主観的豊かさ

「年末年始の驚き」の続きです。

昨年、資産一千億円の金満社長が三億円を超すスーパーカーを購入し、その車の紹介をYouTubeにアップしたというニュースを見ました。
その動画自体は見ていませんが、なんでも「宇宙船みたい」にすごいものだそうです。

【日本初お披露目?!】前澤、3.8億円の車を買う

別にそれを批判するわけではなく、あくまでも個人の感想ですが、その車を所有することを1㎜もうらやましいとは感じません。
これは車に対する価値観の違いです。

自分が車に対して第一に求めるのは、経済性と運転のしやすさです。
経済性は自分に経済的ゆとりができればクリアーできる問題ですが、運転のしやすさだけはゆずることができません。
それは車を移動の手段として考えるなら、運転のしやすさは最も重要性の高いものだと考えるからです。

さらに運転のしやすさは、事故を起こさないための安全性に直結します。
自分は新幹線の乗った時、座席に座ったまま網棚の荷物が取れるほど大柄です。
ですから車高の低い車、スポーツカー、スパーカー(乗ったことありませんが・・・)といったものが苦手です。
そういった車に乗ると閉所恐怖症に陥ったかのような閉塞感を覚え、また低い視線からでは車の四隅の位置、つまり車両感覚が掴みにくいのでとても恐怖を感じます。

車両感覚を掴めるというのは極めて重要です。
今頃の車高の高い軽自動車、あるいはトラックなどは、車体の大きさ関わらず、真っ直ぐ走っていてもカーブでも、ハンドル操作に負担を感じません。

車は運転を少しでも誤れば、自分のみならず他人の命をも奪う事故につながります。
そのことを考えれば、いくらデザインがよくて性能が優れていても、それを魅力と感じ感性は自分にはありません。

年末年始、広島と長崎の平戸の往復に使ったホンダのフイットという車は本当に快適でした。
ニコニコレンタカーというところで借りたもので、昨年同じコースを走った時は、最も安いグレードの軽自動車を借りてそれもとても快適でしたが、今年はそれよりもひとつ上のグレードのフイットをお借りして、さらなる快適さを味わいました。

ホンダ フィット

軽のすぐ上、下から二番目のグレードなので、いわゆる大衆車なのでしょう。
それでも装備は十分ですね。

自分が車を所有していたのはもう三十年も前、三菱のランサーとホンダのアコード二台を乗り継ぎ、あの頃の車と比べると格段の進歩です。
もちろんその間まったく車を運転しなかったわけではありませんが、日常的に乗っていたのは土木仕事をしていた時の2トン、4トンのダンプ、4トンユニック、軽トラといった車で、すべてが超オンポロであり、それらの車が自分の中で“車の標準仕様”として息づいていて、それと比較してしまうので、どんな乗用車を運転しても超快適に感じる傾向があるのです。

フイットに乗り、まずエンジンをかけるのにキーを刺さないということに驚きました。
これは最近の車では当たり前なのでしょうか。
まずそれでちょっと感動です。

次は横のウインドウが電動なこと、これも今では当たり前ですが、少し嬉しくなりました。

そして走っていると、オドメータのところに平均燃費が表示されます。
どうやって計算するのでしょう。
最近はキャブレターではなく、ジェット燃料噴射というものだから測定できるのでしょうか、しかもその数値が18.4キロ/リットルとか19.7とか、やたらいいのが驚きです。
お借りしたのはハイブリッド車ではありませんが、今時の車は燃費がいいのですね。

そして燃費が計算できるので、そこから現在残ったガソリンであと何キロ走れるかも表示してくれるので安心です。

他にもいろいろ機能があるようですが、説明書を読むわけではないのですべてを理解することはできません。
電子キーも、そのスイッチでドアのロックと解除ができることは最初から分かっていましたが、使っているうちに、キーをポケットに入れた状態でドアノブを触るだけで、ロックを開け閉めできることを知り、これも本当に驚きました。

それとギアをバックに入れると自動的にモニターに車両後方が映し出されるのは便利ですね。
昨今は撮像素子が安価で手に入るので装備するのに費用がかからなくなり、今はほぼ標準装備になったのでしょう。
またこれを一度使うと目視だけでバックするのが怖くなると思います。

