応なく捨てざるえないようになるにつれ、
その暗闇と思っていた世界にも少しずつ灯りが点るように感じられました。

けれど本当は灯りが点ったのではなく、
暗闇に目が慣れ、少しずつ視野が開けてきたのです。

それまで特に大きな苦労もなく、
進学、就職と順調と言える道を歩んできて、
その道を歩むことこそ唯一の幸せと信じ、
己の価値観に基づく一本の橋の上を一歩ずつただ前に向かって歩いていました。

けれど人生のバブル崩壊とともにその橋から転げ落ち、
今までの灯りが煌々と点る場所から外れ、
暗闇に身を置かざるえなくなると、
その暗闇の中には今まで以上に広い世界が開けているのだということを知りました。

一本の橋の上よりもその橋の裾野の方が広いのは当然です。
また橋の上が明るくその下が暗いと感じていたのも、
それは自分が頑なに持っていた価値観がそのように見せていたのだということを
知るようになりました。

手放して広がる新たな世界です。
自分の場合は手放さざるえない状況に置かれたのですが、
本当は自らの意志で手放した方が楽な道を歩めるでしょう。


慣れない土木の仕事で心身ともに疲れ果て、
その当時の最も大きな喜びは、帰宅してから行く銭湯の心地よさ、
そしてその後に腹ぺこで味わう夕食の美味しさでした。

これはともに肉体から湧き上がってくる感覚です。
また比較の世界を超え、
ただただ心地いい、嬉しい、こんな絶対的な感覚です。

それは昨年インドのホームで感じた、
この上ない幸福感と同じです。
この時もやはり心が満たされながらも、
“体から湧き上がる” という強い肉体感覚を持ちました。
  その時の思い ・・・ <最高のもの>

生活習慣のまったく異なるインドのホームで子どもたちと暮らし、
日々の生活、行動という肉体活動をともにしたからこそ得られたものであり、
だからこそ肉体感覚を持ったのだと思います。


引き受けることによって得られる喜びは、
他のどんなものとも比べる必要のない絶対的な喜びです。
そして真に引き受けるためには、
肉体を用いた行動がどうしても必要だと感じます。

この世は陰と陽とが共生した世界です。
精神と肉体、相対と絶対、
どちらも大切であり、どちらにも大切な価値、役割があります。

そうした中で自らの経験を通して感じるのは、
本来霊的な存在である人間は、
有限な肉体を持って生きることにより、
まずはこの肉体を通して霊、魂、心を磨きたい、
こう願って生を受けているのではないかということです。

ですから心に真理と喜びを求めるにしても、
本や知識から得たもので自己改革を目指すことよりも、
自らの肉体を使い、経験や実践を通して学ぼうという姿勢が
より大切であると感じます。

陰陽どちらも大切であり、
そのバランスを取ることが最重要なことなのですが、
情報化社会に生きる現代日本人は、
どうしても知識先行になってしまいがちなので、
そこに注意をしなければなりません。

貧しくても自然とともに暮らすインドの子どもたちは、
限りなく明るい喜びを自らの体で体現しています。
文明的なモノには恵まれていなくても、
豊かな自然の中で様々なことを経験できる彼らは、
生きる喜びを感じ取る “知恵” を身に付けているのです。




またこの世の中の事物はすべて相対の関係で成り立っていて、
自分と周りのものとの相対的な関係、
これが価値観のすべてです。

例え高価な金銀財宝が山のようにあったとしても、
無人島に一人で暮らしていれば、何の価値もないのです。

そして周りのものとの関係がすべて相対であるがゆえ、
その中心となる己の中には絶対的で確固たる柱が求められます。

己の中に絶対的なものがあるがゆえ、
周りのものをしっかりと、正しく見つめることができます。
また心の内に湧き上がってくる思いを、
他と比べることなくただ味わうことができます。

カルト教団と呼ばれるものを信じている人たちは、
どんな立派なことを語り、実践しても、
そのグループ以外の人たちから疎んじられてしまいます。

それはカルト(狂信的)が価値観の主体を自分の外に預け、
かつその外のものを絶対視しているため、
そのことに周りの人間は危うさを覚えるのです。

カルトは宗教だけではありません。
趣味、健康法、人間関係、ライフスタイル、・・・
どんなところにでもカルト的要素は入り込むことができます。

思い入れ、こだわり、徹する、
こういったものとカルトを区別するのは難しいことです。

多少奇異な行動をしても、
それが本当にその人の心の内から湧き上がった思いに基づいているのなら、
周りからは微笑ましく見られることも多いのですが、
それが外からの借り物の価値観によるものの場合、
近寄りがたい何かを感じさせます。

カルト的なものとそうでないものは、
明確に分離しているわけではなく、
すべてに善悪どちらにもなりうる芽が混在し、
それを見極め、コントロールしていくことが大切です。

そしてやはりそのためには、
己の中に変わらぬ一本の柱がなければなりません。
己の中に安定した基盤があるからこそ、
揺れ動く周りの物事と自分自身を冷静に正しい目で見つめることができます。


三ヶ月前インドから帰国した際、
到着した関西国際空港で日本円やカード類の入った財布、ケイタイ、
その他すべての貴重品が手元から消え、
無一文かつどこにも連絡することができず、
関空から一歩も外に出ることができなくなった時、
そのすべてを “引き受け” 、心の中はただ喜びで満たされていました。

