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2013年2月24日 ・・・ 向かい合うこと

水は高いところから低いところに流れ、
その逆が自然と起こることはありません。

プチ権力者という言葉があります。
小さな権力を振りかざし、
自分より弱い立場の人間に高圧的態度に出る人間のことで、
これは人間の持つ最も醜い面のひとつです。

低い立場の人間から上の人のことはよく分かりますが、
上の立場からは下の人のことはなかなか見えてはきません。
また見ようともしない場合がほとんどです。


知り合いの被爆者のお年寄りが二ヶ月以上前から入院していて、
一進一退でかなり危ない状態が長らく続いています。
その方にとっては呼吸をすること、たんを吐き出すことひとつひとつが難行で、
まさに今生きているこの一瞬が苦しみであり試練となっています。

お見舞いに行っても何もすることはできないのですが、
広島市内にいる時はなるべく足を運ぶようにし、
周りの人たちの近況を知らせたり、
奥さんの用事をお手伝させていただいたりしています。

病院にいると、看護師さん、看護助手さん、お医者さん、
病院スタッフの方たちのほんのささいな振る舞いや言葉遣いに
心が大きく動かされます。

本来は患者はお客様であるべきものですが、
命や健康という人間にとって最も大切なものの命運を預けている
病院スタッフの方たちは、
絶対的に頼り、すがらなければならない存在で、
その意味ではやはり患者側は相対的に弱者です。

見舞いに行っている自分でもそう感じるのですから、
常に苦しみと絶望を抱えベッドに横になっているお年寄りの患者にとっては、
病室に出入りし、枕元から仰ぎ見る病院スタッフの方たちの存在は、
“わらにもすがる” のわらであり、
生殺与奪の権限を持つ神に近い存在ではないかと思われます。

そういうことはもちろん病院の方たちも十分にご存じでしょうが、
日常の職業として病人と対応する中で、
その病人の苦しみや感情の動きを真正面から受け止め、
それで自らの感情を左右させるようでは、
仕事として看護や医療にあたることはできません。

言葉や態度は常に冷静を保ち、
必要な看護や医療にあたりながら、
その中でいかに患者の心を癒やし、満足させ、安心感を与えられるか、
それがその医療人としての力量です。


病院にはいろんなタイプの方がおられます。
看護師さんたちは、
入院しているお年寄りから見ると孫のような若い年齢の方が多いのですが、
その若い看護師さんから、冷たいとまでは言わないまでも、
機械的で暖かみのない言葉で看護や介護をしてもらっている
お年寄りの気持を考えると、
どんなに辛く苦しいだろうかと、横で見ていて胸が痛くなります。

今はベッドの上でほとんど動けなくなっているお年寄りでも、
それまでの人生でたくさんのことを積み上げてきて今があるのですから、
そのことに、ほんの少しでも敬意を払っていただきたいと思います。

歳を取ると子どもに返るようなものだとよく言われます。
けれどだからといって、体や言葉が不自由になったお年寄りが
子どものように扱われることには抵抗があります。

相対的弱者である患者側には、
それに対して面と向かって文句を言えないのが歯がゆいところです。


そうかと思うと、事務的に淡々と看護をする中で、
ひとつひとつの言葉や動作に
患者への気遣いを感じさせてくれる看護師さんもおられます。

その差はほんのわずかなところですが、
そのわずかなところにその人の深い部分が表れます。


立場がより上の医師の場合、
その強者としての立場が明確に表れます。
もちろん例外はあるでしょう。

ある体調の優れない日、お年寄りが横についている奥さんに、
「えらい、えらい ・・・ 」(苦しい)と何度も繰り返し訴えておられました。
横にいる者はその苦しみを和らげることも引き受けることもできず、
ただ本人が安心するような言葉をかけることしかできません。

そんな時に主治医の先生が病室に入ってきました。
お年寄りはこの永遠とも思えるような苦しみの中からなんとか脱したいと願い、
すがる思いで主治医を見上げ、言葉にならない言葉で、
「えらい ・・・」とつぶやき、訴えます。

主治医はそれを聞き、ベッドの横で表情ひとつ変えず、
目線をちらっとそのお年寄りに向け、
「○○さんは僕の顔を見るといつも『苦しい』って言うんだね」
と言い放ちました。

その時、その医師が患者に投げかけた言葉はこの一言だけです。
この人が特に冷酷な悪人だとは思いません。
医師という強者の立場は、人をこのようにしてしまうのでしょう。
自らも戒めなければならないことです。

その医師は横にいる奥さんに向けて、
「今のところ数値は安定しています。
 けれどこれは状態がよくなったのではなく、
 薬の影響でこうなっているのかもしれませんのでまだ注意が必要です」
と説明していました。

ただ機械的に数字の説明をするのであれば、
人間の言葉でする必要はありません。
印刷したものを渡すか、機械に読み上げさせればいいのです。

患者はただ単なる肉の塊ではありません。
きちんとした人格と意志、感情を持った尊い存在です。

このことを医療人はしっかりと自覚し、
体だけではなく心をも癒やす医療に取り組んでいただきたいと願います。


以前も少し書いたことがありますが、
その病院には、名人芸とも言える心遣いのできる看護助手さんがおられます。
明るい方言丸出しの年配女性です。

その方も仕事っぷりは淡々としたもので、
別段感情を表に表すことはありません。
けれどその中で相手の心に入り、安らぎを与え、
明るい希望を持たせるのがとても上手です。
これはもうその人の生き様、人間力そのものであり、
人から技術として教わってできるものではないでしょう。

