インド・スリランカの旅
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2月21日  カンニャークマリ





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我が心のインド




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スギルタンの家で泊めてもらった部屋は大きなベットと机があり、
隣にはバス・トイレツトルームが付いています。
とても快適な部屋のお陰で、ぐっすりと休むことができました。
現在コンピュータの勉強をするためにチェンナイの大学に行っている
息子さんの部屋だったそうです。

ここでも朝の4時過ぎになると外から音楽が聞えてきます。
もちろんインドチックでアップテンポな音楽です。
なんで音楽を鳴らすのか聞いてみると、
「音楽は隣から流れてくる」とのことでした。
インド人は早起きで、車のクラクションなど音に対する感覚が日本人と違うようです。

音楽とともに遠くではなぜか雷鳴が轟いています。
雨が降る様子でもないのに ・・・ インドの気象条件はよく分りません。

まだ薄暗いうちから外に出て、ホームの中を歩きました。
ここは15エーカー(約6ヘクタール)もの広い敷地の中に
グラウンドや子どもたちのコテージなどが点在しています。

スギルタンの家の目の前に鳥小屋があり、
たくさんの鳩や文鳥が飼われています。

鳩の世話をしていた男の子が鳩の雛を見せてくれました。

鳩の雛と少年

鳩小屋の中には小さなひな鳥の他真っ白な卵もいくつかありました。
この男の子は鳥の世話係で、上手に鳥たちを扱っています。

子どもたちが生活するコテージの横には大きな水の入った水槽があり、
その水を使って洗濯をしたり水浴びをします。
まだ薄暗い時間帯だったので、カメラのシャッタースピードが遅く、
少しぶれてしまってます。

嬉しそうに洗濯をする男の子

洗剤を使い、かなりゴシゴシ衣服をこすっています。
そんなに強くこすると衣服が傷むのでは ・・・ と少し心配になるぐらいです。

こちらの男の子たちはほうきを使って掃除をしています。
カメラを意識して一生懸命ニコニコしながらやってました。

掃除をする男の子

朝早くから元気いっぱい活動している子どもたちを見ると、
こちらも元気をもらえます。

インドの少年

カラフルなバケツを使って水浴びをする子どもたち、
南インドは一年を通して気温が高いので、一年通して水浴びです。

水浴びする男の子

洗濯物はその場でロープにつるします。

洗濯物と男の子

今は乾期ですので雨はあまり降らないのですが、雨期の時はどうするのでしょう?
たぶん部屋の中に干すのだと思います。

子どもたちの食事は、厨房で担当のおばさんたちが作ります。
カメラを構えるとかしこまってしまいました。

厨房の女性たち

ホームの中は、どこに行っても誰と会っても、
必ず笑顔で両手を合わせ挨拶をしてくださるのがとても心地いいです。

このホームにもたくさんの遊具があります。
子どもたちがここで遊んでいる動画が後で出てきますのでお楽しみに♪

ホームの遊具

ホームの中は自然いっぱい、生き物いっぱいです。
鶏がひょこひょこ歩いてました。
写真を撮ろうとすると逃げるので後ろ姿です。

鶏

コテージの中の部屋に入ると子どもたちが大騒ぎして、
私の体にまとわりつき、いろんなことを話しかけてきます。

子どもたちに学校の教科書を見せてもらいましたが、
当然ながらタミル語で書かれているのでチンプンカンプンです。

子どもたちとタミル語の教科書


朝の礼拝の時間になると、子どもたちがコテージごとに一列になって
礼拝堂に入っていくのですが、
この時に挨拶をかわし、子どもたちのにこやかな顔を見るのは本当に楽しいものです。
この時はまだ初日でしたので、子どもたちとはまだちょっとぎこちない感じです。

先に礼拝堂に入った子どもから、
きちんと決まった場所に座り、礼拝の時を待ちます。
その間騒いだり走り回ったりする子はいません。

礼拝堂で座る子どもたち

賛美歌を歌う子どもたちの姿を後ろから撮りました。

子どもたちは各自賛美歌集を持っていますが、
ほとんど歌詞を覚えていて、あまり歌集には目を落としていませんでした。

礼拝が終わってから水浴びや洗濯をする子どももいます。
ホームでのスケジュールは大まかなものが決められていて、
いろんな作業を交代で行っています。

洗濯する男の子たち

子どもたちは写真が大好きで、カメラを向けるといつも大騒ぎになり、
こんな写真ばっかりたくさん撮りました。

大騒ぎする子どもたち

何かしている自然の写真を撮りたいと思っても、
カメラを構えていると分ると、レンズの前に群がってくるのです。
このやんちゃさがまた可愛いものです。

子どもたちの持っている教科書は、
右側が理科、左側がタミル語の教科書です。

学校の教科書

学校で習う科目は、タミル語、英語、数学、理科、社会の5教科です。
インドの公用語であるヒンディー語は習いません。
インドでは英語を第一言語とする人たちもいるそうで、
ヒンディー語よりも英語を話せる人の方が多いのではないかと思います。

