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2月6日 チェンナイ


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泊めてもらっているゲストハウスから外に出ると、
ちょうど男の子たちに見つかりやすいような位置になっていて、
少しでも姿が見えると、
「サッカ〜イ♪」とか「ブラザ〜♪」という元気のいい声がかかるのです。

どうしても写真を撮らないと収まらないので、
いつものように木に登ってもらいました。 ^^☆





早朝の朝靄が立ちこめる時間、木の葉は少し朝露で濡れています。



女の子が掃いた後の手前の部分、
とってもきれいなパターンが描かれているのがお分かりでしょうか。
毎朝のありふれた日常の一コマです。



ブラザーの髪の毛はボサボサだからと、
女の子が自主的に櫛をあててくれました。
この髪型が “スーパル(すごくいい)” なのだそうです。



朝食をとった後は、水瓶に貯めた水を食器ですくい、
それで食器やコップ、手などを洗います。
ブラザーの食器はすべて子どもたちが洗ってくれて、
手を洗うための水もくみ、少しずつかけてくれるのです。 ^^☆



さあ、学校に行く準備をいたしましょう♪




毎日決まったパターンの繰り返し、
数日ここにいるだけで、その日常の流れの中にすっかり馴染んでしまいました。

それに馴染むのは、子どもたちの生き方がとても自然だから。
ここでの生活は日本の日常とはかけ離れたものですが、
インドのホームの子どもたちの日常の方が、
日本人の日常よりもはるかに自然に根ざし、
人間本来の生き方により忠実であると思わざるえません。

文明の発達とは人間を自然から引き離すこととほぼ同義です。
最低限これまでの西洋文明の発達はそうでした。

すべてのものには功罪の両面があるにも関わらず、
これまでの文明はその功の部分にのみ光を当て、
意図的に罪の部分を覆い隠すことによって急速な発展を遂げてきました。
けれどそれはもう限界に来ています。

先の子どもたちが食器を洗う水は、
日本の水道水と比べ、お世辞にもきれいなものだとは言えません。
特に最後の方などは、少なくなった水の底にご飯粒などがたくさん沈んでいるのです。

それを “汚れたもの” とし、
無菌、除菌、より清潔なものを徹底して求めるのを豊かさと感じるのか、
あるいはそういったものを許容し、
自然のあるがままの姿を受け入れることを豊かさとして捉えるのか、
これは真剣に考えなければならない大きな課題です。

まずは最低限、現代文明は人間を必ず自然から引き離すという
文明の本質を理解しておかなければなりません。


今朝もいつものようにギュウギュウ詰めのバスに乗って子どもたちと学校に向かいました。
その途中、自分が座っている前の床に腰を下ろしている女の子が、
膝のあたりにいた蚊を叩きつぶしてくれました。
その子はいつも控えめでとても可愛らしい女の子なのですが、
蚊をつぶした後に残った血を見てもなにも驚くことなく、
ごく自然な動作でその血を右手で拭ってくれました。
そしてその手はそのままで、特に汚ながることも、
ハンカチや布で拭くこともありません。

その数秒の出来事の中に、
インドの人の持つ逞しい生命観を見ました。

彼女の名はラッティカメリー、
昨年撮った彼女のこの写真は、
自分の中で特にお気に入りの一枚です。



当時彼女はまだ十歳であるにも関わらず、
聖書に視線を落とす彼女の姿から、
まるで聖母のような慈愛すら感じられるではないですか。

その彼女が目の前の他人の膝についた血を、
ごく自然な動作で拭い、
その血の “汚れ” をも自分の中の自然の一部として受け入れてくれるのです。


インドに行く直前、ケイタイ電話の調子が悪くなり、
ショップに持って行って診てもらいました。
その時窓口で対応してくれた若い女性はとても丁寧で、
服装からも清潔感のある好感の持てる方でした。

彼女にケイタイの状態を説明しながら手渡すと、
いつもしているのであろうごく自然な動作で手元にある大きなフエルトのような布を持ち、
ケイタイが直接持ち手の左手に触れないようその布の上に置き、
ケイタイの操作を始めました。

その時に何か感じていた違和感、その “何か” が、
今ここインドにいて、ひとつの思いとして増幅されます。


聖なるものは、邪を排した果てにあるのではありません。
その邪をも受け入れる寛容さの中にこそある、
わずか11歳のラッティカメリーからそのことを学ばせてもらいました。


午後4時前、いつものように子どもたちを迎えにバスに乗りこみます。

学校の近くの道にいた男の子たち、牛と一緒に写真を撮りました。
インドの道は牛の糞だらけです。



これも学校の近くの家の玄関先です。
大きなコーラムが描かれているので写真を撮りました。
ほとんどのインド人は写真をいやがらないので助かります。



もうすぐ学校が終わるね♪
またまた「サッカ〜イ♪」という可愛い声がかかります♪



まず駆け足で近寄ってくるのは元気のいい男の子たち、
今日も勉強をがんばりました♪






ホームに戻り、古新聞の中にソニーの広告があったのでそれを撮りました。
ソニーのケイタイ、インドでも健闘していますと言いたいところですが、
サムソンやノキヤにかなり負けているみたいです ・・・ 。



男の子たちが一緒に水浴びをしています。
午後の水浴びは、朝と違って水がぬるいので快適です。



ラジに見つかって、彼のコテージに引っ張られました。
ラジは日本のお菓子、音楽、文明の機器、そういったすべてがお気に入りです。



ラジに見せた日本のダンスミュージックが気に入ったらしく、
一緒に手を取って踊り、子どもたちに写真を撮らせました。
ラジは写真も大好きな超陽気なインド人です♪



男の子が持っているのは日本で言うパチンコですね。



石を乗せるところがお菓子の包み紙になっていますが、
結構よく飛びました。





ワ〜イ! またみんなで写真を撮ってもらったぞ〜♪



ついでに男の子たちをクルクル回しちゃいました♪
けど次々リクエストが来るから疲労困憊です。 (☆o☆)



今日は礼拝堂をきれいに掃除しています。



ですから夕方の礼拝は外ですることになりました。



たまには外でするのも雰囲気が変わっていいものです。



パラメッシュワリー姉妹が太鼓の係、
お姉さんが叩き、妹がその太鼓を支えています。



ジャールラという鐘を叩くのはプリヤダシュニ、まだ7歳、
子鹿のようでめちゃ可愛いです。 ^^☆
左手前はお姉さんで11歳です。



さあ、晩ご飯をいただきましょう♪
なぜかカメラを構えると一瞬空気が止まりました。



フサティーチャーと書いていたこの先生は、
フサではなくウシャ(UCHA)なのだそうです。
タミル語の発音は日本人にとって難しいです。
タミル語が日本語の語源だという説(by 大野晋)もありますが ・・・ 。

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子どもたちが配膳している最中も、
ウシャティーチャーが子どもに熱心に勉強を教えているので、
その様子をこっそり撮ったら、撮った瞬間に
「どんな風に写ったのか見せて♪」みたいな感じて身を乗り出してきました。
とにかく徹底して写真好きです。 (;^_^A

ですので、あらためていい角度から取り直しました。 ^^☆
なんでインド人ってこんなに写真が好きなんでしょう?



今日も楽しい一日が終わりました♪ (^o^)v





男の子のコテージに行くと、就寝前のお祈りをしています。



今日も一日元気いっぱいだったね♪
また明日もよろしく♪

可愛い子どもたち、あなたたちはやっぱり自分にとって偉大な教師です。 ヽ(^o^)ノ



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