利己的遺伝子

ここ数日、五嶋みどりの奏でるバッハを聴いてから、生きる原点について考えています。

それに引き寄せられたのでしょう、今日読んだ二冊の本は、ともに違った角度から生きることについて考えさせられるものでした。

動物行動学者リチャード・ドーキンスによって唱えられた『利己的遺伝子』という説はご存知でしょうか。

人間(生物)の生は、その個体が持つ遺伝子によって操作されていて、人間はその遺伝子の乗り物に過ぎないというものです。

人間には様々な欲求があり、その最も有名なものが食欲、睡眠欲、性欲という三つの生理的欲求です。

この中で食欲と睡眠欲は、生きていくために必要なもの、個体を維持するための欲求です。
そして性欲は子孫を残すためのもの、種を保存するための欲求です。

この二つを合わせると、自らの内にある遺伝子を存続させ、そして継承させたいという遺伝子を中心としたひとつの目的に行き当たります。

今日読んだのは、このドーキンスによる利己的遺伝子論を分かりやすく解説した「そんなバカな!遺伝子と神について 」です。

人間は単なる遺伝子の乗り物に過ぎず、家庭や社会を作り子孫を繁栄させるのも遺伝子の利己的と思われる行動の結果であるという、倫理的、宗教的に見てなかなか受け入れがたいものです。
事実ドーキンスのこの説は、キリスト教社会からはずいぶん批判が出ていたようです。

ほとんどの宗教は人間存在を他の動物と一線を引いて捉えているのですから、動物行動学的考え方を人間に応用することに批判が出るので当然です。

けれど大切なのは思想的問題ではなく、それが論理的に正しいものであるかどうかということであり、この本に紹介されている人間を含めた動物や昆虫たちの繁殖行動、浮気、子殺し、闘争など、遺伝子が導くと思われる様々な行動を見ていると、それが的を得たものであると納得せざるを得ません。
少なくとも反証は難しいでしょう。

この遺伝子が律するものは人間、人間社会を含めたすべてです。

R.L.トリバースという学者は、アメリカの雑誌「タイム」の中でこう述べています。
『早晩、政治学や法学、経済学、心理学、精神医学、人類学は残らず社会生物学の下位分野になるだろう』

これは事実かもしれません。
遺伝子は生のひとつの原点ですから、その意志というか流れから逃れることはできません。
これは一年の四季の移ろいや文明法則史学で説く大きな文明盛衰の流れから外れることができないのと同じです。

遺伝子は自然の一部であり、その行動、影響を知ることが「自然に生きる」ことにつながり、その自然に則った生き方が本当の倫理観なのかもしれません。
それを人間の限りある自由意志の下で探っていく必要があるのだと考えます。

もうひとつ思うのが、遺伝子DNAというのは四つの塩基で構成されたデジタル情報であり、この対極にはアナログで形作られたもうひとつの生命世界があり、そこにも着目しなければならないということです。

肉体を作る遺伝子に対するもの、それは精神を司る魂と呼ぶべきものであり、自分はこれが永遠であり真実の生命だと考えます。

この永遠の生命が、多くの共生、循環関係で律せられた肉体世界というフィールドで、何かを感じ取りたいと願って地上に現れたのだと考えます。

その地上での“ルール”が地球環境であり身体条件であり遺伝子の利己的と思われる振舞いなのでしょう。

そこで理想の生を全うするにはルールを熟知していた方が有利です。

ですから利己的遺伝子の考え方が倫理的に受け入れ難くても、そこから導かれる真理には真摯に向き合う必要があります。

新たな時代の生命観、自然観は、倫理観と直結したものとなるでしょう。

もう一冊は昨日紹介した児童虐待を受けた人について書かれたもので、これについては明日書かせていただきます。

昨夜は夜中にかなりの雨が降り、朝起きてドアを開けるとワンちゃんが雨宿りしていました。
いつもより少し元気がなく、見ると右の前脚が怪我か骨折をしているようです。

インドのワンちゃん

動く時はずっと片脚を上げたままでとっても痛々しいものの、何もしてあげられず心が痛みます。

今日は一日中この子のことが気になっていましたが、夜には少し回復したようで、ゆっくり四つ脚で歩けるようになっていました。

骨折ではなかったのかもしれません。
ワンちゃんの生命力が強くて助かりました。

ここには犬が二頭いて、もう一頭がこの子、女の子です。

子猫が犬から授乳

同じ犬種で兄弟かと思ったら、違うところからもらわれてきた他人(他犬?)だそうです。
怪我をしている男の子はちょっと甘えん坊でやんちゃ、スリムで毛並みがいい女の子は節度があって奥ゆかしいといった感じです。

この子たちにいつも癒され感謝です。(*^o^*)