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2013年6月9日 ・・・ モノと心の乱れ

陰と陽、天と地、月と太陽、時間と空間、東洋と西洋、男と女、・・・
この宇宙(時空)には、
二つでひとつ、対極の関係になっているものがたくさんあり、
実に精妙なバランスの上に成り立っています。

対極のものは、二つで互いにバランスを保つために対等のエネルギーを持ち、
属性が真逆であることから、
一枚の紙の裏表、あるいは鏡の前にあるものと
その鏡に映ったもののような関係とも言えます。


この宇宙全体を大宇宙、
そして自分の内なる世界を小宇宙と称し、
自分の内側に宇宙の真理がすべて体現されていて、
己を知ることがすべてを知ることに通じると言われています。

そしてそれと同時に、
自分と対極の関係であり、
自分の心の表れである外の世界を見ることによって、
自分をより深く知ることができるとも言われています。
これは鏡で自分の顔を見ることと同じです。

自他に於いて、
自が小宇宙であり、他が大宇宙であり、
どちらも同じ鏡の関係です。


先日アップした「潜在意識に主語はない」を書いている途中で、
それとほとんど同じ内容のページを三年前にも書いていることを思い出しました。

潜在意識に主語はありません。
自分は幸せになりたい、けれど他の人は不幸になってもかまわない、
こんな風に思っても、主語を受け取れない潜在意識は、
いい思いも悪い思いも、すべてを自分のこととして具現化させてしまうのです。

情けは人の為ならず、人を呪わば穴二つ、
この事実はとても大切なことなので、
何度も同じことを書いてもいいだろうと思い、
繰り返し書かせていただきました。

けれどそれを書いている途中に、
「潜在意識に主語はない」のは、
意識、あるいは時空の深い次元ではすべてがひとつであり、
自他の区分はないからだということに思い至りました。

これは今では当たり前のこととして感じられますが、
三年前は、そこまで感じ取ることはできませんでした。


なぜ潜在意識に主語はないのか、
このことは意識、時空の真理を知るためのとても大きな鍵となるものです。

このことを一度深く考えてみてください。
そしてそのことが深く得心できればできるほど、
心の中の自他の区分がなくなり、
嫉妬や怒りなど、他人に対する不快な感情が薄れてくるはずです。

この時空の摂理は限りなく完璧です。


目に見えない心の世界と目に見えるモノの世界、
これらも二つでひとつ、対極の関係であり、
モノの世界を突き詰めることで、心のあり様も研ぎ澄まされてきます。

ですから不要なモノを処分し、
モノを整理整頓することによって心も整えられると、
このホームページで何度も繰り返し書いてきました。

書いてきましたが、
その書いている本人が完璧にできているかというとそうではありません。
長年のモノとの葛藤を経て、
不要なガラクタと呼べるものはほとんど処分することができましたが、
今あるものをすべてきちんと整理できているわけではなく、
整理途中のモノが床に転がっていたりするのです。

その時の部屋の状態は、その時の心の状態を如実に反映します。
これまで何度もそのことを感じてきました。
心が乱れている時は部屋も乱れ、
いらないモノをスッキリと処分した後は心の中も同時にスッキリとします。

今は心、頭の中で整理しきれないものが残っています。
ですから部屋もまた整理し切れておらず、
これを完全に整理するためには、心の壁を打破することが必要です。

そしてモノが整理できたなら、心の中も整理される方向へと行くでしょう。

また整理しきれずにモノを放置しているというのは、
そのモノを大切にしていないという気持の表れです。
ですから時折床に置いてあるモノが邪魔になる時は、
足で適当に横の方にずらしたりするのです。

これはいけないことですね。
いけないことですが、モノを粗末にしたり、
邪魔者扱いしている自分の気持が
つい行動となって無意識的に体を動かしてしまうのです。

こんな恥ずかしいことをこに書くのも、
なんとかしてその心を変えていきたいと願うからです。


先日あるきれいなマンションに仕事で行きました。
帰り際、玄関先でスリッパを脱いで靴に履き替えたのですが、
その脱いだスリッパが少し斜めになってしまったので、
そのスリッパを直そうとして、つい足が出てしまいました。

本当ならば手できちんと整えるべきものだったのですが、
普段の生活の中で足を使っているからでしょう、
無意識的にパッと足が出てしまったのです。

その足が出た瞬間、
家でも同じことをしている自分の姿が頭に浮かびました。


母親が嫁入り前の娘さんに、
「台所で立ってつまみ食いしてはいけません。
 そんなことをしていると、
 外でもその行儀の悪い習慣が絶対に目に見える形で現れてきます」
こんな注意をしたという話を読んだことがあります。

これは本当でしょうね。
一人でいる時の行動は、
必ず大勢の人のいる前でも現れてきます。

形、モノの乱れは心の乱れ、
一人の日常生活の乱れは大勢の人たちと交わっている時の乱れに通じます。
二つでひとつ、対極であり鏡の関係です。


心とモノが対極であるように、
対極のものはそのどちら側からでもアプローチし、
学んでいくことができます。

人間は生きている限りずっと学びの連続ですね。
ともに学び、ともに歩みましょう。 (^o^)v

2013.6.9 Saturday  
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