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一言の喜び


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日本から遠くインドまで行くのは本当に大変なことです。
事前の準備、スケジュール調整、費用のこと、・・・
そして大荷物を抱えての移動は体力を激しく消耗し、
海外に長期間行けるのは健康であればこそ、
インドに行くたびにいつもそう思います。

そんな大きな苦労をした後たどり着くインドですが、
人間の気持ちというのは単純なもので、
たったひとつのこと、たったひとつの言葉で、
すべての苦労が解放された思いになることがよくあります。


九年前、初めて南インドのホームを訪ねた時、
日本山妙法寺の石谷上人の弟さんと二人で、
子どもたちから温かい歓迎のセレモニーを受けました。







あの時のステージの上で踊る子どもたちの姿、
それを見守る仲間たちのさりげなくも優しい眼差し、姿勢、
決して華美な服装でもなく、洗練された踊りでもなく、
あくまでも日常の延長としてのセレモニーの中に
彼らが普段の生き様の中で持っている
『ささいなものの中に喜びを見いだす』
という心のあり方を見て、それが胸に響き、大きな感動とともに、
「これを見ただけでも遠く南インドまで来た価値があった」
と感じました。



セレモニーが終わった後で撮った子どもたちの写真、
この笑顔、本当に素晴らしいですね。
比べるものがない、まさに『この上ない』ものです。

今思えばこの時から、最も大切にしている価値観のひとつである、
『ハレ(非日常)ではなく、ケ(日常)の中にこそ最も深い喜びがある』
ということを感じるようになりました。


今回は偶然の導きとともに、
三年ぶりにカルナータカ州のコスモニケタン日印友好学園を訪ねることができました。

三年前は新学年の始まる六月から訪ね、
今はまだ昨年からの学年のままなので、
今回は子どもたちの学年が二つ上がっていることになります。



懐かしい子どもたちの顔を見ると、
三年という時の隔たりが一瞬で消えてしまいます。
すっかり大人びた子もいれば、相変わらず腕白な子どもいて、
子どもたちの変化に頬が緩みます。

コスモニケタンでは創立二十周年を祝う大きな式典がありました。
各界名士や関係者の挨拶、表彰の後は、
子どもたちの踊りが延々と繰り広げられ、
それを観るために近郊の村からものすごい数の人たちが集まってこられました。



たぶんその数は千名を超えていたと思います。
コスモニケタンは村と村の間にあり、
半径数百メートルにはほとんど民家のない平原です。

そんなところに大勢の人が集まってくるというのは、
インド人はお祭りやセレモニーが大好きで、
また自分の子どもの踊りを見たいという親御さんの思いなのだと思います。



日本人の一行は挨拶、表彰の時は壇上の、
踊りの時は最前列の特別席が設けられていたのですが、
自分はそんなあらたまった席はいやなので、
子どもたちがたくさんいる一般席の間をカメラを持ってウロウロとしていました。

インドの田舎で日本人は特別珍しいな存在です。
そこでいろんな子どもたちから声をかけられ、
卒業生なのかもしれませんが、
たくさんの若者たちから一緒に写真を撮らせて欲しいと頼まれ、
十組ぐらいはツーショットや合同写真を撮ってもらいました。

若者たちの多くは、たぶん彼らの月収より高価であろう立派なスマホを持っていて、
それで自撮りをしたり、
ネットをつないでフエイスブックの友だち申請をしてくれました。
三年前はコスモニケタンでネットに繋ぐのに一苦労したのに、
三年間の時の重みを感じます。


宴もたけなわ、あたりが真っ暗になった頃、
一人の可愛い女の子が声をかけてくれました。

「サカイ! 私を覚えてる?」

コスモニケタンにいる時は、なかなか学校の外に出ることができず、
近隣の村を回る下校時のスクールバスに乗るのが何よりの楽しみでした。
その時にたくさんの子どもたちから「自分の家に来て!」
と声をかけてもらい、
その中でも最も積極的に誘ってくれたのがその女の子、ギータでした。

彼女はコスモニケタンを卒業してしまいましたが、
この周年式典の踊りを見るために村から訪ねてきてくれていたのです。

「私の家に来てくれたよね!」
満面の笑みで言葉をかけてくれます。
彼女の家を訪ねたことは、忘れようと思っても忘れることはできません。
インドの村での楽しい記憶は心の中の宝物ですから。

