名伯楽と舞台

どんな本を読んでも映画を観ても、何かしら心に残るものがあるものです。
けれどそれがあまりにもたくさんあると、時とともにすべてを忘れてしまうということになりかねません。

ですから大切なこととしていつも心がけているのは、たったひとつでいい、自分にとって本当に大切なものを見つけ、それを心に残したい、いつまでも大切にしておきたいということです。

先日、武田鉄矢が語る高倉健の思い出を聞いて、急に高倉健の映画を観たくなりました。

ここで語られている「黄色いハンカチ」は以前観たことがあったので、名作として呼び声の高い「遙かなる山の呼び声」を観ることにしました。
この映画は今まで観たことがありませんでした。

まだご覧になっていない方は是非とも観てください、本当に素晴らしい映画です。
特に感動のラストシーンは涙なくして観られません。
自分はこのラストシーンを十回近く繰り返し観ましたが、その半分ぐらいで実際に涙が出ました。

高倉健、素晴らしい俳優さんですね。
あの存在感は他の俳優では絶対に真似のできないものです。
そしてその全身からにじみ出てくるような存在感がこの映画の芯となっています。

その上で光るものを感じたのは、高倉健の相手役である倍賞千恵子の演技です。

最初は素性の分からない田島(高倉健)に不信感を抱きながらも、時を重ねるにつれ少しずつ心開き惹かれていく民子(倍賞千恵子)の役を見事に演じています。

彼女の顔はどちらかと言うと北方系の醤油顔、そんなに派手な目鼻立ちではない能面に近いような感じです。
その彼女の微妙に変化する表情、仕草、もちろん脚本や演出が素晴らしいこともありますが、彼女の演技から揺れる女心のあり様が手に取るように感じられ、そこに心動かされました。

倍賞千恵子というと寅さんシリーズのさくらを思い浮かべます。
あの映画では、彼女は感じのいい女優さんだなという印象はあっても、名女優というまでは思い至りません。
それは演技が下手ということではなく、さくらの役ではそこまで幅広い表現力が求められないからです。

この「遥かなる山の呼び声」で演じる民子は地元九州を離れ、最果ての北海道の開拓村で未亡人として息子と二人で暮らすという難しい役どころで、厳しくも美しい自然環境と彼女の素直で純朴なキャラクターが見事に溶け込んでいます。

この映画レビューをネットでいろいろと検索してみた中で、
「これは倍賞千恵子が演じる最高の演技が見られる作品だ」
というような書き込みがあり、自分もそれに大いに同意しました。

そしてその時に思ったのが、最高の演技ができる、自らの最高のパフォーマンスが発揮できるというのは、そうなれる舞台があってこそだということです。
いくら潜在的に大きな力を秘めていても、それが発揮できる場がなければ、いつまで経っても宝の持ち腐れです。

以前勤めていた公文では、創始者である公文公氏が、
「千里の馬常にあり、名伯楽常にあらず」
千里を一気に駆け抜けの力を持っている馬はたくさんいるけれど、その馬の持つ力を発揮させられる名指導はなかなかいない、つまり公文の指導者は名伯楽になり、子どもたちの持っている大きな力を存分に発揮させなければならない、ということを常々語っていました。

大きな潜在能力を発揮させるには名伯楽が必要です。
そしてそれと同時に、発揮できる舞台もまた必要であり、この映画では監督であり脚本も手がけた山田洋次監督が名伯楽であり、この作品自体がその力を発揮させる場、舞台であったと言えるでしょう。

振り返ってみて、自分自身も人生という大きな舞台でその能力を大いに発揮できているかどうかを考えてみました。

自分は人からものを教わるのは苦手で、何でも自学自習で取り組みたいタイプです。
ですから名伯楽は自分自身でなるか、心の中で自分で設定しなればなりません。
今風の言葉で言えばセルフコーチングです。

舞台は・・・。
これもほとんどの人は自分で設定しなければならないでしょう。
よくスピリチュアルな世界で、自分を自分の外から見つめることが大切であると説かれますが、これはそうすることが、自分にとって最も相応しい舞台を創り上げることができるという意味があるのだと感じます。

誰しも自分の人生という大舞台で主役を演じる役者です。
そこでどんな演技をするか、どんな名優になるか、また感動のラストシーンを演じるのか、そう考えると人生もまた楽しいですね。

「遥かなる山の呼び声」感動のラストシーン
※ 映画をまだご覧になっていない方は観ない方がいいですよ!