引き寄せと導き

潜在意識は無限の力を持っています。
思考は現実化し、現実はすべて自分の想念が創り出したものである。

潜在意識の持つ大きな力は、それを意識して活用するしないに関わらず、今やほとんどの人の知ることとなっています。

強く念じたことがすべて現実化するのなら、こんな簡単なことはない・・・とは思うものの、なかなか思うようにはならないのも現実です。
それは人間の思いには我欲や否定的なものが数多くあり、自分の思考をコントロールするということが一筋縄ではいかないからです。

潜在意識の持つ現実化の力は、今は引き寄せの法則とよく呼ばれています。
頭で強くイメージしたものが、まるで何かの力で引き寄せられるように目の前へとやって来る。
これは誰しもが経験したことのあることだと思います。

これとよく似た言葉で、導きというものがあります。
これは自らが引き寄せたというよりも、何かもっと別の大きな力が働いたといった感覚で、運命、人生の行方をも左右する大きなものに使われます。

引き寄せと導き、この二つは大きな意味での潜在意識の働きとして、まったく同じものだと考えられます。
潜在意識は海に沈む氷山に例えられるぐらい膨大なものであり、その潜在意識の中で、二つは働く場所が少しだけ異なるのでしょう。

潜在意識と顕在意識

上図のような顕在意識と潜在意識の構造を示したものをよく目にします。
顕在意識は海面に現れる氷山のように、その意識全体のほんの一部であるというものてす。

けれどこれはあくまでもイメージであり、潜在意識はすべてものを引き寄せる力を持っていることから、意識はすべて根底で通じ合っている、「Everything Great」で示したような図の方がより正確だと思われます。

生命系

仏教では、五感を含めた意識の階層を下図のように細かく分けて定義しています。

仏教の意識階層

この顕在意識から潜在意識へ至る縦の流れが、氷山の水面の頂上から海中の底に至るものであり、最終的には生くとし生けるものすべてが共通して持つ、生命の根源とも呼べるところに通じます。

ただしこれもやはりあくまでも単純化したイメージであり、実際はこのような平面図で表されるものではありません。

○○が欲しいな~と強く願っていると、突然誰からそれをプレゼントしてもらうことがあります。
またまったく突然の人との出会いから、それまで考えてもいなかった方向へと人生の舵取りをすることがあります。

このどちらもが潜在意識の働きであり、単純な思いが現実化するのが引き寄せであり、運命的な人生転換が導きだと言えるでしょう。

そしてそれらの違いは、引き寄せが顕在意識から容易にアクセスできる潜在意識の浅い部分に働くのに対し、導きはより深い部分、普段まったく意識していない、生まれ持った魂とでも呼べるところに記憶したものによって現実化しているということです。

引き寄せは潜在意識の浅い部分、導きはより深い部分、その違いはあれど、どちらも意識や生命の根源と通じ、自らとは異なる(と認識している)モノや人、出合いを現わすのですから、やはり一元的なものではないのです。

引き寄せと呼ばれる潜在意識の浅い部分へのアクセスは、常日頃の心の持ち方、イメージの仕方によっていかようにも変えられます。
変えられますが、心という形なきものはなかなか律しがたく、それがイコール人生の修行であるとも言えます。

そんな心の律し方、引き寄せの法則については、書店に行けば山のように本が積まれています。
知識として心の法則を知ること、そしてそれを実践することです。
この実践が何より大切です。

『潜在意識に主語はない』
『利己的と利他的、二つは本来同一である』
これらは素晴らしい愛の法則です。
Everything Great、すべてはひとつであり、他人を愛することと自らを愛することは究極ひとつであり、これからの心の時代は、この恒久平和思想である究極の愛を実践することが目標です。

運命によって導かれるもの、この魂に刻み込まれた深い部分は変えることができないのでしょうか。

運命と宿命、言葉の定義にもよりますが、前世から定められ、生まれ落ちた時にすでに決まっているもの、人種、性別、大きな身体的特徴など、どうしても変えることのできないものがあります。

ただ変えることはできなくても、それが持つ “意味” を変えることは可能です。
貧しい家庭に生まれて両親から虐待に遭った、それを悲しいことととらえれば不幸ですが、その逆境をバネとして成長できたと考えれば、そのものの持つ意味は変わります。
大切なのはこの自らが意味付けするこの意味です。

そして変えられる運命もあります。

江戸時代の観相家水野南北は、18歳の頃に悪事を働き牢屋に入り、牢屋の中の囚人を見て、人相と運命に深い相関関係があることに気付き、観相の道へと入ります。

その後自らも死相を持つことを知り、食を律することで死相を消し、運勢をも好転させていきました。

さらに髪結い、湯屋の三助、火葬場の穏亡などの経験を重ね、観相の腕を磨き、その人の人相と運命をかなりの確度で言い当てることができるようになりました。

けれど良相でも不運を招く人、悪相でも難なく生きている人たちがごくまれにいることを知り、その原因を求めたところ、そこには食のあり方があるということに気がつきました。

そして観相学の究極としての南北観相法を完成させ、節食が運命をも変えるということを説くようになりました。

自らのことを言うならば、運命は自らが決め、そしてそれをまた変えることもできる、そう感じ、信じています。

二十歳の時、自らの運命を決める「心定め」をしました。
父が末期の胃ガンになったことをキッカケに、神前で真剣に父の快癒を願うと同時に、自らの寿命を半分神に捧げ、生涯神の道へと進みます、というこの二つを心定めさせてもらいました。

その後宗教家にはならなかったものの、その思いは心の中で消えることはなく、宗教家、超能力者、気功、風水、・・・そういった精神世界を歩む素晴らしい人たちとの数多くの運命的出会いのご縁をいただき、みな極めて親しい関係を持つことによってたくさんのことを学ばせていただきました。

心定めをした二十歳の頃は、『神の道 イコール 宗教家』でしたが、今このような時代の流れになり、今の自分にとっての神の道は、自分にしかできない生命の探究とその伝達である、これを深い確信を持って言うことができます。

この『新たなる生命の時代』、ここで述べた生命の真理を多くの人に伝えること、これが自らの天命であり、自らが創り出した運命です。

神に半分捧げた自らの寿命は、自らの天命を成就するために延びることになりました。
そしてそれが延びたということを示す出来事が、五十歳を迎えた年に二回ありました。

心定めをした時の年齢が二十歳で、八十歳が天寿だとすると、五十歳はちょうどその中間にあたります。
この年に二度、水難と交通事故という死の危機を直前で回避することがあり、そこに運命的なサインが示され、それが偶然ではないということを教えてもらいました。

運命は自らの意志、行動で変えることができる。
天命は運命に勝る。

そんなことを自らの人生の歩みの中で感じます。

・・・ つづきます ・・・