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カンボジアで感じたこと<1>

韓国経由でカンボジアから日本に戻ってきて、
明日で一週間になります。
最初の数日は疲れが抜けきれない感じでしたが、
今は体調も体重も以前と同じ状態にまで回復しました。

気分的にはまだカンボジアでのことが頭によく浮かんできて、
ちょっと地に足が着いていない感じですが、
逆にこの感覚がある間に、
カンボジアで得た様々な事を今後いい形として活かしていくための
何か具体的な一歩を踏み出したいと考えています。


最も大切なものは自分です。
自分の中にある意識がすべてを創り出す源であり、
ひとつひとつの価値もまた、自分自身が創り出しているものであり、
自分が創造した外なる世界は、
その内なる世界を見つめ直すキッカケに過ぎないのだと常々感じています。

その最も大切な自分というもの、己というものを知るために、
いったん普段自分が抱えているカテゴリーから逸脱し、
まったく価値観の異なる外の世界から自己を見つめてみるというのは、
とても有効な方法です。

外国に行くと、目に入るものすべてが新鮮で、
これまで自分が当たり前だと感じていたことを、
見つめ直す素晴らしいキッカケとなります。

他者を知るということは、言葉を変えれば自己を知ることであり、
何事も経験は宝であるということを、
今回のカンボジアへの旅でも何度も実感しました。

けれども経験から得た宝は、
それを活かしてこそ本当の価値として光り輝きます。

移動としての旅は日本に帰ってきた時に終わりますが、
心の旅は永遠です。
これからその宝物を磨いていかなければなりません。


カンボジアで目に入るすべてのものは新鮮で、
刺激に満ちたたくさんの写真を撮ることができました。
けれどその本質をどれだけ知ることができたのでしょう、
大いに疑問を感じます。

カンボジアは、かってポル・ポトによる大虐殺を経験した国です。
30年ちょっと前、わずか四年間という短期間に、
知識階級の人たちを中心に、
国民総人口の実に三分の一もの人々が虐殺されました。

これは歴史的事実であり、
現在のカンボジアは、その大虐殺からの復興の上に成り立っていて、
その悲惨な爪痕は、いびつな人口構成ピラミッドからも見て取れます。


途中のくぼんだ25〜29歳の部分は、
ポル・ポト政権下における極端な出生率の低下を示しています。

あの人類史上かってないほどの悲惨な経験をしたこの国の人々が、
どのような復興の歩みをしてきたのか、
またその傷痕は、人々の暮らしの中にどのように現われているのか、
現在の平穏な日々をどのように守ろうとしているのか、
そのことを感じたいと願い、カンボジアへと出かけて行きました。

けれども残念ながら、明るく穏やかに暮らすカンボジアの人々の暮らしから、
その過去の出来事をうかがい知るような断片を見ることは、
まったくできませんでした。

かって収容所であったトゥールスレンや
処刑場であったキリングフィールドに行けば、
過去の事実を具体的に知ることができますが、
私の感覚では、それはあたかも数百年前、数千年前の史跡を見るような印象でした。

それほど今のカンボジアに流れている空気は穏やかであり、
日本以上に平和な日常を感じます。

そんな私ですから、カンボジアのビールや料理は美味しかった、
街がエネルギッシュで楽しかった、子どもたちの笑顔が素敵だった、
そんな程度のことは語ることができても、
それ以上に深い、カンボジアの社会や人々の心情については、
語る資格などまったくありません。


考えてみれば、世界最初の被爆地であるここ広島も、
66年前はたった一発の原子爆弾によって一面の焦土と化し、
おびただしい数の死体が累々と積み重なる地獄でした。

私の周りには直接被爆体験をされた方がまだ何人かおられますが、
みなその当時の記憶を鮮明に持っていて、
記憶と同時に、その時に感じ取ったものを心の奥に抱えておられます。
けれども表面は穏やかです。

現在の広島は中四国最大の都市であり、
もう何十年も前から他の大都市とまったく変わらない街並みがあり、
ここに暮らす戦争を知らない世代の人たちは、
平和を伝えていくための広島市民としての意識は持っているものの、
暗い過去を心に抱えているということはまったくありません。

人の心は強力な自浄作用を持ち、
長い時の流れは、心の暗部をも洗い流していくのでしょう。

カンボジアの場合はどうでしょうか。
カンボジアの人々が見せるあの穏やかな表情に偽りはないと感じます。
けれどもその奥には過去の傷痕が残っていないのか、
そこは私には判断することはできません。


カンボジアへの経由地として韓国の首都ソウルの街を二回歩き、
カンボジアの街にはない緊張感のようなものを感じました。

26日のページにも書いたように、
ソウルでは、国立中央博物館、戦争記念館をまわり、
日常の生活の中に溶け込んだ軍服姿の若者たちを見て、
自国の歴史、文化、伝統、領土、そういったすべてのものを
必死に守り抜こうというする強い意識を感じました。

またそういった意識を強く持つということは、
常にその意識を持ち続けなければ、
いつ国そのものが危うい状態に陥るかもしれないという危機意識の表れでもあります。


それに対してカンボジアでは、そういった緊張感や危機意識といったものは、
まったく感じることがありませんでした。

これはまったくの私の推測であるということをご理解の上で
読んでいただきたいのですが、
カンボジアのポル・ポトによる大虐殺は、あまりにも悲惨すぎる出来事であり、
カンボジアの人々は、それを乗り越える以前に、
まず心の中で覆い隠そうとしてしまい、
その段階で、人々の心の中の民族性という自我を
見失ってしまったのではないかと感じます。

カンボジアは元々肥沃な大地を抱える農業国であり、
国民性として温厚なものを持っているということは理解できますが、
現在は国境を接するタイやベトナムといった強国から企業が進出し、
経済的にも牛耳られそうになりつつあると聞きますが、
そのことに対する危機意識は、私には感じることができませんでした。

韓国が北朝鮮との軍事的国境線を北緯38度線あたりに抱え、
常に高い緊張状態を保っているのとは対照的です。

カンボジアの政治についてはまったく知識がないのですが、
過去、大国の力の論理の影響で政権が移り変わり、
その結果ポル・ポトによる恐慌政治を招いてしまい、
その時の恐怖心が心の奥に残っているがため、
現在も対外政策等政治的な強硬姿勢を取ることに、
潜在的恐怖心があるのではないかと感じます。


これは日本も同様であり、
江戸末期の開国、終戦後の西洋的民主主義、
日本は二度の外圧による強硬な価値観の転換を余儀なくされ、
この時に、その急激な変化に付き従っていくため、
日本人は、自分たちの持つ民族自我を見失ってしまい、
一種分裂症的気質になったものと考えられます。

カンボジア人の持つ穏やかさ、
日本人の持つ平和ボケしたような感覚、
そのどちらにも、お人好しで、ちょっと弱々しい共通した何かを感じます。

繰返しますが、これは私独自の勝手な解析です。

2011.9.1 Thurseday  

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