膝の痛みと付き合ってます

インド出発を来週に控え、日々充実した時を過しています。
近いうちに時間の有効活用についてのコーナーを設けたいと書きましたが、その有効活用法を身に付けるには、実際に時間を無駄にできない多用な日々を送ることが一番だということを、今身をもって感じています。

ということで、最近はこのホームページも少しずつアクセス数がアップしてきたにも関わらず、なかなか思いついたことを書くことができず、それが少し残念です。

インドに行くことも、日々いろんな活動をすることも、健康な肉体があればこそです。
普段は広島の中心地にいて、移動はもっぱらママチャリです。
大昔は車を持っていたこともありますが、今はその必要性をまったく感じません。
バイクも一時期乗っていたものの、バイクに乗ると自転車に乗るのが途端におっくうになり、健康生活から遠のくという理由で持たないようにしています。

医者に行かず薬も飲まない、健康だけが自慢ではありますが、身体全体すべてが快調というわけではありません。
年相応に不具合も抱え、それと仲良くしながら暮らしています。

一昨年半ばから、時々右膝が痛むようになりました。
右膝を深く曲げると痛みが走り、正座をすることができなくなってしまいました。

これは何とか治療しなければと考え、いつもながら自己治療の方法を探し、出合ったのが以前からよく知っている天城流湯治法です。
この動画を参考に自分で脚を揉みほぐし、一昨年はこれでほぼ95%いい状態にまで回復しました。

ところが、昨年半ばあたりからまた再び右膝が痛み出し、今度はこのマッサージをしても痛みが回復することはありませんでした。

痛いといっても歩いたり自転車を漕いだり、また階段の上り下りに支障をきたすようなものではありません。
ただ完全に深くは曲げられないといった程度です。

そうこうしているうちに、今度は左膝も痛むようになりました。
左膝は右とは逆で、真っ直ぐに伸ばそうとすると少し痛みますが、これも日常まったく支障のない程度のものです。
左右逆とはたぶんどこかのバランスが狂っているのでしょう。

人間ちょっとは体に支障がある方が健康に気遣うもの。
またどんな状態になったとしてもそれには原因があり、なるのが必然ならば治るのも必然、治るべき時期には必ず何かのチャンスがある、そんな思いでまったく焦る気持ちがありません。

実際これまで経験した体の不調は、すべて最もいいタイミングと方法で治ったと感じていて、その意味で、どんな病や不調も受け入れようという思いができています。

「なんとか治そう」という思いも大切ですが、それ以上に不具合がないところに意識を向けて感謝をし、またたとえ具合が悪くても、なんとか動いてくれているそのことに、有り難いという気持ちを持ち続けたいという思いが強いのです。

これはどう思うのが正解というのはないと思います。
自分の心で感じたこと、それを素直に思い続けるのがいいのです。

自分はボランテイアで障害のある方たちとたびたび接しているので、普通に生きていけることの有り難さを、健常者と呼ばれる人たちの平均よりもより強く感じています。

普段乗っているママチャリもそんなにスピードは出ませんが、それでも風を切って自由にいろんなところに行けるのは爽快で、それだけで本当に有り難いことです。
そしてそれを健康な身でありながら強く感じ取れるのは、最高に幸せなことです。

自分が日々健康に過ごせるのは、生命の本質から健康のあり方を考え、このホームページに書いているような心身の感謝行をはじめとする心得を実践しているから、そしてさらには、二十歳の時に自らの寿命の半分を神(天)に捧げる誓いを立て、五十歳の年に二度の死に目に遭いながらも余生としてその後の命をいただき、その録として健康をいただいているような気がします。

ですから今生きていられるだけで幸せです。
この「今生きているだけで幸せ」と感じている方が、「絶対に健康であらなければ」と強く願うより、より健康を引き寄せるのではないかと感じます。

『追いかければ逃げる、手放せば入る』、この真理です。

先の土曜日は、五人のメンバーで広島の比治山というところにある現代美術館下の公衆トイレを掃除しました。
現代美術館はなだらかな傾斜に沿って建てられていて、その回りは石垣で囲まれ、その石垣を掘り込むような形でトイレがあり、その地中を水道管が通っているので真冬でも水が温く、毎年二月はここを掃除することにしています。

比治山公衆トイレ掃除

この日、自分は多目的トイレを掃除しました。
まず大便器の水垢をキレイにし、次に壁や床もタワシやサンドメッシュで磨いていきます。

床は亀の子だわしを右手に握ってゴシゴシと擦るのですが、この日は少し膝の調子が悪く、普段通りに腰を落とすことができません。
ですから自然と膝を床に付け、四つん這いになった形で床を磨きました。

公衆トイレ掃除の会では床に膝を付けるのはそんなに珍しいことではありませんが、普通の感覚ではなかなかしないことかもしれません。
その時、そんな四つん這いの姿勢を自然と取れる自分を感じ、とても幸せな気持ちになりました。

完調ではない膝が可愛いというか愛おしいというか・・・、ここからまたたくさんの愛を感じ取れるような気持ちになり、胸が温かい状態で掃除に励むことができました。

いつもよく考えることがあります。
お金、病、人間関係、ほとんどの人は何らかの課題を抱えながら日々生きています。
そこにもし神様が現れて、
「二つの願いのうちどちらかひとつだけを叶えてやろう。
ひとつはその課題を解決すること、もうひとつはその課題を課題と感じないような心にすることだ」
そう言われたらどちらを選ぶでしょう。

自分ならば迷うことなく「課題を課題と感じない心」を選びます。
それは、それが永続的な悩みを解決するための根本であり、幸せを感じる原点だからです。

明石家サンマの娘のIMALU(イマル)さんは、“生きてるだけで丸儲け”から名付けられたそうですね。
この精神がとても大切です。

天城流湯治法の膝の治療はもっと奥深いものがあるようで、自分に天城流を紹介してくれた平野医師が、最近膝痛治療の本を出されました。

この本を読まなければ、と思いながらもまだ読んでいません。
そうしているうちに先日知り合いの奥さんが酷い膝の痛みを抱えていると知り、その方にAmazonを通してこの本をプレゼントしました。

自分にはまた最適な治療時期が来るのでしょう。
インドには21日の朝関空から出発し、19日に広島の家を出ます。
その19日に京都に立ち寄り、整体のプロである橋本卓也さんに膝を診ていただくことになっています。

その楽しみを得られるのも膝が痛いお陰です。

労りながらも自然体でのんびりと付き合う、これが自分流の身体との付き合い方であり、愛情の表現です。