生活を味わう

今はほぼ毎年インドを訪ね、いつも行くのはホームや福祉関係の施設のあるところばかりで、観光地にはほとんど足を運ぶことがありません。

ホームにいて、ただ子どもたちとともに日常を過すだけ。
ただそれだけです。
それでもホームの子どもたちにとっては日常の中に現れた珍妙な外国人の存在は大きいようで、いつも大歓迎で迎えてくれて、ともに喜びを分かち合う、そのことに大きな喜びを感じています。

ホームでは日常の生活スケジュールや食事の内容が週単位で決まっていて、その中で淡々と時を過します。

インドトリチーホーム一週間のメニュー

インドという自分にとって非日常(ハレ)の中にある日常(ケ)を体験し、その中にこそ真の喜びがあるという、本来ならば本当のケである日本で感じ取らなければならないことを、遠い異国のインドで体感しています。

自分がインドに行くのは、その当たり前のことを知るためのようなものです。

人間として当たり前の生活をしていれば、当たり前のことに気付くことができます。
そして逆に当たり前のことをしていなければ、当たり前のことをも見過ごしてしまいます。

当たり前の生活、そのひとつが自然のリズムとともに暮らすということです。
生命あるもの、自然はすべてリズムを持っています。
人間はそのリズムを感じ取ることによって真っ当な感性、感情が育まれ、そのリズムがなくなると、人間にとって最も大切な判断力や幸福を感じ取る力といったものが衰えていくのは自然の法則です。

都会の雑踏を歩く無表情な現代人などはその典型です。
文明は自然を支配し、そこから人間を遊離させることによって発展し、利便性と快適性を提供するとともに、人間本来が持つ力を衰えさせる両刃の剣です。

今という時代を生きる人類は、このことを深く見つめ直す必要があります。

一ヶ月半前から実践している咀嚼の効果を今も日々体感しています。

しっかりと咀嚼することによって気がついたことのひとつ、それは鰯(イワシ)がこんなにも美味しいものだったのかということです。

鰯

もう三十年、四十年も前から、鰯でもサンマでも、頭も尻尾も骨も残さず、すべていただくことにしています。
そしてすべてを食べることによって、身、骨、内蔵、それぞれの味わいが上手く調和されるということを感じてきました。

その調和の感覚が、咀嚼回数を増やすことによってより一層高まったのです。

淡泊でもしっかりと旨味を持つ白身、そこに内臓の持つ苦味、小骨の硬さ、それを噛むことによってにじみ出るほんの少しの甘味、それらが見事な調和を作り出し、ちょっと大げさに言うならば、口の中にミクロコスモス(小宇宙)が広がっっていく感覚で、この感覚が、噛むたびごとに増してくるのです。

『噛めば噛むほど味が出る』、咀嚼は食べ物の味わいを引き出すと同時に、その奥にある様々なものとの調和を導き出すのだということを知りました。

現代人の食事は軟らかいものが増え、咀嚼回数が少なくなって顎の力が弱まり、顎が小さく細長くなったと言われています。
そしてそれに比例するように肉でも野菜でも促成栽培で本来の味わいがなくなって淡泊になり、その分たっぷりと調味料で表面の味を付け加えるという形になっています。

サンマでも鰯でもじゃこでも、その全体を食べることのできる魚は小魚であり庶民的なもので、鯛、マグロ、ブリといった高級魚は大型で、主にその身の部分だけをいただきます。
そして現代人はその高級魚を価値あるものとして求め、様々な味わいを含んだ小魚はあまり好まれません。

これは現代人の咀嚼回数が減り、『全体を味わう能力』が低下してきたことと比例してきているのだと感じます。

高級魚の身は確かに美味しいものです。
けれどこれだけでは全体との調和や深みはありません。

これは極端に言うならば刹那的なものであり、人間が文明の魅力を知ってしまったら後戻りできないいのと同じく、高級魚の簡単に味わえる旨味を知ってしまったら、しっかりと咀嚼をし、全体を味わうことが億劫になってしまうのは自然の流れです。

魚の身、それを簡単に旨味を味わうことのできるハレ(非日常)とするならば、その他の内臓や骨、頭や尻尾や皮は、それを引き立てるベーシックなもの、ケ(日常)であると言えるでしょう。

本来の日常生活とは、その中にハレとケが混在し、年に二回の盆と正月は特別な時といったようなリズムがあり、そこに深みが生まれます。

けれど今の日本は年がら年中ご馳走を食べもことができ、しかもコンビニで24時間好きなものが手に入るという日々一日中ハレばかり、ケが完全に忌み嫌われているといった状態です。

これがなぜ好ましくないのか、人間の最も大切なものを阻害してしまうのか、これは理屈で説明して分かるものではないと思います。

自分はその感覚を、インドのホームで子どもたちと日々淡々と過すことによって感じ取りました。
そしてこのたび、鰯を丸ごと一匹、その小宇宙全体をしっかりと噛みくだくことにより、全体の調和を味わうことが最も深い世界を感じ取る王道なのだということを知りました。

一人でも多くの人にこの感覚を味わっていただきたいと願います。
そしてそのためには、日常の生活の中のハレとケを明確にすることです。
日々淡々とこなす日常の生活を心を込めてすることです。

今朝は美味しい梨をいただきました。
梨は種や芯は捨てますが、皮はむかずにそのままいただきます。
その梨を何度も何度も口の中で噛みしめていると、鰯と同じく、全体の旨味が深く調和しているのが感じ取れます。

これから秋には美味しい果物がたくさな店先に並びます。
ぶどう、梨、リンゴ、そういった旬の果物を皮をむかず、これまでの倍の回数を目標に咀嚼してみてください。
きっとこれまで感じ取ることのできなかった深い味わいの世界を知ることができるでしょう。

これがハレとケの大切さを知るという一歩につながります。

食べ物を噛むというごく日常的なケの中に、これほどまでに深い真理があるということに驚嘆し、生命の持つ深い叡智に畏敬の念を覚えます。

この咀嚼に限らず、ケの中には他にも様々な深い真理が秘められています。
だからこそ禅宗では日々の雑事を作務と呼び、それを心を込めて行うことを大切な行のひとつとしています。

インドの人が語ったという日々の生活をきちんと営むことの大切さ、そのことを書いたこのプログ記事も興味深いです。

生活をサボるな。とインド人に叱られて二年経ってから分かったこと