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2013年8月12日 ・・・ 心の望むもの

インドから帰ってきて一ヶ月近く経ちますが、
体の中に残っている未消化な感覚が抜けきれません。
思いはあっても、それを行動に移し、
その行動が結果として成就するには時間が必要です。
たふんその結果が得られるまで、
この心の中の違和感が消え去ることはないでしょう。

今回のインドの旅で、
自分の中にある思いにハッキリと目覚めることができました。
これまでも漠然と感じていたことに対して、
これこそが心の奥が望んでいることであり、
魂が喜ぶことだと確信を持てるようになりました。

そしてそれと同時に、その望んでいること以外のものに対しては、
ほとんど執着心がなくなってしまいました。


昔から奉仕の精神が旺盛で、無邪気な子どもが大好きです。
そして魂の故郷インドに限りない憧れを抱いているのですから、
インドのホームで子どもたちと過ごすことに至福の喜びを感じるのは、
自分にとっては極めて自然なことです。

今回三度目のホーム訪問で、
子どもたちとともに過ごす時間をたくさん持つことができ、
心の中に抱えきれないほどの宝物をもらうことができました。

その宝物を贈ってくれた可愛い可愛い子どもたち、
彼らの輝くような笑顔から、
無限の力、喜び、幸せ、・・・もう言葉で言い表すことのできないぐらい
たくさんのものを感じます。

この子どもたちの輝くような笑顔、
この笑顔をいつまでも光り輝かせたい、
その笑顔の数を増やしていくお手伝いをさせてもらいたい、
それが自分の心、魂が最も望むことであるということを、
今回ハッキリと自覚することができたのです。


これは今回初めて感じたことではなく、
これまでも何度も感じていたことではありますが、
何かの臨界点に到達したのでしょう、
それが心の中でハッキリと形になりました。

自分の思いが明確化するのは大きな喜びです。
これから進んでいこうとする道が形として見えるようになり、
将来得られるであろう喜びに確証が持てるようになりました。

明確化するというのは、
カメラでいうと、目指すべき被写体にピントを合わせるようなものです。
被写体がハッキリと見えるようになると同時に、
余分なものにはピントが合わなくなります。


ホームのコテージで子どもたちに手を引かれ、腰を下ろし、
子どもたちの手で食器に料理をよそってもらい、
みんなとともに楽しく笑い合いながら食べる朝ご飯、
自分にとってこれに勝る心喜ぶ食事はありません。
そのことを今回明確に理解することができました。



日本に戻ってから何度も美味しいご馳走をいただきました。
楽しい仲間とお酒を酌み交わし、
高級な料理も何度か口にしましたが、
どんな素晴らしい食事会でも宴会でも、
あのホームでの食事の喜びに勝るものではありません。

たぶん世界最高の五つ星レストランで食事をしても、
同じことを感じるでしょう。

これは極端な言い方だと思われる方もいるかもしれませんが、
自分の心の中で本当にそう感じるのです。
それぐらいホームの子どもたちと過ごす時は至福のものであり、
自分にとって望むべき最高のものです。


最高のものとはそれよりも上がないということ、
もうそれで十分だということです。
また十分足りているので他と比較することもないのです。
ただただありがたい、それだけです。

コテージの中には貧弱な照明設備しかなく、
それも普段は点灯していないので、いつも薄暗い状態です。
けれどそれがもっと明るければいいのにとはまったく思いません。

子どもたちの食事メニューは一週間のローテーションで決まっていて、
とても質素な内容です。
日本的感覚でいえばとてもご馳走と呼べるものではありませんが、
子どもたちが思いを込めて配膳してくれて、
それをみんなで食べる喜びがあれば、
もうそれ以上のものは必要ないのです。


このことを感じることができ、
日本に戻ってから美食というものにほとんど興味がなくなってしまいました。

他の物欲に関しても同様です。
これまでも一般的な成功思想とはほど遠い生き方をしてきましたが、
それがより顕著になり、
限りある喜びしか得ることができず、それとともに大きな執着を生むモノに対し、
格段に興味が薄れてしまいました。

今はまだ心が熱い状態であり、
今後時を経るに従って少しずつ思いの形に変化が生じてくる可能性はありますが、
これは決して一過性のものではないと確信が持てます。
後戻りできないラチェットの歯車が完全にひとつ先に進みました。


ただただありがたい、これが感謝の基本です。
感謝は愛と同様に条件は必要ありません。

こうなってくれたらありがたい ・・・ 、
こうなって欲しいから感謝をする ・・・ 、
そんな気持ちが根底にあったなら、
それは感謝ではなく欲でありエゴです。

日々の生活の一部として祈りを捧げるホームの子どもたち、
そして日本山妙法寺での祈りの日々からそのことを強く感じました。


ワークを通して感謝の気持ちを高める「ザ・マジック」を何度もご紹介しましたが、
やはりインドに行く前にこの本と出合うのは必然であったのだと強く感じます。

ザ・マジックザ・マジック
ロンダ・バーン 山川 紘矢

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けれどこの本で提示されている28日間のワークの最後の部分は
インドに移動する時と重なり、
一番最後28日目のワークは、実はやることなく長らく放置したままだったのです。

それが今日、なぜか急にやろうという気持ちになり、
形式的なものですが、一通り提示されたワークのすべてを終えることができました。
これで心の中のひとつの大きな区切りとなりました。


これまでのスピリチュアルな人生に於いて、
奇跡のような出来事やシンクロニシティー(共時性現象)を数多く体験してきましたが、
それらは常に一定のタイミングで均等に起こるわけではありません。
それらが頻発する時期とそうでない時期があります。

