遠くインドから思う

今日本が新型コロナウイルスで大変な状況の中、なぜ自分は遠くインドにいるのか、それについて思うところは最後の方に書きたいと思います。

ここ熱帯気候のインド最南端カニャクマリ、そこの広大な敷地の中でのんびりと過ごしているだけで、心地いい風とともに生きる喜びが湧いてきます。

椰子の枯れ葉を集めている職人さんに朝の挨拶をすると、写真を撮ってくれと言われました。
いつもながらにインド人は写真を撮られるのも見るのも大好きです。

インドの労働者

その集めた椰子の葉はトラックに山積みにしてすぐ北隣にあるレンガ工場へと運びます。

椰子の葉を運ぶ

椰子の葉はレンガを焼いて作る時の燃料になるのです。

椰子の葉

ヤシの実は料理に使い、殻の繊維はロープになり、葉っぱは建築資材やフェンスに使われ、葉の芯はホウキになり、無駄にするところがありません。

敷地の中には山羊の他様々な動物がいて、番犬としての犬は珍しくないものの、インドでは犬より希少な子猫も二匹住んでいます。

インドの子猫

日本の猫より少し凛々しく逞しく感じるのは気のせいでしょうか。

今日はここのスタッフがすごく大きなコウモリの死骸を持ってきました。
それをここに載せたいのですが、最近インドでは野生動物保護のルールが厳しく、その写真は他人に見せてはいけないと言われました。
みんな喜んで写真を撮っていましたが⋯。

下の写真は右手が長兄スギルタンの家、奥の緑の建物がゲストハウスで、二階のドアのところが泊まっている部屋です。

とにかく自然が豊かで、ほぼ同じ場所から南側の門の方向を見るとこんな感じです。

=マダラムドラ

西の方向には椰子の木がたくさん生い茂っています。

マダラムドラ

そしてきれいな花もたくさんあり、こちらの言語タミル語で花を意味する“プー”という言葉はこちらに来てすぐに覚えました。

熱帯の花は色鮮やかできれいです。
日本でも夏の花は原色系できれいですね。

南インドの花

南インドの花

南インドの花

南インドの花

南インドの花

これは落ちていた花を水に浮かべたものです。

南インドの花

果物もたくさん種類があり、どれも新鮮で生命力あふれているのを体を通して感じます。

これはバナナ、日本で採れたてのバナナを食べることはほぼ不可能ですね。

南インドのバナナ

インドはたくさんのバナナがマーケットで売られていて、日本では見ることのできない長い枝(?)に何連も房が連なったものをよく見かけます。
ここカニャクマリのバナナは特に美味しいとのことです。

ザクロもインドで人気のフルーツで、ジュースで飲んだりもします。

南インドのザクロ

これはジャックフルーツ、日本ではほぼ見たことがありません。

南インドのジャックフルーツ

そのジャックフルーツの実は、こんな形で木になっています。
持っているのはスギルタンの奥さん、元聾学校の校長先生です。

南インドのジャックフルーツ

こんな風に自然の中、ただのんびりと時を過ごし、淡々と生きる喜びを噛み締めています。

ここはネットがつながったり途切れたりですが、日本のことはとても気になり、なるべく情報を入れるようにしています。

広島の自宅を出たのが先月19日、あの日の広島から京都まで乗った新幹線の中は、ほとんどマスクをしてる人はいませんでしたが、今はきっと状況がかなり変わったのではないでしょうか。

21日の関西国際空港、香港はほとんどの人がマスク着用で、今日本の街中はそんな感じなのかと想像しています。

今回インドに来るに際し、たくさんの方から気をつけて行くようにと温かい言葉をいただきました。
そしてその時最も心配だったのは、インドでのことではなく、3月末に帰国する際に無事帰国できるかどうかということでした。
二月中旬の時点で、今後日本はさらに状況がひどくなるであろうことは予測できましたので。

今インドに於いて日本は危険国扱いされています。
それは現状を鑑みてインド政府がそう判断するのは当然の処置だと思います。

けれど幸いなことに、今関係を持っているこちらのインド人たちはとても親切で、今回はこれまで以上に深い関係を築くことができました。

先に書いたように、インドの子どもたちは自分にとって鏡にような存在です。
そしてそれは子どもたちだけではなく、魂の故郷であるインド自体が鏡のように自分自身を映し出してくれます。

トイレ掃除と出合ってから、「ザ・マジック」で感謝の行を行ってから渡ったインド、それぞれで自分の中に起こった変化を、子どもたちを含んだインド人たちとの関係の中で見出してきました。

そして今回は、その感謝の気持ちがより深まったかのようで、新型コロナウイルス騒動で上手くことが運ばないこともある中、それも必然、ただあるがままでという気持ちとともに、「絶対にこうあらねばならない」という思いが消え、ただ今この状態に感謝できるようになりました。
またそうなったということを、ここインドに来て感じ取りました。

そうすると、英語が以前よりも多少できるようになったことも相まって、インド人たちとのコミュニケーションがとても上手くいくのです。
自分の方からインド人たちを見ても、以前より善意の思いが深く見えます。

今回このような状況でインドに来たにも関わらず、幸運なことがいくつも続いています。

インドの旅は体力勝負です。
実は少し前から両膝に少し痛みがあり、歩くのに不自由はないものの、旅への不安が若干ありました。
その膝を19日に京都で出会った橋本卓也さんに診ていただき、少し痛みが和らぎました。
そしてその翌20日、整体師山田直彦さんという方にも初対面で偶然診ていただくことができ、またさらによくなりました。

