味読を志す

ここインドに来て110日あまり、今日は帰国に向けて一歩前進することができました。

州都チェンナイには南インド四州を管轄する日本総領事館があり、今日はそこと連絡し、帰国に向けてのアドバイスをいただくことができました。

これが現在のインドの武漢肺炎感染状況です。
新規感染者数はいまだ右肩上がりで、収束の目処は立っていません。

インドのコロナ感染者

四月をピークに減少に転じた日本のグラフと比べるとその差は明らかです。

日本のコロナ感染者

こんな状況でも経済は再始動し、飛行機も国内線は飛んでいるものの、国際線就航の予定は現在のところまだ立っていません。

それでも各国政府が運行する臨時便は随時飛んでいて、失効したビザの再発行手続きとともに、飛行機に乗る手はずをアドバイスしていただきました。

臨時便に乗るにはまず首都デリーかムンバイにいかなければなりません。
それでも確かな道筋が見えただけでも安心です。

ここから州都チェンナイまでの直通バスは現在ストップしていて、列車は特別な許可書がなければ乗ることができません。
今日ここのインド人たちからもらったアドバイスは、最寄の空港まで行き、そこからチェンナイまで飛び、そこで正式なビザの手続きをしてデリーかムンバイまで行くという方法です。

いずれにせよ、早急に方法を考えたいと思います。

まだ分かりませんが、もうすぐ日本に戻れるかもしれないと思うと心が大きく動きます。
これまで百日以上過ごしてきたこの部屋、スマホやタブレットというネット端末を含めて、それらすべてがとても愛おしく感じられます。

インドの部屋

人間の心情というのは面白いものですね、今こうしていると、外からはいつものように鳥たちのさえずりが聞こえてきますが、それがいつもより心に響き、少しもの悲しくも感じます。

愛おしくも感謝すべきすべてのものたちに、どう自分の思いを伝えればいいのでしょう。

部屋やベッドのシーツなどは最後にきれいに掃除しようと思います。
それとともに今一番思い入れを持っている電子書籍に何か気持ちを送りたいと強く思います。

それは本に対する思い入れが最も深く、そこに思いを注ぐことが、すべてのものに思いを捧げることにつながるように感じるからです。

電子書籍に・・・というと何か変な感じですが、それが紙の本であれ手書きの原稿であれ、文字、文章に込められた作者の思いは同じです。

昨日は味読について書きました。
味読を味読たらしめるのは読み手の思いだと感じます。
ですから、味読するための方法や手段といったものはありません。

その味読をどうすればできるのか。
いろんなことを教えてくれた本たちに、どのようにすれば感謝の思いが伝わるのか。

思いは形ではありませんが、方法や手段という形を通し、思いを伝えることは可能だと思います。

まずは精読のように深く接することです。

これまで読んだ本の中で、最も心に残ったのが中島敦の「悟浄歎異」です。

沙悟浄の目から見た「西遊記」の一部を描いたものですが、この文章が極めて趣き深く、最初にこれを読んだ時、「西遊記」は中島敦の作品だったのかと一瞬勘違いをしてしまったほどです。

この作品の素晴らしさを自分はとても文字で表すことができません。
高校の国語の教科書で中島敦の「山月記」に出合って衝撃を受け、それと同じ衝撃を四十年の時を経て再び味わいました。

日本語としての文体の美しさ、緻密な心理描写、明治以降の数多くの日本の文豪の中でも中島敦は頭ひとつ抜き出た存在だと感じます。

その「悟浄歎異」を再び、もう五六回目でしょうか、読み返し、思いを深めました。

真に深みのある本は読むたびに感じ方が変わり、それによって己の変化が分かります。
そういった本を持てるというのは幸せです。

その幸せだという思いを、「悟浄歎異」に捧げたいと思います。

これまでかなり徹底してやったと思える英語テキストは、たぶん二十冊はあると思います。
その中の一冊が英作文トレーニングの「ドラゴン・イングリッシュ基本英文100」です。

ここには結構難易度の高い英作文の問題100個とその詳しい解説が載っています。

その100個の英文を、数年前にすべて暗記しました。
方法は、大きな単語カードの表裏に和文と英文を書き、何度も繰り返しチェックしたのです。

けれど一度覚えてそれで終わりではありません。
やはり時が経つと記憶が薄れるので、その後も何度も復習しています。

ここインドでは手元にテキストもその単語カードもありません。
あるのはCDに入っていた音声データだけです。

そこでもっといろんな角度から100個の英文と触れてみようと考え、耳から入った英文をそのままノートに書き写すことにしました。
いわゆるディクテーションというものですが、これまで一度もしたことがありませんでした。

違った角度から馴染みのものに触れると新たな発見をしたような新鮮な気持ちになります。

これは精読にも通じますが、味読とは、そこに書かれているもの、表されているものを活かす、活かさせてもらうということではないでしょうか。
そのためにはいろんな接し方をすることが役立ちます。

お風呂の中では毎日全身をさすり、感謝の言葉をかける身体との対話をしています。
この時最も心地よさを感じるのは、その日一日しっかりと身体を使った時、つまり持っているものを活かした時です。

身体と心の関係も味読と同じです。

すべてのものに思いをかける、これは簡単にできることではありません。
けれどその象徴となるひとつのものに思いを込めて接する、これならばできるでしょう。

読書はすべてのものに通じる架け橋です。
そして味読は、そのすべてのものを光り輝かせる道を示してくれるものなのだと信じます。

読書