このホームの子どもたちも、サンカランコービルの子どもたちと同様、
コマを回して遊んでいました。

コマとインドの少年

どの子もすごく上手で、戦後間もない頃の日本の子どもたちを見ているようでした。
まさに「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界です。

木の向こうの白い大きな家がスギルタンの家です。
私が泊めてもらった部屋は一階の右側、ジープの後ろに見えている窓の部屋です。

スギルタンの家

悠然と歩くスギルタン、このすぐ後、横のジープに乗ってスギルタン、娘のスギラとともに
カンニャークマリの町に出ました。

町に行く途中、津波で崩壊した橋を通ります。
現在架けられている橋は軍が作った仮設のもので、
大きなトラックなどは通ることができません。

分断された橋の一部

ボートの向こう側に横たわっているのが崩壊した橋の一部です。
津波によって橋が四つに分断され、
二つは残り、後の二つは行方不明だそうです。

橋脚に載っかっていた橋がこんなにきれいな形で残るということは、
かなり簡単な、橋脚の上に橋本体をただ載せただけという構造だったのでしょう。

GoogleEarth の写真で見ると、橋の様子がよく分ります。

津波で崩壊した橋の衛星写真

カンニャークマリの町中に入り、
石谷さん(石谷上人の弟さん)の泊まっているホテルに立ち寄って
石谷さんも一緒に車に乗り、
コモリン岬から少し北側にある昔の城塞を見学しました。

心地よい海風が吹いています

どこまでも果てしなく広がる海は吸い込まれるように美しく、
普段広島に暮らし、しまなみの見える瀬戸内の景色しか馴染みがないので、
こういった大海を目にすると海の広さを実感します。

果てしなく広がるベンガル湾

城塞の向こうに見える砂浜がスギルタンのプライベートビーチです。
後日ここで海水浴をしました。

城塞跡からビーチを望む

衛星から城塞を見たところです。

城塞跡の衛星写真

砂浜の写真は、
城塞右下の出っ張った先っぽの部分から左(西)に向かって撮ったものです。
あらためて衛星写真で確認すると位置関係がよく分ります。

インドの城塞も日本の城と同じく鉄砲を撃つところがありました。
すり鉢状になった隙間から鉄砲を突き出し、上陸してくる敵を狙い撃ちます。

鉄砲を撃つところ

いったん城塞を出て、表の玄関からプライベートビーチに入りました。
表の看板にはホームの名前が書かれています。

プライベートビーチ入り口

海は静かですが、太洋ベンガル湾の波は、
私がいつも見慣れている瀬戸内の波よりはるかに高いものです。

スギルタンのプライベートビーチ

砂浜の砂はきめ細やかですが、
時折トゲの出た植物のカケラが落ちていて注意が必要です。
鋭いトゲのあるものは、私の履いているサンダルを突き抜けてしまうほどで、
こんなものを素足で踏んだら大けがをします。

砂浜を放牧中の羊が通り抜けていきます。
インドの田舎ではこんな光景をたびたび目にしました。

放牧されている羊

ビーチを中に少し入ったところに休憩のできる家が建っています。
立派な造りの家ですが、普段はあまり使われることがないようなので
もったいないように思います。

「スギルタンはかなりのお金持ちなんだね」
石谷さんと二人コソコソ話しをしました。

ビーチの家

窓には防犯用の鉄格子が設置され(これはインドでは一般的なものです)、
普段主のいない家を守っています。

家の床には塩が広がっています。
普段使うことがないので掃除をする機会もないのでしょう。

床一面の塩


スギルタンのプライベートビーチを後にし、車で来た道を戻り、
今度は同じくスギルタンの運営する老人ホームへと向かいました。

ここにも色とりどりの花が咲き、たくさんの果物が実っています。

スギルタンが昨年日本に来た時は、きれいな花を見る度に
「ビューティフル・プー」(きれいな花、プーはタミル語で花の意味です)
と感激し、
「日本は花と緑で美しい」と言っていましたが、
なかなか南インドも素晴らしいです。
まったく日本に負けていません。

花や果物をたくさん写真に撮りましたが、
使い慣れた一眼レフではなく、
簡単なデジカメなので、写真の出来はイマイチです。
ご了承ください。

インドの果物

これはマンゴーです。このまま食べるとすごく酸っぱいです。

たわわに実ったマンゴー

インドの花


この朝顔みたいな花はなんでしょうか?