大衆車フイットでこの装備ですから、他の高級車、レクサスなんてどんな機能が付いているのか想像できません。

フイットは乗り心地もとてもよく、小さな車体の割には室内も広くて快適でした。
空調も進歩しているのでしょうか、ファンの音も昔より静かになっている気がします。

車を運転している時の大きな楽しみは、そこで音楽を聴くことです。
平戸までは下道を通って片道十時間以上かけて行きましたが、その間ずっとiPadに入った音源をBluetoothのスピーカーで鳴らして楽しみました。

Bluetoothスピーカーは小型でも高音質でパワーも出せて最高です。
運転中は部屋で聴くのとは別の意味で音楽に集中でき、最高のリスニング環境です。

繰り返しますが、高級車を求めることを批判するつもりはありません。
それを持てるだけの経済的ゆとりがあるのは素晴らしいことです。

ここで言いたいのは、豊かさとは主観的なものであるということ、高級車を持てることは間違いなく豊かなことですが、それと同時に、大衆車でも十分満ち足りた気持ちになれることもまた別の豊かさであり、そのことを忘れてはならないと強く感じます。

この主観的尺度を忘れ、豊かさや幸せには客観的かつ絶対的ものがあると信じるところから競争が生まれ、あくなき欲望や不全感といったものに苛まれる危険性を秘めています。

経済というのはひとつの生きものであり、その生きものが自らの持つ生命を維持、発展させていこうとする中で、その“生命維持装置”のひとつである人間に満たされることのない欲望を抱かせ、その渇望感を自らのエネルギーとしている面があります。

自分は12年前に南インドに行き、そこで初めて児童養護施設の子どもたちと接した時、
『人間は価値があるから生きているのではなく、生きている、そのこと自体に価値があるのだ』
という、本来当たり前であるべきことに深く気付かされました。

けれど今の“経済的に豊かな社会”は、このことに意図的に気付かせないようにすることで成り立っているのだと感じます。

これも以前書いたことがあるかもしれませんが、ある「ツイてる、ツイてる」を合い言葉にしているグループの人たちの会報に、そこのグッズの販売店になってリッチになり、ベンツやローレックスの時計を買ったという女性の記事が出ていました。

そこでリッチになったのは彼女だけではなく、その仲間たちも同じで、その仲間みんなでベンツとローレックスを買い揃え、数台のベンツを扇形に並べた中で撮られた集合写真がそこに掲載されていました。

人が豊かさを感じるその価値観は様々で、それは趣味、生き方の領域であり、それを批判することはできませんが、その価値観が自分のうちから湧き出たものではなく、世間の評価や尺度といった客観的、外部的なものから生じたのなら、とても悲しいことであり、また大量消費社会によって壊滅的に破壊され尽くした現在の地球環境を考えると、単なる高級志向、ブランド志向というのは、持続可能性のない一過性、閉鎖的価値観であると言わざるえません。

ベンツ、ローレックスが絶対悪ではありません。
それをみんなが一律に求めるというところに空恐ろしいものを感じるのです。
またそれを会報に載せるということは、それを編集した人、それを読む人たちもみな何も感じることなく、それを“理想の成功者”のように捉えているのでしょう。

こんな一過性の価値観が世間に広まらないことを願います。
「ツイてる」という思いは自分の心のうちから湧き出るものであり、その横にあるものはベンツであろうがカローラであろうが、はたまた自転車であっても関係ありません。

こう書いていて思い出しましたが、日本人が主観店価値観を持てないというのは、それだけ感性が鈍ってきているのだと思われます。

感性豊かな人は芸術を愛します。
そして筆をとって絵を描くことも芸術のひとつです。

けれど近年盛んなハガキ絵を見ていていつも不思議なのが、なぜ「下手でいい」、「好きなように表現すればいい」と言われているその世界で、みなほとんど一律に同じ画材を使い、同じような絵と崩した字を書かれるのかということです。

そこに個性を感じることはほとんどなく、みな客観的な『下手ウマ』のようなものを追い求めているように感じます。
これが今の日本人の気質なのでしょう。

~ 「幸福のバランス」に続きます。 ~