トイレ掃除の奇跡

広島というと、みなさんどのようなイメージをお持ちでしょうか。
広島東洋カープ、牡蠣、もみじ饅頭、宮島と平和公園二ヶ所の世界遺産、そして世界初の被爆地であるといったようなことでしょぅか。

風紀の面では、昔は「仁義なき戦い」の舞台にもなり、広島やくざの名は全国にとどろき、「じゃけえ」というちょっと男っぽい方言も相まって、広島はあまり上品ではないところといったイメージだったかもしれません。

そしてその後それを決定づけたのが、1999年、広島の三大祭りのひとつであるえびす講というお祭りで、歩行者天国となった中央通りを暴走族が占拠して警察、機動隊と衝突し、大量の逮捕者を出した事件です。

当時は市内を暴走族が走り回り、えびす講の事件が全国放映されたこともあり、広島は「暴走族の街」というレッテルが貼られていました。

けれどその後関係各所の努力で暴走族は激減し、元暴走族や彼らを仕切っていた面倒見と呼ばれる暴力団予備軍の多くの若者たちが更生していったことはあまり知られていません。

そしてその彼らの心を変えていったのが、素手で行う学校や公園のトイレ掃除です。

自分がトイレ掃除活動に関わるようになったのは十年前からで、当時すでにえびす講の事件から十年経っていましたが、あの頃若者たちの更正に尽力し、トイレ掃除の人間の心に与える偉大な効果を実感している警察や法曹関係の方たちが数多く参加しておられました。

このたび、その頃の広島の実態や若者たちの更正の歩みを描いた「トイレ掃除の奇跡 広島から暴走族が消え、揺れた学校が消えた」という本が出版され、それを読み、自分の心の原点であるトイレ掃除について再び考える機会を持ちました。

十年前のトイレ掃除を始めた頃、もう回りではたくさんの人たちが熱心にトイレ掃除活動を実践されていました。
一昨日「心のこもったハガキ」に書いたハガキ道を実践されている方たちの多くがトイレ掃除の会にも参加しておられました。

自分は天の邪鬼で、人がしているから自分も・・・というのは嫌いです。
当時はまだ自宅の片付けが十分にできていない状態で、その状態で人様の汚したものを掃除するというのは偽善者のようで抵抗を感じていたのです。

それを振り切るキッカケとなったのが広島市の東区長だった山口富久さんの講演です。
山口さんが東区長だった当時、県内で最も荒れていた二葉中学校や街の風紀をトイレ掃除を実践していく中で少しずつ解決されたという話はとても具体的で心を打ち、是非ともこの話を多くの人に知ってもらいたいと考えました。

そこで山口さんの岩国での講演テープをいただき、それを文字に起こしてホームページにアップしました。
とてもリアルな心磨きのストーリーで、生き方の基本を教えられます。
<トイレ掃除が学校を変え街を変えた> <2> <3> <4>

山口さんの話を人様に紹介するのに自分が実践したことがないのでは話になりません。
と言うことで、99年の春、その県内一荒れていたという二葉中学校と市内の袋町公園、この二ヶ所のトイレを午前、午後とダブルヘッダーで掃除させていただきました。

この「トイレ掃除に学ぶ」というのが、初めて学校のトイレ掃除をさせてもらった時の感想です。

各人ひとつずつ便器を担当し、まずはスポンジにカネヨンという洗剤を付けて磨いていきます。
二葉中学校は普段から掃除が行き届いていますので、便器はそんなにひどい汚れはこびりついていませんでした。

私は一番奥の小便器を担当し、その前にしゃがみ込んでスポンジを持つ手に力を込めて磨いていきます。
掃除は汚れを落とすというよりも、まさに磨き上げるといったイメージです。

床から縦長に伸びた便器の前に座り、対峙するといった感じで何度も何度も徹底的に磨き上げていくと、心の中に何か不思議な感覚が芽生えてきました。

真っ白いホーローの便器ですが、このまま磨き上げ続けると、いつかこの真っ白なホーローが鏡のようになり、そこに自分の顔が映し出されるのではないか、そんな気持ちになってきます。

磨いているのは便器ではなく鏡である。
そしてそこに映っている自分自身であり、自分自身の心なのだということに気が付きました。

「トイレ掃除は心磨き」という言葉がありますが、そのことがとてもよく理解できました。

最初に体験したトイレ掃除の印象は強烈でした。
今もその時のことはハッキリと覚えています。

それまでは家が汚れたままで外のトイレを掃除することにどんな意味があるんだ、と思っていましたが、家のトイレと外のトイレとでは感じ取るものがまったく異なります。

それは言葉で表現するのは難しいものであり、またしてはいけないもの、自らが自分の体を使って感じ取らなければならないものです。

これまで同じことを何度も書きましたが、トイレ掃除活動を熱心にする人が素晴らしいのではありません。
自分を含め、トイレ掃除に熱を上げる人の多くが心の中に闇を抱え、それを払拭したいと願い、すがる思いで便器に向かっているのです。

またすがりつきたくなるほどの大きな力がトイレ掃除にはあり、「トイレ掃除の奇跡」の中に書かれている、元暴走族の少年が最初はいやがっていたトイレ掃除を途中から熱心にやりだし、最後はとてもいい笑顔を見せてくれたという話が、自分はその様子を直接見ていなくても、彼らの心の中が痛いほどよく分かります。

心の闇が深ければ深いほど、トイレ掃除から受ける癒やしは大きいのです。

日本の犯罪率は現在少しずつ減少しつつありますが、体感的には治安がよくなったという印象はありません。
それはたぶんに公共性やモラルというものが低下し、将来に夢が持てず、日本人の活力も相対的に下がっているからではないかと感じられます。

そんな日本を元気にし、心を豊かにしてくれる力がトイレ掃除にはあります。
「暴走族の街」だった広島が、その闇が深かったがゆえに、今は全国的にもトイレ掃除活動が盛んな街になりました。

「トイレ掃除の奇跡」には、嘘偽りのない真実の心が救われた物語が収められています。

外でのトイレ掃除活動をしたことがない方、トイレ掃除の体験談を聞かれたことのない方、是非とも一度でいいのでトイレ掃除はどの様なものか体験し、「トイレ掃除の奇跡」にも目を通していただければと思いのます。

そこから感じ取ったものが真実であり宝です。