これは三年前の写真です。
真ん中にいるのがギータ、後ろにあるのは、
オートリクシャーの運転手であるお父さんの車です。



こんな遠い、地の果てのようなところで自分のことを、
大切なものとして記憶の片隅に持ってくれている子がいる、
そのことがすごくすごく嬉しくて、
彼女の言葉、その笑顔に心癒やされ、
{やっぱりインドに来てよかった!}
そんな気持ちにしてくれました。

コスモニケタンって本当に遠いんですよ。
細かい経路を書きますと、
広島の自宅から大きなバッグを持って市電(広島電鉄)の駅まで歩き、
そこから市電に乗ってJR広島駅に、、
広島からは新幹線で新大阪、
新大阪から関空へはJRの直通特急、
そこからエアインディアで一路インドの首都デーリーへと向かいます。
飛行機は途中香港を経由し、機内で三時間ほど待ち、
デリーで降りた後は国内線乗り換えのため数時間時間待ちをし、
ここで日付けが変わります。
翌朝早朝、国内線でバンガロールへ、
バンガロールは市街地と離れているので、
迎えに来てくれた車でホテルに移動、
翌日の夕方鉄道の駅に行って夜行列車に乗車、
その翌朝目的のビジャプール着。
日本からバンガロールに行く飛行機の便は毎日就航しているわけではなく、
予定より一日早く着いてしまったので、その日はビジャプール市内のホテル泊、
翌朝、オートリクシャーに20分ほど揺られてコスモニケタンへ。

こんな感じて広島からコスモニケタンまで、
今回は途中四泊しました。
最短で行っても最低二泊は必要です。
そんな遠い遠いコスモニケタンで、
自分のことを楽しい記憶として心に留めてくれている子がいるなんて、
彼女のくれた一言に、限りない喜びと感謝の思いでいっぱいです。


場所は変わってタミルナド州のトリチーにあるホームは、
三つのホームの中では最も大きく、
男の子、女の子、合わせて二百四十名ぐらいの子どもたちが暮らしています。



子どもたちのコテージ(宿舎)は男女四つずつ、計八つあり、
それぞれにハウスマザー、ハウスファザーと呼ばれる管理人がいて、
その他調理や警備など、スタッフだけで十名以上になります。



スタッフは時折入れ替えがあり、
ピーターコテージという女の子のコテージを担当しているハウスマザーは、
今年初めて出会ったNという女性です。
  (プライバシーがあるのでNというイニシャルにしておきます)

インド人、特に女性の年齢はよく分かりません。
ある程度の歳になると急に太りだして一気に歳を取ったようになる方が多いので・・・。
そのNはとてもスリムで、若いだろうとは思ってはいたものの、
まだ十九歳だと聞いてとても驚きました。
十九歳というとホームにいる子どもたちとさほど年齢は変わりません。
実際に彼女は幼い頃、このトリチーのホームにいたそうです。

そのNが自分にとても親しくしてくれて、
彼女はそんなに英語が達者ではないのですが、
いろんなことを話しかけてくれて、
別れる時には、寂しい、寂しいと何度もつぶやくように言ってくれました。

その彼女に冗談で「結婚しようか」と言ったところ、
彼女は快くOKだと言ってくれたのです。
自分は57歳、彼女とは38歳も離れています。
それでも彼女はいいのだと言ってくれます。

「インドの男の子はみんな悪い子ばかりだから」
彼女はそう言います。
たしかにインドでは女性を蔑視する風潮がいまだ残っていて、
自分が子どもたちに優しく接する姿を見て、
きっと何かを感じてくれたのだと思います。

これはまったく冗談のようなことなのですが、
この彼女の言葉は自分にとても励みを与えてくれました。
ホームを訪ね、できることといったらホームの子どもたちやスタッフと触れ合い、
ほんの少しでも楽しい思いをしてもらい、
「そう言えば、ずっと前に変な外国人が来て、面白いことをしてたね〜」
そんな思い出を残してもらうことだけです。


ホームでは子どもたちと楽しく遊ぶのはもちろんですが、
英語のほとんどできないスタッフたちと、
現地語であるタミル語を片言で話し、
それで笑い合うのがすごく面白いのです。

これはキッチンスタッフがナッツの殻をむいているところ、
いつもこんな感じ仕事をしています。



動画を撮る時はみんなかしこまっていて、
撮り終わった瞬間に駆け寄ってきて、
「見せて!見せて!」と大騒ぎするのです。

自分たちもいつもこの山羊や鶏のたくさんいる土間のようなところに腰掛けて、
お昼ご飯を食べました。
牧歌的で最高です。

こんなささいな日常の中での喜び、
それが何よりの宝物です。



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