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傷心の旅


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これでインドを訪ねるのは七度目ですが、
今回ほど精神的にしんどい旅は初めてでした。

その心理的ショックが3月3日に帰国した後もしばらく癒えず、
それが回復した後もホームページを更新する気力が戻らず、
この旅の日記を完結するまで二ヶ月以上の期間を要してしまいました。

インドとの関わりは、これまで奇跡の連続でした。
初めてインドを訪ねた時から深い魂の因縁を感じ、
それからのつながりは、
ただ目の前に現れるご縁をひとつひとつ結んで今に至っています。

そこには深い喜びと同時に強い必然性を感じ取ることができ、
これまでインドとの関わりに於いて、
迷いを持ったことは一度もありません。

ご縁をいただき導かれることに魂の同調を感じられるのは、
何より有り難いことです。

ただ与えられるご縁は必然でも、
それをいかに活かしていくかは自分自身に課せられた重要な課題です。

これまでインドでは大きな喜びと同時に様々な気づきをいただいてきました。
それは生きるための根幹に直結することであり、
それゆえインドの貧しい人たちやホームの子どもたちに幸せを与えること、
これが己の人生の第一義であるとまで思えるようになりました。

けれどその思いを成就するためには、
今の自分の生き方では不十分であり、
それを知らしめるがゆえ、今回しんどい思いを課せられたのだと感じます。


インドは「レイプ大国」と揶揄されるぐらい、
女性蔑視、女性の性犯罪が野放しになっていた国です。
それがここ最近になって大きな社会問題として浮上し、
それに伴って規制も急激に厳しいものとなってきました。

子どもたちの楽園であるホームも例外ではなく、
ホームに無断で侵入し、女児を拉致し、レイプする事件が起こったりして、
女児の保護はとても重要な課題となっています。

そのため、これまで自由に交流できていた
ホームの女の子たちとの関わりに制限ができ、
女の子のコテージに立ち入らないこと、
体に手を触れないこと、
一緒に撮った写真をネットにアップしないこと等、
これまででは考えられないような禁止事項を言い渡されてしまいました。

数年前までたとえ同じ部屋に宿泊しても大丈夫なぐらいだったのに、
その変化はまったくもって急激なものです。

日記の中にも書きましたが、
これまでインドのホームに行くと、
いつも女の子のコテージで食事を取っていて、
それはまさしく自分にとって「最高の時」と感じる至福の一時でした。



それを制限され、最も大きな楽しみを奪われたことはきわめて大きなショックでした。

けれどだからと言って、すべての行動が制約されたわけではなく、
ホームの中では男の子、女の子たちとともに、
たくさんの交流をすることができました。

ですから子どもたちが自分を慕ってくれる態度に変わりはなく、
逆に何度もホームを訪れているため、
これまで以上に深い思いを寄せてくれるようになったと感じます。

つまり女の子との交流に制約を設けられたことによって
ショックを受けたのは自分だけであり、
子どもたちにとってはほとんどまったく関係ないのです。

このことがさらにショックに追い打ちをかけました。
これまで子どものためと思って接してきた自分の思い、態度は、
そのほとんどが己のエゴから発せられたものだということが明らかになったからです。

まったくもって恥ずかしいことです。
自分は聖人君子ではありませんので、心の中に醜いものがあって当然ですが、
それが純粋な子どもたちの持つ “鏡” によってあからさまになりました。

人間誰しもエゴがあり、
それは捨てきれるものではないとは思いますが、
今回のこのことで、己の魂がそこから脱却することを望んでいるのだと感じます。
これは大きな課題です。


また今回は歯の不具合を抱えたままというのも精神的にとても重荷となりました。
インド滞在一ヶ月半のうち、
一ヶ月以上を左前歯が欠けた状態で過ごし、
子どもたちの前でもきわめて不自然な表情しかできませんでした。