インドの花

ホームで暮らすお年寄りの方たち、
豊かな自然の中のんびりとしておられました。

老人ホームのお年寄りたち

この建物の石碑に石谷上人のお名前が刻まれています。
スギルタンファミリーとは約30年の深いお付き合いだそうです。

老人ホームの石碑

再び花の写真をどうぞ。
花の名前が分らないので解説できません。
申し訳ないです。

インドの花

インドの花

これは日本でも花屋さんで見かけたことがあります。
なんという名前でしょうか。

インドの花

インドの花

インドの花

南国の花は原色で鮮やかな色合いです。

これは大輪のハイビスカスですね。
南国の代表的な花です。

ハイビスカス

ホーム入り口の管理棟のようなところで、
ココナツジュースを飲みながらいろんな本や資料を見せてもらいました。

これは86年、今から22年前に作られた記念誌です。
若き石谷上人とスギルタンのお父様が写っています。

石谷上人とスギルタンのお父様

お父様は立派な人格者であったということをよく聞きました。
石谷上人を全面的にバックアップしてくださり、
クリスチャンでありながら、イギリスの仏舎利塔奉納式には
石谷上人とともに参加されたこともあるそうです。

私はインドの宗教事情をごく断片しか知りませんが、
インドの宗教家はグローバルな考え方の持ち主が多いように感じます。
インド精神のベースとなっているヒンズー教が、
すべてを大きく包含するような思想ですので、
その影響も大きいのでしょう。

なにせヒンズー教では、お釈迦様をクリシュナ神の化身として崇め、
仏教そのものを飲み込んでしまっているのですから。


老人ホームの次は、スギルタンのお母様のおられる家に行きました。
ここはその敷地の中に男の子だけの孤児院も建てられています。

門から入ってすぐ、これがお母様の住まわれている建物です。
水色が目に鮮やかです。

スギルタンのお母さんの家

その少し奥に子どもたちの暮らすコテージがあります。
ここは「アンブマナイホーム」、“愛の家” という意味だそうです。

アンブマナイホーム

ここも南国の楽園です。
こんな椰子の木がたくさんあります。

葉を茂らせた椰子の木

昔新聞か雑誌で、
南の国では、真上から突然落ちてくる椰子の実が頭に当たり、
大けがをしたり亡くなる方がたくさんいるということを読んだことがあります。

たしかにあの高さからジュースの詰まった堅い椰子の実が落ちてきたら
たまったもんじゃないでしょう。


お母様の家で昼食をいただき休憩した後は、
スギルタンのホームにいったん戻りました。

スギルタンが私たちに気を遣ってくれて過密スケジュールです。
今度は車で1時間ほど西に向かい隣のケララ州に行き、
王朝の宮殿跡を見学です。

ここは入場料がインド人と外国人では10倍もの差がついています。
もちろん外国人が特別料金で高いのです。
インド人Rs20(約64円)に対して外国人Rs200(約640円)もします。
他にビデオやカメラを携帯していると同様の高額別料金を取られます。

まったく観光客に優しくない観光地です。
インドでは他都市のヒンズー教寺院などでも同様の料金体系でしたので、
これがインドの常識なんでしょう。
ホント、日本人もびっくりです。 w(*゚o゚*)w

とても立派な城跡です。
当時の王様は、よほどの権力を握っていたものと思われます。

ケララ州の宮殿跡

会議をする部屋、赤い椅子が王様の座席です。

王様たちの会議室

お城の中をいろいろと見学し、写真も撮りました。
一般の観光客の人はこういった観光名所をたくさん見て回るのでしょう。

けれども正直言って、インドの人たちの身近な暮らしぶりと接し、
可愛い子どもの笑顔と触れ合った後では、
こういう観光地を巡るという行為はとても空しく感じます。

ケララ州の宮殿跡

食事を作るところだったかな?