先日、その方がお年寄りのひげを剃ってくださいました。
そしてベッドのお年寄り、奥さんそして自分に向かって、
「○○さん、二枚目になったでしょ〜♪
 けど首筋の後ろのところの髪が気になっていて、
 今度はそこを刈りたいんよ〜♪
 車椅子に乗れるようになったら刈れるからね。
 早く車椅子に乗れるようになろうね♪」
と話してくださいました。

なんと気負わない、そしてスマートな励ましでしょう。
その方に向かって頭を下げ、そして心の中で手を合わせました。

こんな言葉が自然にかけられる、そんな人間になりたいです。


いろんなタイプの医療スタッフの方たちと接し、
その患者に対する態度の違いはどこから生じるのか、
どうすれば理想的な患者との対応ができるようになるのかを
真剣に考えてみました。

真剣に考えれば簡単に結論が出るといった安易なものではないのですが、
ひとつだけ頭に浮かんだことがあり、
そのことを書いてみます。


冷たい機械的な対応をする医療人と接すると、
心に暗澹たる思いが広がりますが、
それをその人に向かって口にすることはできません。

それは相手が強者であるということとともに、
その人が患者に対して人間的な心を開いていないのと同様に、
患者の周りの人間にも心を開いていないのが感じられ、
たぶん何を言っても聞く耳を持たないだろうし、
言っても無駄だと感じるからです。

ただ職業としてひとつの業務をこなし、
受け持っている患者を真に人格のある人間として捉えていないように感じます。
また自らの職務をよりよく全うするためにはどうすればいいのか、
それを求めているようにも感じられません。
これは向上心、志が欠如しているということです。


それに対して患者に暖かみのある態度で接している医療人は、
ルーチンワーク(日常業務)の流れの中にある患者への態度や言葉の中に、
患者への思いやりが感じられます。

「○○さん、今日の体温は○○度ですよ。
 今日は調子がいいですからね。
 この調子でがんばってください」

「これで○○の治療は終わります。
 次は午後○時からしますから。
 それまで待っていてくださいね」

こんなささいな一言が、病床に伏している患者には宝のように響くでしょう。
ほんのわずかな言葉や気遣いから、
その人の深い部分が見て取れます。


この冷たい態度の人と暖かみを感じられる人、
双方の医療人の違いはどこから生じるのか、
深く考え、ひとつのことに気が付きました。
それは視線の違いです。

相手に心を開かず、相手に視線を向けないのは論外です。
さすがに病院にはそんな人はいません。

けれど心を開いていないのは視線の違いとなって表れます。
その視線とは、相手に目は向けていても、
相手に心を向けていないので、
その心の状態が体の態度のとなって表れ、
その視線の元となる顔を相手の正面に向けていないのです。

上目遣い、見下す、横目で見る、流し目、・・・
顔を正面に向けない視線を示す言葉は、
どれもいい意味のものはありません。

仕事だから相手の方に目は向けても、
その人の心や体の状態を受け入れるのがいやだから、
それが相手に顔を向けないという態度となって表れるのです。

先の主治医も、
「○○さんは僕の顔を見るといつも『苦しい』って言うんだね」
という言葉は、ベッドの横で、相手を見下すような状態で言っていました。

まともな精神の持ち主なら、
この言葉を相手の顔を真正面から見据えては言えないでしょう。
ましてや膝を折り、患者と同じ目の高さになり、
相手の顔のすぐ近く真正面からこんな言葉は言えるはずがありません。


思いが態度に表れるのですから、
その思いを変えるため、まずは態度から改めるべきです。
そしてこれは医療人だけではなく、誰でもが実践すべきことです。

「心とからだの健康レポート」にたくさんの健康に関することを書いていますが、
その中で最も大切なのは、
自らの体に手当てをし、声をかける「体との対話」です。

体と対話する際には、
実際に手を当て、体をなでること、
そして声も実際に口から出し、感謝の意を伝えること、
ポイントはこの二つだと以前は言っていました。

けれど最近はそれを改め、
手当てをし、言葉をかける時には、
その体の部分に視線を向けなければならないと、
三つ目のポイントも加えるようになりました。

そしてこの度ここに四つ目のポイントを加えます。
それは視線をそこに向けけるだけではなく、
顔もそちらに向けるということです。


親子、夫婦、友だち、仕事関係、
相手と正面から向かい合い、
心を開き、相手の思いを受け止めるということは、
良好な人間関係を築く上での基本です。

これは日本が異文化国家の韓国、中国と対応する時も同じでしょう。
身も心も相手の真剣に向き合うというのは、
日本文化の持つ美徳のひとつだと感じます。
これからは、これが世界のスタンダードにならなければなりません。


顔を向かい合い、視線を交わすことから交流が生まれる。
やはり心と体はひとつです。

2013.2.24 Sunday  
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