何度も歯医者に行ってもいい具合に治療してもらうことができず、
トリチーでは治療した後すぐにぐらつくようになってしまいました。
そのぐらつきだしたのがホームに向かうリクシャーの中だったので、
いったんホームに戻り、同行者を降ろし、
夕方再び診療がはじまる時間に再訪するからと、
リクシャーの運転手に余分なお金を渡し、
夕方再びホームに来るよう約束したものの、
結局ホームの門のところで長時間待っていても
そのリクシャーが来ることはありませんでした。

あの時、歯の欠けた状態で一人幹線道路沿いで立ち尽くしていた夕暮れの光景は、
心の寂しさとともに記憶の中に深く刻み込まれています。

そんな様々な理由であまり笑顔を見せられないからでしょう、
チェンナイではニティアという女の子から、
「ブラザーは去年はとても幸せそうだったけど、
 今年はなんでそんなに悲しそうなの?」
と聞かれてしまいました。

一ヶ月以上こわばった表情をしていると人相まで変わってしまいます。
日本に戻ってからも、何人かの人に憔悴しきった表情だとか、
声に生気がないと指摘されました。


カメラの不具合もまったく思いかけないものでした。
インド初日、首都デーリーを観光している時に、
突然メインで使う予定だったオリンパスのミラーレス一眼の不具合が生じ、
それ以降結局まったく使うことができませんでした。

そこで今回はサブで持ってきたコンパクトデジカメを使ったのですが、
コンデジは画質が落ちるというだけではなく、
撮影しようと思って構え、構図を決めてシャッターを押すまで若干の時間を要し、
どうしても最高のシャッターチャンスを逃しがちになってしまいます。

また子どもたちに渡して撮ってもらうと、
本体が軽い分だけシャッターを押す際に揺れが生じ、
ブレた写真になってしまうことが多々あります。

ですから今回撮った写真は1200枚ほどとかなり少ない枚数でした。
けれど子どもたちにはそんなことは関係ありません。
撮った写真をパソコンを介してiPadに入れて見せると大喜び、
その笑顔には一点の陰りもありません。

要はすべて自分の悪しきこだわり、モノへの囚われです。
子どもたちからいつも大切なことを教えてもらいます。

ところで壊れたカメラは、日本に戻ってからメーカーサポートに連絡し、
かなり長時間オペレーターの方の指示であれこれと操作をしたのですが、
やはりどうしても不具合が直らず、
メーカーに送って修理してもらうことにしました。

けれどメーカーで検査したところ不具合が見つからなかったそうで、
結局修理せずに手元に戻ってきて、なぜか今は順調に稼働しています。
あの不具合はいったい何だったのでしょうか?


写真や動画を閲覧するためのiPadには、
子どもたちを喜ばせようと、たくさんのアプリを入れていました。
普段iPadを管理し、アプリをインストールするのは家のデスクトップパソコンです。
そして旅先で写真を管理するのはノートパソコンというようにしているのですが、
今回旅行中間違ってアプリをノートパソコンと同期させてしまい、
入っていたアプリのほとんどすべてを失ってしまいました。

あまりiPadを使いこなしていないのでよく分からないのですが、
その後iTunesを使ってマイApp(アプリ)を同期させても、
半分ほどしか復旧できませんでした。

これもショックだったことのひとつですが、
この程度のトラブルは長期間の旅ではつきものです。


かよう様々なことがあり、
インドでは苦しみを感じながら、そこからどう脱却し、
自分は何を望んでこういった状況を創り出したのか、
そのことを何度も何度も真剣に考えました。

その甲斐あって、これまで感じてきたいろんなことを、
今は以前よりも深く感じ取ることができるようになりました。

起こることはすべて必然、
それをどう対処するかというところに価値が生じる。

課題があるからそれを乗り越え、成長していくことができる。
どのようなことであれ、課題を与えられることは恵みである。


今回の旅での経験を己の糧にしなければ、
インドに行った意味がありません。

毎日学習している英語の力も少しずつ向上してきました。
これからはより深くインドの内情を知り、
自分にできる何かを探っていきたいと考えています。

インドこそは魂の故郷、この思いに一点の曇りもありません。





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