感謝離

日々ホームページに文章を綴りながら、どうすれば少しでもいいものが書けるだろう、読んでくださる方に共感してもらえるだろう、そんなことをいつも考えています。

けれど大切なのはテクニックではないですね。
潜在意識がその人の本音に沿って働くように、そこにごまかしの技術は通用しません。

昨日五嶋みどりの演奏を聴いて感じたのは、本当に人を感動さすことができるのはその人の真摯な生き様であり、そこで培われた心の内が彼女のヴァイオリンを通して伝わってきます。
(バッハはそのための素晴らしい媒体だと感じます)

今もこうして文字を打っているとまた彼女の演奏が聴きたくなり、イヤホンを耳に当て、目をつむりながら聴き入ってしまいました。

もう言葉がないですね・・・。
音楽の感じ方は人それぞれでしょうが、自分はこの演奏を聴くと、どんな言葉よりも深く生きる上で最も大切なことを気付かせてくれるようです。

こういったものを持てるというのは何よりの幸せです。

「感謝離」という言葉をご存知ですか?
元はあの断捨離です。

これはあるお年寄りの方が長年連れ添った奥様を亡くされ、 その奥様の遺されたものに対する思いを綴った新聞投稿に書かれていた言葉です。

「感謝離」ずっと一緒

 妻が3月に亡くなった。世帯をもって62年、かけがえのないパートナーであった。ともに暮らした老人ホームの収納棚に残された衣服の整理を始めた。つらいな。

 「断捨離」という言葉が世に喧伝(けんでん)されてからずいぶん日がたつが、いまだに衰えを知らない。なんのかんのと言っても、そう簡単に捨てられないからであろう。

 寂しさを吹っ切らねばなるまい。妻の肌を守り、身を飾った衣装たちに「ありがとう」と、一つ一つ頭を下げながら袋に移していった。「感謝離」という表現が頭をよぎった。うん、こいつはいい。

 それにしても、よく着たもんだ。すっかり貫禄がついて古びている。ほら、このパジャマなんか襟がすり切れているじゃないか。捨てるのは切ないが、私が天国に行ったら一緒に新しいのを買いに行こう。新陳代謝だ。ああ、これは「代謝離」だ。

 気持ちが晴れた。棚から袋へ運ぶ手の動きがリズミカルになった。62年のパートナーだった、と考えたのは誤りだった。2人の間に終止符は存在しない。これからもずっと夫婦だ。どこまでも。いずれ会える日が来る。会えば、まず出かけよう、ショッピングに。

(5月19日付朝刊リライフ面に掲載)

奥様への思いがこもった文章、ホント泣けますね。

こんな思いとこんな夫婦関係を築けたこと、心から素晴しく、またうらやましく思います。

今の世の中、いかに楽に効率よく、そんなことがはびこり過ぎじゃないでしょうか。
もっと厚みのある人生を送りたいですね。

ではどうすれば・・・、それは方法ではなく、ただ真摯に生きていくだけ。
そのことを伝えてもらいました。