それができたのは、その数日前まで仲良く接してくれた、
極貧の暮らしの中で明るくイキイキと生きるインドの子どもたちのお陰です。

彼らから物質的に “ゼロ” の状態でも、
心を明るく保ちながら生きていくことができるということを、
体に染みこませるように教えてもらいました。

あの関空での心満たされた感覚、
それが奇跡を呼び、目の前に知人が現れ救ってもらったのですが、
あの時の心の状態は、
三ヶ月経った今もほとんど変わることなく心の中に存在しています。

またそれを保ち続けることが、
その喜びを伝えてくれた可愛いインドの子どもたちにできる
最大のご恩返しだと感じています。


あの時の感覚は、
人生の中で何度も経験できないかもしれないというほどの
完璧に “引き受け” た、また “手放し” た状態でした。

あの時にもし何事もなく荷物を受け取り、
そのまま家まで戻っていたら、
自分の心の状態を確認するができなかったでしょう。
またあのことがあったがゆえ、
インドでの気づきをより深く心に刻み込むことができました。

あの関空でのトラブルは、
恵み以外の何ものでもありません。


あの時から自分の心の中の軽さをハッキリと自覚することが
できるようになりました。
どんな状態でも引き受けられる自信がつき、
「こうならなければ困る」という思い、恐怖、拒否感が
目に見えるように消えていったのです。

このどんな状態でも引き受け、
「こうならなければ困る」という思いを手放せたことによって、
逆にどんなことでも引き寄せられる感覚が湧き上がってきました。


来月中旬から再びインドに行きます。
今回は昨年親娘で広島に来てくれたスレッシュの娘ジーナが結婚をするので、
その結婚式に参列するのが目的です。

もちろん結婚式だけではなく、
三カ所のホームを周り、
ホームの子どもたちとたっぷり触れ合ってこようと考えていて、
そのことを思うと胸がワクワクします。

来月ホームに行けたなら、きっと大きな喜びが得られるでしょう。
それを期待し願っています。
けれどそれと同時に、もし何らかの事情でインドに行けなかったとしても、
それはそれで喜びとともに受け入れられる自信があります。

インドに再訪することは大きなプラスの喜びですが、
それがなくなったからといって、決してマイナスになるものではありません。

ただ生きている、これだけで十分に喜びであり、
その上に何が加わろうとも全体の喜びは変わりなく、
また比較するべきものでもありません。

どんなことがどんな喜びに繋がっているかは誰にも分かりません。
ただ今この瞬間の喜びを感じ、
どんなことでも引き受ける。ただこれだけです。

今はこのことが完璧ではありませんが、
以前よりは格段にできるようになったので、
どんなものでも引き寄せられる気がしているのです。


引き寄せの法則を説いた本には、
必ずと言っていいほど『願い事は完了形で』と書かれています。

人間の潜在意識は無限の力を持っています。
そしてその力は、人間が想像したことをすべて叶えることができます。

ですから「 ・・・ でありますように」という願い方では、
その願いが叶っていない現状をも想像することになり、
そのイメージを排除するために、
完了形で、イメージのすべてを願いが叶った状態で満たすべきだということです。

これは想念の法則として理に適ったことではありますが、
これだけでは完全にイメージは切り替わりません。

例えば重い病で苦しんでいる人が、
強い願いで病気から回復した姿をイメージしても、
そのイメージを求める影には、
その病に対する恐怖や嫌悪感があり、
それが心の奥に刻み込まれています。

これは容易に払拭できるものではなく、
たとえ顕在意識から消え去ったと感じたとしても、
潜在意識下の思いは残ります。

これを完全に消し去るには、
それを引き受けなければなりません。
マイナスのものを消し去るのではなく、
マイナスのものを形を変えず、
そのままプラスと受け取るのです。

引き受けるというよりは “受け入れる” と言った方がいいかもしれません。
それができて初めて完全にマイナスを消し去ることができます。

この世の中に無駄なものなどひとつもないのですから、
それは楽なことではないにしても、
やろうと思えば必ずできるはずです。

ですから引き寄せの法則を完全なものとするためには、
その根底に引き受けることがなくてはならないのです。


とんなことにもみな意味があり、
その意味を感じたいと願い自らが創り出しているのですから、
その意味を感じ取ってあげなくてはなりません。
それが受け入れるということです。

感じ取り、味わい尽くし、
そこから学ぶべきものをすべて吸収したならば、
自然と次の段階へと移行することができます。

やはり病を例に取ると、
病も何かを伝えるメッセージであると捉えたならば、
まずはそれを感じ取ることが一番です。

またそれが分からなかったとしても、
引き受ける(受け入れる)ということはその意義を尊重することになり、
ただイメージの中から消し去ろうとするよりはるかにいいのです。


陰なるものを引き受けるから陽なるものが引き寄せられる。
引き受け気功の藤谷先生は、それを
『鬼は内、福は外』、
『引き寄せれば離れ、押し返せば戻ってくるタライの水の法則』
などの言葉で語っておられます。


引き受けるというのは引き受け気功の世界だけではありません。
自ら実践していることでいうと、
公衆トイレを素手で掃除することも、感情を手放すセドナメソッドも、
ガラクタを手放すスペースクリアリングも、
また貧しいインドの子どもたちと同じ時を過ごすことも、
みな何らかの心の中の囚われを手放し、
新たな価値観を引き受けるということです。

真理は深ければ深いほどシンプルなものである。
この世の中は、極めてシンプルな仕組みの中で、
最も深い学びができる場として創造されているのだと感じます。



2014.12.22 Monday  
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