すごいこと、とは

日々自宅でのデジタル作業はデスクトップパソコンがメインで、それに時折iPad Pro 12.9インチも併用しています。

現在使っているiPadは三台目で、新しいものに換えるたびに性能は着実に進化し、反応速度は速くなり、基本OSとなるiOSの進化で機能もより豊富で便利になっています。

そのiOSが今秋アップデートされ、これまでiPhoneとiPad共通だったiOSがそれぞれ専用のものになり、大幅な進化を遂げる予定です。

今日はその新たな機能についてYouTubeにアップされている解説動画を見ました。
このYuka Ohishiさんの解説は分かりやすくてとても参考になりました。

この解説動画の中で、本質とはまったく関係のないあるひとつの言葉が気になりました。
これは彼女を批判しているのではありません。
あくまでもその言葉の中に現代人の持つ典型的な感覚が現れていて、それで例として取ったということです。

今回予定されているiPad OSの進化は本当にすごいものです。
そのことがよく分かり、今秋のOSアップデートが楽しみです。

ところで、“すごい”というのはどういうことでしょうか。

すごいというのは尋常ではないということ、大きく変化、進化したり、何か突出したものに対して使われます。
さらにはプラス面を述べる中では、それが自分にとって大きな利益をもたらすものということが基本です。

iOSの進化はこれまでできなかったことが可能になる新機能が数多く含まれていて、それは利便性の点から見てたしかにすごいことだと感じます。

それに加えて処理能力もアップし、アプリの起動速度が二倍にスピードアップするそうです。

それを彼女はこのように紹介しています。

「今の時点であまり遅いと思ってないので (中略) それがさらに倍速になるということは、かなりすごいことだなと・・・」

これは本当にすごいことなのでしょうか。

昔のパソコンはひとつのアプリ(ソフト)を立ち上げるのにかなりの時間を要しました。
起動の操作をしたら安定するまで何か一仕事でき、場合よってはコーヒーを入れられるぐらい、そんな悠長な時が流れていました。

それが今のタブレットやスマホではアプリがほぼ瞬時に立ち上がります。
こんなに技術革新が進んだにも関わらず、さらにまた技術が進歩したというのは、たしかにものすごいことなのだと感じます。

けれどもその対極の感じ方として、今でも十分速いのだから、これ以上速くなってもほとんど使い勝手に影響がない、だからそれはすごいことではなく、たいしたことではないのだという見方もあります。

起動に一分かかっていたものが半分の三十秒になれば大躍進、ユーザーにとって極めて大きな益となることですが、1秒がその半分の0.5秒になっても与える影響はわずかです。

これはそのすごさを技術面や機能、性能、数値といった面で見るか、あるいはユーザー自身の肉体感覚で見るのかの違いです。

日本人男子陸上で100メートルを9秒台で走ることができるようになったというのは本当にすごいことです。
またエベレスト登頂や月面着陸といった限界や新たなものへ挑戦したりすることは偉業であり、そういった客観的すごさに着目することは、文明や技術、個々の人間の能力を進化発展させていくために必要不可欠なことです。

けれどそれが過ぎ、それに偏ると、常に何か進化していないと満足できない、今は自分でいいと感じて使っているものでも、より新しく性能がいいものが出ると途端に満足できなくなるといった、大切な自らの価値観を自分の外にを置くようになってしまいます。

『出来事は重要ではない、出来事に対する反応がすべてである』(易経)

アプリの起動が半分になるという出来事ではなく、それがユーザーである自分にどの様な影響、反応を与えるのか、それがやはり根底となるべきものです。

その根底をないがしろにし、外側の数値、性能のみに着目するのは危険です。

彼女が「かなりすごい」と表現した言葉は誤りではありません。
けれど壊滅的なまでに地球環境を破壊し尽くしてもなお更なる技術発展を望んでいる現代人には、この言葉の裏にはそこに潜む危険性があるということを知る必要があります。

さらには二十年以上前にこのようなことを経験しました。

ある著書を何冊か持たれているスピリチュアリティの世界の方の講演で、司会の方がこう述べられました。

「今日ここに来られた方はとても幸運です。 今日はこれまでの著書や講演でご紹介したことのないことをお伝えいたします」

それを聞いた時、この言葉にとても違和感を覚えました。
回りの他の参加者のことは分かりませんが、自分はその方の話に接するのは初めてです。
ですからその方の語られる内容が本邦初公開であろうが、言い古されたことであろうがまったく関係ありません。
大切なのは、話される内容が自分にとってプラスになるかどうかということだけです。

司会の方は“情報の鮮度”に価値があると考えておられたようですが、最も大切なのは、その情報が自分の、あるいは各人の心にどう響き、どのような“反応”を引き起こすのか、それがすべてです。

『足るを知る』という言葉、その感覚は、回りの環境、出来事とは関係なく、自らの内的反応を自らの価値観で以て律することによって生まれます。

自らの肉体感覚ですごいと感じることと、外部的尺度ですこいと評することは対極です。
対極ではありますが、相反するものではありません。

『足るを知る』という心を己の内に持ち、その上で進化発展を求めていく、これが今を生きる現代人に求められている感覚だと感じます。

新たに発表されるiPad OSは“すごい”ものです。
そしてそのすごさを真の幸福を得る手段として活用していくためには、足るを知り、今のiOS12でも十分に幸せであるという感覚、これを持たなければなりません。