19日には搭乗予定の香港便がキャンセルになり、お陰で香港の豪華なホテルを提供してもらい、香港の街も見て回ることができました。

インド到着は一日遅れとなりましたが、今回のアライバルビザ(到着ビザ)取得はとてもスムーズで、到着日夕方に乗る予定だった寝台列車も無事キャンセルできました。

その寝台列車に乗れなかったお陰で、チェンナイで子どもたちと楽しい日々を過ごすことができました。

チェンナイからここカニャクマリに来る時の寝台列車は、キャンセル待ちでひとつ上のグレードの車両に乗れました。

そして最も大切なビザ、入国査証に関しては、数日前にアライバルビザが発給停止になり、今日3月3日には通常のビザも発給停止、先に発給したものも入国前なら無効ということにまでなってしまいました。
   <インド、日本人へのビザ無効に 新型コロナ対策(共同通信)>

インド、日本人のビザ無効に 新型コロナで

幸い自分はすでに入国済みなので関係のない処置ですが、まったくギリギリのタイミングでした。

先に空港に迎えに来てくれてスシルが、中国に向けて一万個のマスクを送りたいと書きました。

一万個のマスク

実はあのマスクはインドからは直接送ることができず、日本からなら可能なので、旅費を出すので自分にとんぼ返りして日本に届けて欲しいと頼まれていたのです。

自分も頼まれてその気になっていましたが、代わりの人が見つかり行かずにすむことになりました。
もしあの時行くことになっていたら、再びインド入国はできなかったかもしれません。

今はインドでもコロナ対策に躍起です。
インドから中国に留学している学生は、帰国後15日間隔離されると聞きました。

自分がインドに入国した際は、額に体温計を当てた簡単なチェックと自己申告の病気に関する書類を書いて渡したのみでした。

けれど今は入国時に安全、健康を保証する書類を渡されるそうで、それがなければ方々出歩くことはできないと何人もの人から言われました。
特に地方行政区によってその厳しさが違うとのことです。

ではその保証書類はどこに行けば手に入るのか、飛行場に再び行けとか役所だとか、あるいは大きな検査のできる病院に行き、数日から一週間、あるいは二週間の隔離後にもらえるとかいろんなことを言われました。

自分はとにかく拘束されるのが大嫌いなので、行動の自由を奪われるぐらいなら何日間か分かりませんが、あえて経験として隔離されるのもいたし方ないと腹を括りました。
それが運命の流れならそれに従います。
言葉の自由にならないインドでは自分から直接行政に問い合わせることができず、周りの人の言葉に身を任せるしかありません。

それでも最後の望みと思い、日本語のできるスシルに連絡をし、何かいい方法はないか調べて分かったら伝えて欲しいと頼みました。

するとしばらくしてから電話がありました。
自分が入国してから二日後に彼の元に空港の入国審査官から連絡があり、目的はアライバルビザ取得時の書類に彼の電話番号を書いたので、その確認だったようです。

そして今日スシルがその審査官に連絡をすると、
「あの日はまだ書類を渡す形にはなっていなかったので、サカイは書類なしでどこに行っても大丈夫、もし何か疑われたら自分のところに直接連絡してもらってください」
と言ってくださったのだそうです。

これには本当に助かりました。
ただただスシルに感謝、スシルとの出会いのご縁をいただけたことに感謝です。

このように、今回は最悪の状況にも関わらず、不思議なほどの幸運に恵まれ今に至っています。

今日本で行動に自粛を迫られ、経済的なこと等で窮地に追い込まれている人も多数おられることと思います。
そんな人たちにも幸運が訪れること、このコロナ騒動が平穏な内に無事解決することを切に願います。

けれど今は時代の大転換期、ここで日本を魁として人類全体の価値観を大きく変えていくことが求められていて、このたびのことがそのきっかけとなることを信じます。

その上で、今の自分に何ができるのか。
それを自らに問わずにおられません。

九年前の東日本大震災の日、翌日の公衆トイレ掃除の会を控え、仲間の家でその準備をしていました。
そしてその夜はその家で衝撃的な津波映像を食い入るように見つめ、翌日のトイレ掃除に臨みました。

その日のトイレ掃除のことは今も記憶に鮮明に残っています。
大手町という街の中心地のトイレには普段より多くの人が集まり、いつもより寡黙に、ただ目の前の便器を見つめながら淡々と磨き続けました。

各人何を思って磨いていたのか、それを語り合うことはしませんでしたが、思いはひとつ、今目の前のことをすることが遠く被災地につながる、そう感じあっていたものと信じます。

そして今インドにいて、その時と同じ思いを抱き、三日前、礼拝堂にある三つの便器を磨きました。

インドの便器 清掃前

便器はほぼきれいになりましたが、床にこびりついたミネラル(カルシュウム)は、それ用の器具かクエン酸のような薬品がなければ落ちません。
それが残念です。

インドの便器 清掃後

あまり、と言うかほとんど汚れを気にしないインド人ですが、この便器を見て、ハウスマザーたちは大絶賛してくれました。

さらに嬉しかったのは、もう十年近くこのホームにいて顔はよく知っているものの、これまでほどんどコミュニケーションを取ったことがなかった女の子から「サカイはみんなから信頼されている」と言ってもらい、今回無理をしてもインドに来てよかった、心の底からそう思うことができました。

平凡な日常の中にこそ深い喜びがあるように、自分がするべきことは、目の前の、自分ができることの中にこそあるのだと感じます。

またそれが間違っているかどうかは関係ありません。
自らが感じ取ること、それを信じ実行することに価値があります。