奇跡の醤

自分が最も尊敬し、名刺にもその名前を記している一人がヘレン・ケラーです。
彼女はよく知られているように視覚と聴覚に障害を持ち、その影響で言葉も喋れない三重苦を抱えながらもその障害を克服し、大学教育を終え、数多くの講演や福祉活動を通して多くの人に福音を与えました。

その偉業を一言で語ることはできませんが、日々英語を学習している自分にとって最も心に訴えるのが、盲聾の身でありながら聾学校や大学に通っている間に、読唇術、点字に加え、ラテン語、ギリシャ語、フランス語、ドイツ語なども原書が読めるまでに熟達したということです。

これはもう『人間の可能性は無限だ』などという生やさしい言葉で語れるものではありません。
彼女は大きな天命の下に障害を持ち、その生き様を通して人類をあるべき方向へと導く役割を果たしたのでしょう。

『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』には示唆に富んだ言葉が数多く記されています。
これは自分にとってとても大切な本であり、特に多感な年頃の若者たちに是非読んでもらいたいものです。

その昔「典子は、今」というセミ・ドキュメンタリーがありました。
辻典子(現:白井のり子)さんというサリドマイド剤の薬害で生まれつき両腕がない女性が、その障害にもめげず懸命に生きる姿を描いたものです。

彼女と自分はほぼ同世代で、あの当時は典子さんと同じく四肢の欠損等身体に大きな障害を持つサリドマイド被害者の子どもたちのことが大きな社会問題となりました。

サリドマイド被害者は三百名以上、今調べてみると、サリドマイド被害の実態がヨーロッパで明らかになった後も日本では販売が継続され、それが被害の拡大へとつながったようです。
昨今の児童虐待しかり、何事にも後手後手となる行政のあり方は今も昔も変わりありません。
<未来へ伝え続ける サリドマイド薬害被害の実相 – 全日本民医連>

このドキュメンタリーに描かれている典子さんの姿は多くの人の感動を呼びました。
生まれつきない両腕の代わりに両脚を使って字を書き、ジャガイモの皮を包丁でむいて料理をし、パスに乗り、健常者と変わらぬ日常を過ごしています。

人間は鍛え上げれば脚も腕と同等の役割を果たすのですね。
彼女の書く文字はとても流麗で、包丁捌きもまったく危なげありません。

典子さんからヘレン・ケラーと同じく人間が本来持っている偉大な力の存在を教えてもらい、それと同時に生きる勇気をもらいました。

今日は東北の地震による津波で会社、工場のすべてを失い、大きな人的被害を受けた八木澤商店という老舗の醤油蔵が再生する物語を読みました。
<八木澤商店[醤油,味噌,岩手県陸前高田]>

人口23000人の内千五百名以上の死者を出した陸前高田市にあった八木澤商店は、会社の施設すべてとともに社員37名中25名の自宅が流され、醤油を醸造するためになくてはならないもろみをも失ってしまいます。

けれど震災から五日目、完全に無の状態から再建を決意し、その後新たに以前と変わらぬ味の醤油を造り出すまでの苦難の過程が綴られています。

数多ある会社の中で、創業以来二百年以上続いている会社の数は、日本が世界でも断トツで多いのだということを、この本を読んで知りました。
二百年以上続いている会社は日本が3100社、二位のドイツは840社、アメリカなどは百年続いている会社が10社もないそうです。

なぜ日本にこのように長続きする会社が多いのか、その要因のひとつを、日本社会の助け合い精神だとこの本では述べられています。

八木澤商店の工場が再建され、本格的に商品製造が軌道に乗るまで、様々な公的機関や回りの人たちの支援を受けています。
そしてその中には同業他社からの原材料や商品の無償提供が数多くあったそうです。

これは日本の助け合い精神そのものであり、日本では常識であっても、世界的に見れば日本独自の特異な美徳ということになるようです。
本書から一部を抜粋します。

通洋は、震災後、全国の同業者に助けてもらった話を、アメリカのハーバードビジネススクールから研修に来た、成績優秀な学生たちに話したことがある。しかし、学生たちはキョトンとしている。
「なぜ、ライバルなのに、同業者を助けるのですか?放っておけば、ライバルが一社潰れて、商売がやりやすくなるのに。市場競争原理といって、ビジネスの考え方の基本ですよ」
理解できない、という顔で質問された。

アメリカの学生がこう考えるのも至極当然でしょう。
これに対して社長の通洋はこう答えます。

「ひとつの会社が潰れると、そこで働く人の生活が困り、地域社会全体が崩れます。会社を潰さないで続けるというのは、とても大切なことなんです。優秀な皆さん、どこから学ぶべきか考え直してはどうですか?」

奇跡と讃えられるものの裏には、きっとこのような助けとなる回りの大きな力があったのでしょう。

ヘレン・ケラーは偉大ですが、その能力を開花さすことができたのは、同じく盲目であった体験のあるサリバン先生がいればこそです。
「奇跡の人 ヘレン・ケラー」の“奇跡の人”とは、ヘレン・ケラーではなくサリバン先生のことをさしています。

典子さんもまた、きっと回りの家族の暖かい支えがあり、その中で懸命に生きてこられたのだと思います。

自分は体に大きな障害があるわけではなく、また大きな災害を被ったわけではありませんが、きっと自分では気がついていなくても、これまで陰で多くの人が自分を支えてくれていたのだと感じます。

今日は『奇跡の醤』を読み、今まで無事生きてこられた、その有り難さと、回りの人たちへの感謝の思いをあらたにしました。