感じる心

フラダンス 水辺のコンサート

アメリカ大統領選が終わって数日経った今も、心に厚い雲がたれ込めています。
日本のメディアは予想通り、バイデン勝利、トランプ見苦しいの報道一辺倒で、選挙前に露呈したバイデン親子の大スキャンダルや現在続々と明らかになっている不正投票の実態はまるで存在しないかのようです。

唯一正しい情報源となるインターネットも、トランプ大統領のTweetは次々と閲覧制限がかかり、同じく不正投票の実態を暴露するTwitterのアカウントが複数ブロックされている模様です。

中共の横暴、法輪功弾圧に反対する在外中国人を中心として運営する大紀元は、数少ない真実を語るメディアとしていつも見るようにしています。
その大紀元のYouTubeチャンネルで、大紀元やその関連団体のTwitterアカウントもブロックや制限がかけられていると報じられています。

中共やディープステイトと言われる闇の勢力が、ここまでおおっぴらに謀略を働くとは予想しませんでした。
これは国対国ではなく闇の勢力対表の勢力の静かなる世界大戦だとも言え、もしここで邪悪な勢力が勝利を収めたならば、国民の意思を反映させる選挙制度は崩壊し、完全なる民主主義の終焉となります。

しかしまだまだ結論は分かりません。
全米各地で訴訟が起こり、再集計の結果トランプが勝利することも大いにありえます。
また仮にバイデンが大統領になったとしても、その後に不正が明らかになり、これまでの国家に対する反逆罪によって刑務所に収監される可能性も否定できません。

そんな中、日本の菅首相は早々とバイデンに祝辞を送りました。
一人の日本国民としてただただ情けなく、忸怩たる思いです。

いずれにせよ、今はアメリカが一気にうみを出すべき時であり、その意味では今回これだけ大きな騒動になったというのは歴史の流れの必然であり、長い目で見てきっといい方向へと進む過程なのだと信じます。

アメリカのネットを含めた大手メディア、日本のメディアはまったく信頼性がないということが今回あらためて深く理解できました。
彼らはこれから自ら作った悪果を甘んじて受け入れることとなるでしょう。

 

11月3日文化の日、アメリカで大統領選の投票が始まった頃、まだ不正投票の結果が反映させる前で多くのインターネットメディアがトランプ勝利予測を発表し、少しホッとした気持ちで外に出ました。

その日は秋晴れのいい天気で、何気なく平和公園の方へ向かうと、休日にはよく開催される原爆ドーム対岸での水辺のコンサートが開かれていました。

風呂哲州 水辺のコンサート

現在補修工事中の原爆ドームを見ながらのステージで歌っているのは二十年来の友人であるシンガーソングライターの風呂哲州さんです。
髭もじゃで白衣で歌うのが彼のスタイルで、靴や胸など所々に赤い色が目立つのはカープを応援している証です。

風呂哲州 水辺のコンサート

平和公園に着いた時はちょぅど風呂さんのステージが始まった直後で、三十分間久し振りに彼のステージを楽しませてもらいました。

 

その後少しの休憩をはさみ次はフラダンスのステージがあるとのことで、ハワイのフラダンスはとても好きなので、そちらも続いて見させてもらうことにしました。

好天とはいっても11月、風は冷たく、フラのメンバーさんたちはステージが始まるまでは常夏の衣装の上にカーディガンやセーターを着込んでおられます。

フラダンス 水辺のコンサート

いくら寒くても音楽がかかり、ダンスが始まると気分は南国ハワイです。
フラダンスって本当に見ていて楽しいですね。
自分は季節を問わず、いつ見ても心がウキウキしてくるのですが、根が同じ南国のインド系だからでしょうか。

観客の方たちもさっきの風呂さんの時よりもだいぶ増えています。
たぶん出演者のお友だちなのでしょう、みなさん熱心に見ておられます。

フラダンス 水辺のコンサート

何度もメンバーを交代しながら数曲踊ってくださいました。
何というフラダンスの会なのかは聞き逃しましたが、下の写真でソロで踊っておられるのが先生で、たぶん三十代後半ぐらいと思われるキレイな方で、踊りも一際優美です。

フラダンス 水辺のコンサート

この先生の踊り、久し振りにダンスを観て心から感動を覚えました。
ひとつひとつの身体の動きが美しいことはもちろん、その笑みを讃えた表情が実に素晴らしいのです。

にこやかな微笑み、それは決して愛想笑いのような作られたものではなく、たぶんハワイでフラダンスを愛し守っている現地の人たち、彼らが生きる喜び、自然の恵み、そういった内面から感じる思いと同じものをこの先生も胸で感じ、自然とこぼれ落ちたものなのでしょう、それを確信を持って感じ取りました。

そんな思いを感じながらゆったりとしたダンスを眺め、先生の深い微笑みが目に入ってくるだけで、こちらも胸が熱くなってきます。

こういった思いが感じられるというのは最高に幸せなことです。
自分も年齢を重ねるにつれ、そんな思いに共感できる力が強くなりました。

 

15年前に「国家の品格」という本がベストセラーになり、その後「○○の品格」というタイトルの本が次々と出され、一時期「品格」という言葉がトレンドにもなりました。

この本を数年前に読み、今あらためて読み返そうと時折パラパラとページをめくっています。

この中で、エリートを育てる条件としてこう書かれています。

真のエリートには二つの条件があります。第一に、文学、哲学、歴史、芸術、科学といった、何の役にも立たない教養をたっぷりと身につけていること。そうした教養を背景として、庶民とは比較にもならないような圧倒的な大局観や総合的判断力を持っていること。これが第一条件です。
第二条件は、「いざ」となれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があることです。この真のエリートが、日本からいなくなってしまいました。

そのために子どもの頃から読書をし、教養を身につけ、感性を養うことが大切だと説き、著者自身、大学生以降大人になって気がつくまで勉強ばかりにかまけ、感性を養う文学、歴史書といった書物をあまり読んでこなかったことに後悔しているとのことです。

たしかに十代の子どもたちが学校が終わってから塾に直行し、夜遅くまで灯りの点ったコンクリートの建物の中でテキストに懸命に目を落としているのは、感性豊かで貴重な期間を、ある意味消耗させてしまっているようで、そこに明るい日本の未来の姿は見えてきません。

 

自分も幼い頃に戻れるのなら、もっといろんなことをしておけばよかったとは思うものの、後悔先に立たず、今さら悔やんでも仕方ありません。
それより今からでもできることを考えたいと思います。

振り返ってみて今から25年前、母親の死をひとつのキッカケにものの見方が変ったように感じます。
その後も様々な経験を経て、特に苦しい経験を糧とし、少しずつ物事を深く見つめられるようになりました。
また特に芸術に関する感性は年齢に比例して高まってきて、中でも創るのではなく受けるという面では、若い頃よりも今の方が格段に深くなっています。

もちろんだからと言って若い頃に感性を培う必要がないという意味ではなく、若い頃には若い頃にしか感じ取れないものがあり、それがベースとなり、その後の発展があるのだと思います。

それでもやはり大切なのは今です。
本にあるようにエリートになりたい、育成したいというのなら別ですが、「自分の中に今あるものを大切にする」という価値観そのものが年齢とともに培うことのできる感性であり、比較を超えた真実を見つめられるのは、人生の旅路を歩んできた成果なのだと思います。

 

子どもたちに豊かな感性、教養を身につけることのできる環境を与えられないのは、社会を作る大人自身に感性、教養がないためだと考えます。

今からでも遅くない、自分自身の感じる力を身につけることが、社会を変える第一歩だと信じます。