継続するために

「効果を体感する」で述べたことは、自ら感じ取ったことを自分の価値観の中心にして、主体的に生きていくことが望ましいということ。

そして自らが感じ取ったものは、義務的ではなく、そこから喜びを持って楽しく実践できるので、楽しく長期間継続できるということです。

さらにはそれが積み重なるとより自らの「効果を体感する」力が高まり、どんどんいいことが習慣化できるというメリットがあります。

これまでのことを振り返ってみて、周りの人たちにいろんないいことを伝えても、それを実践し、継続してくださる方はごくわずかです。

例えば歯の噛み合わせ治療などはそのいい例で、いくら体験談や理論を話し、それにうなづいてくださったとしても、歯の噛み合わせで体が大きく変わるとは心底信じられないのでしょう、ほとんどの場合、話だけで終わってしまいます。

そしていつか行かれた後で、「もっと早く行っておけばよかった」と後悔されることになるのです。

山﨑歯科医院のホームページで体験談を書いてくださっているリンゴちゃんも、最初は興味はあるけれども、娘さんの嫁入り準備で今は忙しいから・・・という理由で先延ばしにされていたのを、その体験談の中にもあるように、たまたま自分ともう一人の知り合いが受診するために山﨑歯科まで車で送ってくださり、それをキッカケに思い切って受診し、長年の悩みだったO脚が改善されるという大きな効果を得られました。

最近は外反母趾もよくなったそうで、大感激の言葉をfacebookに綴っておられます。

人間はみなそれぞれ何らかの思い込みを持っていて、それが時としていい出会いを阻害することがあります。
それを防ぐためにも本当にいいものとたくさん出会い、自らの感性と判断力を高めなければなりません。

是非いいと思われるものを着実に実践し、自らの体の声としてその喜びの言葉を聞いてください。
そしてそれに忠実に、素直に生きることが一番です。

それが積み重なり、高められていけば、自分にとって本当にいいものが、より早く、直感的に感じられるようになるでしょう。

いいもの、価値あるものは身近で安いか無料のものだといつも言っていますが、お金を出すからこそ人はそれと真剣に対峙し、受け止めるという面もあります。

自分は何事も自学自習をモットーとしていて、人に教わったり、英語でも学校に行って習おうという気持ちはまったくありません。
それはその学び方を見つける過程で感じ取れるものが多くあり、マニアック傾向のある自分は、そこを深く探っていくのが好きなのです。
けれどこれは誰にとってもいい方法とは限りません。
人によっては誰かから指導された方がやる気の起こる場合もあるでしょう。

舌の筋肉を鍛えるペコぱんだは、生きる力を高める最高の健康器具です。

先日ある人にこのペコぱんだの話をしていたら、横にいる人が、器具を使わなくても舌を鍛える方法があるということを言われました。
それがどういった方法か忘れてしまいましたが、たぶん舌をどの様にかして動かすことだったと思います。

その方法をもし十人に伝えて、いったい何人の方がそれを実践されるでしょう。
またそれを長期間継続される方は何人おられることでしょう。
たぶん百人に伝えても、長くそれを続ける人は皆無でしょう。

それはやはり器具を使わないものは効果が現れにくいということ。
そして目の前に器具がなければ、それを実践しようという動機がなかなか起こらないからです。

ペコぱんだは硬さが五段階あり、ひとつがわずか千円ほどです。
自分は最初から最も硬いものを使っていて、最初は使用後に舌の筋肉がしびれる感覚がありましたが、すぐに鍛えられ、今は楽々何十回でも舌先でペコぱんだの半球形のドームを押しつぶすことができます。
そしてそれと同時に体感の張りを感じます。

とても簡単な器具ですが、これのお陰で効果的なトレーニングができ、旅先でも気軽に持っいき、毎日楽しく実践することができます。

本当に高価なものは必要ありません。
ペコぱんだでもパタカラでも、ほんのわずかな投資でその人の生活の質を高めることができます。

今日は午前零時を少し過ぎた時刻が新月でした。
新月は人間の体の浄化能力を高め、新月前後は断食するのに最も効果的な期間です。

ですので、いつも新月をはさんで丸一日は何も口にしないことにしていて、このたびも昨日の昼から今日の昼までで24時間断食を実践しました。

空腹を我慢するのは大変ですが、24時間と期限が決まっていればなんとか耐えることができます。
本当に苦しいのは、そういった縛りがなく、“なるべく”という思いで実践するときです。
これは断食、食事制限、学習に関すること、すべての面について言えます。

“24時間”というような、ハッキリとした目標がなくても実践できる人は意志力の強い人です。
少しずつでもそうなれるよう、明確な目標を定めたことを一歩ずつ実践していくことです。

今言ったこととまったく逆のことなのですが、自分が十年、二十年と続いている習慣は、みな例外を作って適当にさぼりながらしているものばかりです。

呼吸法、体との対話、タワシで体をこすり、お湯だけで体を流す、先のペコぱんだやパタカラ、・・・こういったものは完全に日常の中の習慣として溶け込んでいて、さぼろうがさぼるまいが、それを続けていくことに何の支障もありません。

今振り返って考えてみると、そこに至る当初は義務的とまでは言わないまでも、何かを得ようと日々懸命に続けていたように感じます。

最初は例外を作らず懸命に、その後は無理をせずに自然体でのんびりと、これが継続のコツなのだと感じます。

継続できるものとできないもの、それは自分が真に求めているものとそうでないものかもしれません。
またはその時期に来ているか来ていないか、その違いもあると感じます。

それを作り出すもの、最近強く感じるのは時間の流れです。
時間は過去から未来に向かって流れるのではなく、未来から現在、過去へと流れていく。

未来の自分、その自己イメージに向かって今の自分が築かれている。
ですから未来の自分に高いイメージを持てない人は、今の自分もそれなりにしか行動できず、自己変換も新たないい習慣づけもすることができません。

これは話が長くなるので別の機会に書きたいと思います。
高い自己イメージを持つ、これもいい習慣を身に付け、継続させるための大切なポイントです。