断捨離はすべてを活かす

今日から令和、新たな時代の節目を迎え、身が引き締まる思いです。

竹は節から芽を出し、節目は新たな芽生えの時、旧いものが滅び新たなものがスタートする時です。
新年正月、新月、・・・人間の誕生もまた大きな節目であり、『三つ子の魂百まで』という言葉があるように、その節目の最初の時をどのように過ごすかは、後々大きな影響を与えます。

と言うことで、心機一転、禊(みそ)ぎをする思いで、今日も片付けに励みました。
モノを片付けられない大きな原因のひとつに、そのモノに対しての深い思い入れがあります。
その思い入れを捨てきれないがゆえ、それが執着となり、モノを“活かす”という本来の目的を阻害するのです。

そんな思い入れがたっぷり詰まったインド関係の資料を、このたび思いっ切って大量に手放すことができました。
それはモノが多くなり過ぎていよいよどこに何があるかが分からなくなり、インド関係資料はほとんど「開かずの扉」状態に化していたからです。
また昨日のページに書いたように、トランクケースの中を透明なケースで整理し、その流れを受けてということもあります。
またまた今回の実り多い旅でインドへの思いがより一層深くなり、インドとより発展的な関係を築きたいという思いが強くなったということもあります。

形あるモノというのはその持ち主の心の反映であり、だからこそモノを片付けることによって心も整理され、また心の状態がある一定のところまで至らなければ、なかなか片付けという行動には移れないものです。
今回はそれがひとつの臨界点を迎えました。

ひとたび決心し、行動に移せれば後は簡単です。
まずは自分の中に作った「こういうものは処分してもいい」という基準に従って、次々いらないものを処分していけばいいのです。
この「処分してもいい」という基準を作り決心すること、これができれば片付けは八割方終了です。

旅先でお金を払う行為というのは思い出につながるので、レシートなども捨てずに取っているものが多くあります。
けれど感熱紙というのは時とともに文字が薄れて読めなくなるのですね。
そんなレシートがたくさんあって、それらをすべて処分しました。
れどなんでそんなものを残していたのでしょう・・・、結局は捨てきれない思いを自分の意識の上に昇らせるのが嫌で、ずっと長い間目を逸らしていたのです。
まさに『心の闇』です。

そんなレシート類の中でも、バスのチケットは貴重なので取っておくことにしました。

インドのバスの車掌さん、その料金徴収の技はまさに職人芸です。
どんなに超満員のバスの中でも、指の間にお札をはさみながら見事に職務を全うします。

そして短冊になったチケットを乗客に渡すのですが、それが今は電子式にプリントアウトされたものに換ってきていて、旧式の短冊チケットは貴重なのです。
(別段昔のものをコレクションする趣味はありません。これは例外です!)

とまあこんな風にすべてのものに思い入れがたっぷりあるのですが、今回は思い切って涙の断捨離をしました。
ようやくそれができるまでに心の状態がなったということです。

そしてたくさんのものを捨てると同時に、残すべき必要なものの整理もしました。
これもやはり目に触れさせたくない『心の闇』がたくさんあったので、長い間整理の目を向けることができずにいました。

インドやその他の国々、様々な団体が海外支援をしている資料もたくさんあり、それも手付かずでただ置いている状態のものを、一冊のファイルに収めました。
これでこれからこれらを必要に応じて活用することができます。

また子どもたちからもらった絵や工作も、ノートに描いてくれたもの以外はひとつのファイルにまとめることができました。
それらは決して上手ではなくても心のこもった大切なものです。

この赤い花の花びらの部分は、鉛筆の削りかすを赤のサインペンで色付けしています。
なんともけなげではないですか、これをもらった時は本当に感動しました。

子どもらしい可愛らしい絵ですね。

中にはこんなきれいなデッサンを描いてくれる子もいます。
インドは家の玄関の前にレンゴリという文様を描いたり、手にメヒンデという図柄を描く習慣があり、こんなデッサンを描くのは得意なようです。

子どもたちからは工作したものももらいます。
きれいな図柄で、

観音開きになっている表側を開くと数字が並んでいるので、たぶんケイタイ電話のつもりなんでしょうね。

他にも孔雀の羽根とか毛糸で編んだものとか、これまでこれらを死蔵させていて、本当に申し訳ない気持ちです。

これからインドの話をさせてもらう時はこのファイルを持っていき、みんなに見てもらうようにします。

思い出話が長くなりましたが、これだけ思い入れがこもり、最も執着のあったインドのモノを大量に手放すことができ、とても心の中がスッキリしました。

具体的には、
・ 自信が湧いてきた
・心の壁が取り払われたよう
・未来への見通しが見えてきた
こんな感じです。

ちょっと大げさに感じられるかもしれませんが、自分にとってそれだけインドへの思いは深いのです。

子どもの頃は誰よりも片付け下手だった自分が自己改革の一環として片付けに取り組み始められたのは、「ガラクタ捨てれば自分が見える」という一冊の本とは出合いがキッカケです。

そしてそこで感じた思いは、スペースクリアリングのコラムに様々綴っています。

その間気付いたことは、断捨離の本当の目的はモノを処分することではなく、そのモノを処分した後に残った本当に大切なモノ、そこに意識の焦点を当てるということです。

そして今回さらに深く感じたのは、断捨離をすることによって、今まで自分でも気付かなかった大切なモノ、それを新たに発見することができるということです。

また意識の焦点を定めることによって意識の断捨離、思考の断捨離ができ、余分な思考を断捨離することによって時間の断捨離もできることになります。

形あるモノ、目に見えない思い、そして時間、これらはすべてつながっています。

ですから、

モノの断捨離 = 思考の断捨離 = 時間の断捨離

モノを活かす = 思考を活かす = 時間を活かす

となるのです。

己の天命のひとつ『インドへの支援をなんとかより形あるものにしたい』この強い思いが、これら“当たり前の気付き”を導いてくれました。

モノを処分することは、そのモノの役割を抹殺することではありません。
他のより大切なモノに意識を向けるため、またより大切なモノに気付けるようにするためです。

処分されたモノは無駄になるのではありません。
それが処分されることによって新たなものに光が当り、その処分されたモノも土に還り、また新たな再生への道を歩みます。

与えられた生命を光輝かす、そのためにはすべてのものを活かすこと、断捨離はそのためのひとつの有効な方法です。