人生には循環するリズムがあり、
その時々によって心の状態も異なるのですから、
それは当然のことです。

そしてインドから帰ってきた今、
シンクロや導きと思えるようなことがたびたび目の前に起こるようになりました。

ハッキリと自覚できるほど心の中の状態が変わり、
自分の心の奥底と表面意識がより親しい関係となり、
意識の焦点が明確化し、
余分な想念や迷いがなくなって心の中がとても静かになったのですから、
以前よりも現実世界に心の状態が如実に反映されるのは自然なことです。

今は自分の思いに正直に、そして流れに沿って生きていくことが
楽であり楽しいと感じる日々です。


今強く思っていることのひとつが、世界中で虐げられている人たち、
苦しんでいる人たちの現実を知るということです。
まずは現実を知り、
そこから自分の進むべき道を構築していきたいと考えています。

自分にとって最も身近な虐待は、やはりインドの身分差別カースト制によるものです。
この現実は絶対に避けて通ることはできません。
けれどその実態はあまりにも過酷であり、
今の段階でそれを知りすぎると、
心の中がヒートアップし過ぎてしまうのではという懸念があります。

今の自分にできることは限られているのに、
思いだけが過剰に先行することは苛立ちや葛藤に繋がりかねません。
自分の中には極めて強い理想主義的な心と直情的な面がありますので。


十数年前に出版され、当時話題となった
インドでのカーストの悲劇を描いた「女盗賊プーラン」という自叙伝があります。

1996年のインド統一選挙で、文盲の国会議員が当選した。プーラン・デヴィ。かつては盗賊の女王と呼ばれたインド民衆の英雄である。義賊の女首領、司法取引による投降、そして11年にわたる獄中生活の後に、彼女が国会で目指したものは何か。そして、波乱の人生を駆りたててきた来歴とは、一体どんなものだったのか――。
本書は、否応のない境遇に反旗を翻したひとりの女性の物語だ。運命に翻弄され、それに決して服従しない魂が出会った苛酷な事態が、上下2巻の詳細な口述筆記をとおして語られている。訳文は読みやすく、優れたノンフィクションという以上に、エンターテイメント活劇として1級品の魅力がある。

インドの文盲率は60パーセントだという。これはカースト制度の遺習によるもので、国家の教育制度をうんぬんする以前の問題である。つまり、プーランは国家を超えた社会・文化のすべてに向かって反逆したのだ。 

11歳で結婚を強いられ、虐待されて婚家を追われたプーラン。その後に待ち受けていた村八分、レイプ、盗みの濡れ衣。盗賊に誘拐されて変転を始めた皮肉な運命と、復讐を契機に始まる人間的な覚醒。圧倒的で底のない社会制度の中で、プーランが見つけ出したものに拮抗する言葉は、彼女自身の次のコメントをおいてないだろう。
――わたしは敬意を払ってほしかった。「プーラン・デヴィは人間だ」と、言ってほしかった。 (今野哲男)


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まずはこの本を読んでみたいと思いました。
読むと心の中の葛藤が増すのではという不安も少しありますが、
やはり避けて通ることはできません。

今日は知り合いの見舞いで病院に行き、
その帰り道、久し振りに近所のブックオフの前を通りました。

ここで「女盗賊プーラン」があるか探してみようと思って入ろうとすると、
店の入り口に大きなポスターが貼ってあり、
そこには十日後にここを閉店するので現在セール中であると書かれています。

店内はいつもよりたくさんの人で賑わっていましたが、
外国作家のコーナーに行くと、すぐに「女盗賊プーラン」が、
上下巻二冊揃った状態で目の中に飛び込んできました。
やはり今この本を読むべき流れにあるのでしょう。

しかも普段は定価の半額850円で販売されているこの本が、
今は閉店セールで三冊105円になっているのです。
今は店内すべての本がその価格です。


三冊というと後一冊必要です。
「女盗賊プーラン」のすぐ近くの棚に目をやると、
見覚えのあるタイトルの本がありました。

以前「奇跡の脳」というタイトルでご紹介したことのある
ジル・ボルト テイラーのハードカバーのその本でした。

奇跡の脳奇跡の脳
ジル・ボルト テイラー Jill Bolte Taylor

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これは文庫本で持っているのですが、
今この時、再びこれを読むことを自分が望んでいるのだと感じ、
この本も手にしました。
これで三冊105円です。

さきほどまで自分の書いた「奇跡の脳」のページと、
ジル・ボルト テイラーの講演動画を見返していました。



それによって、自分がなぜ今このことを思い返すことを望んでいるのか、
それがよく理解できました。

彼女の体験と研究によると、
右脳は現在、この瞬間に関わり、物事を体を通して画像的に捉え、
すべてのものを繋がったひとつのエネルギーとして認識します。
この瞬間、すべてはひとつであり、完全であり、また美しい存在だと感じ取ります。


ジル・ボルト テイラーが学者としての脳の研究、
そして自らの脳卒中の体験から得た真理を、
自分はまったく違った形でインドで体験したのです。


よく言われることですが、
ありがたいから感謝をする、
そして感謝をするからまたありがたい感謝すべきことが起こってくる、
こんなありがたい目に見えない流れを、
今は身近なところで感じています。


前項で、インドの旅の感想はこれでお終いと書いたのですが、
また結局インドの話になってしまいました。
本当に素晴らしい体験から得たものは、
少しずつ内面で発酵し、染み出るように出てくるのですね。

これからもまたきっと何が出てくるでしょう。
それはとても楽しみなことです。




なにがそんなに楽しいのかな?
感謝するのに条件がいらないように、
喜ぶのだって理由なんかいらないよね。

ただ嬉しい、ただ楽しい、ただそれだけ、
そしてそれがすべて ・・・ 。


2013.8.12 Monday  
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