ケララ州の宮殿跡

王様のベット

ここはスギルタンが力を入れて解説してくれました。(下の写真)
下の背の高い石の台の上に大きな丸い石球が置かれています。
これを上に持ち上げたり下げたりして、
正面建物の上の窓から見ている王様が優秀な兵士を選んだそうです。

ケララ州の宮殿跡


ホームに戻り子どもたちと接するとホッとします。
今日は女の子たちがおめかししています。

おめかしした女の子たち

夜の礼拝の時間、私と石谷さんは、前の壇上に設置された机に
スギルタンと並んで座らされました。

礼拝堂に座る子どもたち

子どもたちから二人にとても大きなレイを首に掛けてもらいました。
こんな大きなレイを掛けるのは生まれて初めてです。
これを作るには相当手間がかかったでしょう ・・・、
ずっしりとした重みが体に応えます。

子どもたちの可愛い声で歌われる賛美歌を壇上で聴くのは、
なんとも心地よいものです。
子どもたちの可愛い顔を見ていると、一人一人抱きしめたくなってきます。

賛美歌が一通り終わると、きれいな衣装を着た女の子が二人壇上に現れて、
音楽に合わせて踊りを披露してくれました。

インドの子どもたちの踊り

どうやら私たち二人の歓迎会のようです。
計9組の子どもたちが踊りを見せてくれて、
私たち二人はただただ感激 ・・・ でした。

最初の女の子たちだけ動画を撮る機会を逸しましたが、
後の8組の子どもたちの踊りを写真と短い動画で紹介いたします。
雰囲気だけでも味わってください。

礼拝堂の中は暗いので、動き回る子どもたちの写真もぶれていますが、
こちらもご容赦を。

インドの子どもたちの踊り2

インドの子どもたちの踊り3

インドの子どもたちの踊り4

インドの子どもたちの踊り5

インドの子どもたちの踊り6

インドの子どもたちの踊り7

インドの子どもたちの踊り8

インドの子どもたちの踊り9

子どもたちの心のこもった踊りを見て ・・・ もう言葉がありません。

どう表現したらいいのでしょうか、
少し恥ずかしそうにしている子もいましたが、
その一生懸命練習したであろう踊りから子どもたちの懸命さ、
明るさというようなものが伝わってきます。

そしてその踊りとともに
それを見ている子供たちの態度が実に自然で素晴らしいのです。

態度がいいからっといって、軍隊のようにかしこまって座っている訳ではありません。
姿勢がいいのはインド人の身体能力の高さでしょう、
堅い床の上にきちんとあぐらの姿勢で座り、
背筋は伸びているものの体に余分な力は入っていません。

その素晴らしい姿勢を反映するように、
仲間の踊りを見つめる子どもたちは実に温かい目をしています。
途中で私語をしたりあからさまに退屈そうにしている子どもはまったくいません。
みんな一生懸命仲間の踊りを見つめ、拍手をし、
その自然で素直な、そして本当に可愛らしい子どもたちに大きく心動かされました。
胸が熱くなります。

スギルタンが
「この歓迎会に参加したゲストの多くが涙を流し、 中には声を上げて泣き出す人がいる」
と話してくれました。
よく分ります。私もあやうく泣きそうになりましたので。

子どもってこんなに素直で可愛いんですね。
インドの孤児たちから、
人の心の奥底にある魂の純粋さのようなものを教えてもらった気がします。

歓迎会が終わって撮った子どもたちの顔、顔 ・・・、
これもシャッタースピードが遅くてぶれてますが、
この笑顔の美しさ、この上ないですね ・・・。

子どもはまさに天使ですね♪

なぜこんなに幸せそうな笑顔ができるのでしょう

男の子たちも大騒ぎ、
石谷さんも子どもたちの中に入って満面の笑みを浮かべています。

おおはしゃぎする子どもたち


子どもたちが出て行った礼拝堂でスギルタンをはさんで三人で写真を撮りました。
私はちょっと放心状態です。

スギルタン、石谷さんと

日本を出る前の日からヒゲを剃っていませんのでかなり無精ヒゲが伸びています。
普段ヒゲを伸ばすことができないので、
インドに行った記念に一ヶ月間ずっと伸ばそうと考えていました。

けどそんなバカな考えは吹っ飛んでしまいました。
ヒゲなどという形よりも、もっともっと素晴らしいお土産を
子どもたちから心の中にもらったのですから ・・・。

礼拝堂を出てスギルタンの家に戻り夕食を食べました。
子どもたちの歓迎に完全にノックダウンされた私はほとんど食欲がありません。
胸がいっぱいになってしまったのです。

スギルタンに今の状態を説明しました。
胸を指さし「ハート フル」(胸がいっぱい)、
お腹を指さし同じく「フル」(いっぱい)、
ついでに頭を指さし「エンブティー」(空っぽ)と言ったら大笑いしていました。


今晩インドの子どもたちから見せてもらった素直さ、純粋さ、懸命さ、
そして可愛らしさ、
これらはきっとどこの国、どの時代でも
人間なら誰しもが心の奥に持っているものだと思います。

本当に素晴らしい体験をさせてもらいました。
この歓迎を受けただけでもインドに来た価値があるというものです。
私にとって生涯忘れることのできない夜でした。

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